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山際淳司『スポーツ・ノンフィクション傑作集成』③

山際淳司『スポーツ・ノンフィクション傑作集成』の感想続き。ボディビル、ボクシング、登山に対するそれぞれの流儀。

山際淳司スポーツ・ノンフィクション傑作集成

 

 

筋肉栽培法

石井直方は東大助手として筋肉の研究をしている。ボディビルダーとして日本一のタイトルをもっている。日中にはムラサキイ貝を使った実験のデータをとり、夕方はジムでトレーニングに励む。いつも通りの1日の様子を通じて、彼の考えにせまっていく。

なぜ筋肉が収縮し弛緩するのか。それをテーマに実験をしているが、解明までの道のりはまだ長そうだ。他方、トレーニングをやればやるだけ筋肉は育っていく。そこにはわかりやすい変化があり、充実感がある。

そうして鍛えた筋肉をなにかに使おうというのではない。純粋にトレーニングだけに向かい、「筋肉と対話」する。ストイックに続けているという見方がある一方で、トレーニング中毒という表現もでてくる。

レーニングの先に何があるのか、と問うたラストの一節は、ひとつの真理かもしれないが、どこかあやうさも感じてしまう。

しかし、彼はその体を、その筋肉をどうしようというのだろう。いつまで努力と自己満足を繰り返すことができるのか。

「そのことを考えたら……」

と、石井直方はいった。

「人生そのものが、むなしさのかたまりとなってしまう。何のために生きるのか?誰も答えられない」

だから――とも、彼はいった。

「そういうことは、考えないほうがいい」

なるほど。

悪くない方法だ。

筋肉と対話するのに思想はいらない。それは薔薇を育てるのに思想がいらないのと同様だ。薔薇に一滴の水を。そして、筋肉にひとしずくの汗を――。

 

正方形の荒野

1960年代、青木勝利は天才ボクサーとしてその才能を認められ、ファイティング原田海老原博幸とともに「三羽烏」と呼ばれた。しかし、彼は世界チャンピオンにはなれなかった。彼には大事な試合の前に逃げてしまうという癖があった。トレーニングをせずに、酒を飲み、女と出かけた。それでも試合に出れば勝つことはできた。そして勝ちながら崩れていった。

冒頭はマイク・タイソンのエピソードから始まる。少年院を出てチャンピオンへと駆け上がった。青木もまた少年院をでて、ボクシングの世界で才能を発揮していく。しかし、タイソンにはなれなかった。そんな対比がある。

それ以上に興味をひかれたのは原田との対比だった。

ファンは青木勝利本人をではなく、その無頼を愛したのかもしれない。勤勉さと真面目さを標榜してチャンピオンになる男よりも、駄目な男が逆転、最後の勝利を得るというドラマツルギーに酔いたいという心理は、どんな時代にもある。

青木は、管理社会が形成されつつある時期に、その息苦しさから逃れるために気晴らしを求め、あるいはそんな理由などどうでもよく、とにかく面白い、パッとしたことを心待ちにしている人たちにとってのヒーローになりうる可能性を秘めていた。

無頼についてどう思うか考えてみると、すこしやっかいなところがある。無頼への憧れや自分がそうなりたいという気持ちはない。だが、その物語を求めてしまう心理はあるかもしれず、それを残酷だということもできる。しかしだからといって、そんな気持ちはない、ということにはできそうもない。

 

逃げろ、ボクサー

「いいかい、おれはね」

と、大橋はガールフレンドによくいった。

「温室育ちのチャンピオンになるんだ。何もかも投げ捨てて、犠牲にしてチャンピオンになるなんて、性に合わない。おれにはおれの人生設計がある。チャンピオンになることは、おれにとって全てじゃないんだ。目的の一つなんだよ。ほかにやりたいことがある。そのために、ボクシングで自分をダメにしてしまいたくない。さんざん殴られてバカになったら、そのあと何もできないだろ。おれはそんなふうにならないよ」

1980年代に20代を過ごしたボクサー・大橋克行は、ボクシングにすべてを賭けるというタイプではなかった。練習が嫌いで、殴られるのも嫌い。ボクシングはあくまで人生設計の一部だ。ほかにも調理の勉強をして、飲食店を開く準備を進めている。ゆくゆくはチェーン展開も考えている。

ボクシングの試合では、いかに打たれないかを考える。KOで勝つ必要はない。1ポイント差でもいいから判定勝ちできればいい。序盤でポイントを稼いだら、あとは逃げ切る。激しい打ち合いを見たい観客からは、フラストレーションをぶつけることもある。それでも、腫れた顔で店のオープンの日を迎えるのはみっともないとも思っている。

試合中の内面を実況的に書いているのがおもしろい。どうにかして逃げ切る、というスタンスを一貫させている。こうしたスタンスが、ボクシングの世界でどれだけ通用するかはわからない。しかし、全身全霊を要求される世界のなかで、自分なりの仮説を試していくことに自由を感じた。なぜボクシングをしていると飲食店が開けなくなるのか。

 

八八四八メートルのラッシュアワー

1983年秋、3つのグループがエベレストの頂上を目指していた。吉野寛が率いるイエティ同人隊、川村精一を隊長とする山岳同志会、それからアメリカ隊。ヒマラヤ登山の原則として、1シーズン1ルートに1隊のみネパール政府より許可される。3つのグループはそれぞれ別のルートで申請をしていたが、途中のルート変更により東南稜ルートに合流し、意図せず10名で頂上を目指すことになった「ラッシュアワー」を描く。

 

冒頭から不吉な予感がする。

エベレストを無酸素で登る。

そのプロジェクトを成功させて日本に帰れば、吉野寛には楽しみが一つ、待ちかまえているはずだった。

吉野が日本に帰国するころには、子どもが生まれることになっていた。吉野は登山を開始し、じっくりと高度を上げていく。その様子と心境は、妻に宛てた手紙が何通も引用されるなかで描かれていく。

 

10月8日、一斉に頂上へのアタックをかけるが、各グループの判断はそれぞれ違う。酸素ボンベを使うかどうか。頂上へついたあと、その日のうちにどこまで戻ってくる計画でのぞむか。戻れるのであれば、寝泊まり用の荷物を早めにおろして身軽になりたい。しかし、明るいうちに戻ってこれなければ、一番危険な夜が無防備になってしまう。

イエティの吉野と禿はラッシュのなか頂上に達したが、荷物をおろした場所まで戻ることはなく、数日後に発見された。

アンツェリンは、鳥が舞っているあたりへと急いだ。

そこに、吉野の遺体があった。禿の靴も見つかった。

禿はビバーク中にアクシデントを起こしたとも考えられる。

吉野はビバークで凍傷にかかり、感覚を失った足で雪の斜面を下りるとき、南西壁をころがり落ちた……。

そう考えるしかない。

吉野寛の遺体はエベレストに埋葬された。

十月十二日、エベレストに冬の風が吹いた。C2はテントをなぎ倒すほどの強い冷たい風に吹かれた。

十一月十三日、吉野あつ子は女児を出産した。あらかじめ吉野寛が名づけておき、エベレストからの手紙にもしばしば登場した〈遥〉という名前がつけられた。

一日だけのラッシュアワーのあと、エベレストは再び、〈母なる神の山〉に戻った。

あまりにもドライでクール。エベレストの人を寄せつけない過酷さを表すようでもある。登山にまつわる他の作品、沢木耕太郎『凍』や夢枕獏神々の山嶺』にも感じたことだが、登山家はつねに死と接近するためか、死生観に独特なものがあるように思う。感傷を排して描くこと、これはそうした流儀の追悼なのかもしれない。

 

 

〇文庫・新書情報

「筋肉栽培法」「逃げろ、ボクサー」

 

「正方形の荒野」「八八四八メートルのラッシュアワー

 

 

 

 

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