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氷河期世代の「公共」・雑感

 いわゆる氷河期世代、自分が最初に大学に就職して、非常勤も含めてその頃教えていた学生若い衆らが概ね該当することになるが、当時の就職難についてその頃から怨嗟の声があがっていたことは、はっきり覚えてはいる。

 ただ、同時にまた、その怨嗟の調子、「貧乏クジを引いた」世代としての自覚を足場にした嘆き節のありようには、その頃はまだ「しょうがない、そのうちまた景気もよくなるだろう」的な先行きへの楽観前提の「信頼」が含まれていたように思う。

 それは、自分たち若い衆世代だけがジタバタしてもどうしようもない、まさに「時勢」であり「時代の流れ」という「そういうもの」の認識であり、しかしその「そういうもの」もこのまま放置されるわけないよな、という世間に対する、まさに「公共」的なるものとそれを支える「おとな」への信頼もあった。

 でも、そういう世間や世の中、もっともらしく言えば「社会」やそれを動かしている「経済」や「政治」の仕組みとその当事者であるはずの「おとな」たちが形成していた「そういうもの」としての「公共」がほぼ役立たず、少なくとも自分たちのことをまともに配慮してくれないことを思い知ってゆく。

 思えば「バブル」崩壊と言われた頃から、その「崩壊」の〈リアル〉が同時代的な記憶という意味でも、それこそ国民的な認識としてうまく合焦されてゆかなかった憾みというのは、のちのち含めて禍根を残すんじゃないか、とは思っていた。

 それはもう少し引いたところでは、少なくとも戦後このかた、あの高度経済成長がどのように「豊かさ」を実現していったのか、というあたりの事情について、別に難しい術語やもの言いでなく、普通の世間の話し言葉の水準で「そういうもの」化してゆけないままだったこととも地続きに連なる手抜かりだったと思う。

 共通項としてひとつ言えそうなのは、「経済」を言語化できないままだったということはあるのだろう。もちろんその「経済」というのは、経済学だの何だのといった大文字の概念という意味あいではなく、ゼニカネの〈リアル〉、自分たちがどのように喰えるようになってきたのか、というあたりの個別具体の言葉による最大公約数の「わかる」を構築できるような意味での、ということになるのだろうが。

 「公共」は何もしてくれない、少なくとも自分たちの日々のこのどうしようもないことをほぐしてゆき、何らかの「わかる」≒出口なり解決策なり明日への希望なりへと向かう手助けをしてくれるものではない、という鈍く静かな諦念。概ねそれは自分たちよりも年上の、自分たちより先にこの世に生まれて〈いま・ここ〉がこうなってくる過程も自分たちよりずっとよく見知って生きて来たらしい、いわゆる「おとな」たちへのデタッチメント感覚と貼り合わせになっている。

 かつてなら「おとなは汚い」「おとなは信用できない」といった単純化されたスローガンで、逆にその自分たちの輪郭を確かにしてゆくこともできただろうし、またそういう機序もキモチとしては未だになくもないのだろうが、ただ、それ以上に昨今の状況では「そんなこと言っても何もならない」「固まって声をあげて暴れてもトクにならない」といった歯止めの気分の方が強く共有されているらしいから、ノズルの経路は屈折して「被害者」「弱者」モードの話法・文法の愚痴や弱音や泣き言でしか表現できなくなる。いずれにせよ救いがない。あるわけもない。

 かつての「公共」だって、「お国」的な漠然とした硬質大文字書き言葉系な「そういうもの」レイヤーに最終的に収斂されていたと同時に、「世間」という柔構造話し言葉系の「そういうもの」もまた、バックアップ的に並行して走っていたはずだった。「公/私」という図式でだけ理解することも別の不自由の源泉になると思うからそこは留保しておくが、でも少なくともその後者の「世間」というのは、そういう意味での「私」的な属性を前提にあたりまえに据えた上での「公共」として、しぶとく維持されてきたはずだったのだが、ここ30年ほどの過程でそれが本当に日常の生活感覚から蒸発してきているのを感じる。

 ことは氷河期世代だけのことではなくなるのだけれども、「公共」の〈まるごと〉としての復権が切実に必要な状況になっているのならなおのこと、本来ならば、そして少し前までならば、「世間」という柔構造話し言葉系のたてつけで共有されていた〈リアル〉の水準がどのように共有されていて、そしてそれがどのように、どういう理由や背景でこうまで失われていったのか、ということを具体的に言語化しておかねばならないのだとは思う。

 ……ただそれって、ぶっちゃけ「なあなあ」でやってきた/すましてきた、とされてきたあれこれ、もちろん昨今だと各種コンプラやガバナンスに抵触する事案、を穏当に言語化、対象化してできるだけフラットで透明なデータベース的な共有財産にしてゆくこと、だったりするんだが、な……
 

 




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