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バブル期の記憶さまざま・メモ


バブル期バブル期って言うけど、じゃあその時代を実際に生きてた人がたがどれだけ「消費」してたのか、ってことを、ちゃんと言葉にしてないよね。漠然とカネがあった、贅沢だった、的な大文字の具体(ヘンな言い方だけど)しか流通してない。

あの時代の「消費」のいちばん世間的にわかりやすい部分って、当時の若いオンナの人がたが主役だったんだよね。それって今の40代からアラフィフあたり。彼女らには責任持って個別のちいさな具体で言葉にする義務がある。

機械的に拾えるのだけですが、ザックリトゥギャッておきました。
 

いま思い起こすバブル期のリアル https://togetter.com/li/1886789 #Togetter
king-biscuit

バブル期の恩恵、消費者としては全く感じませんでしたが、今から考えるなら、今では絶対に通らないリスキーな企画がバンバン通りましたので、恩恵はあったんだなあと思いました。

自分も個人の消費者としてはほとんど恩恵感じなかったですが、そういう企画面での恵みあったな、と。

てか、考えてみたらそれより何より、自分みたいなワヤな経歴の外道でも、30歳やそこらで国立大の常勤職の片隅にもぐり込めたというのが何より雄弁な当時の恩恵だったんだろうな、と。
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バブル期バブル期って言うけど、当時の若者で多少いい飯食ったりしたのなんてごく一部。本当にあかんのは権限持ってて無茶な開発や投資した当時の経営層。戦後に就職して高度経済成長した知らず調子に乗った人たち。彼らが作った不良債権処理がその後の氷河期を産んだ。今の70〜80代。

構造的にはその通りだと思います。


その今の70~80代というのは、ざっくり戦前昭和10年代後半から戦後すぐあたり、物理的「団塊」世代のはしりくらいまでをカバーすることになりますが、高度成長期の本邦会社組織の現場下士官から新兵含めた兵隊クラスにあたるような。

89~92年度は学生でしたが、コンビニ夜勤が時給1,600円、スキーバス出発前の行程説明(説明のみ同行しない)が実質拘束30分で5,000円でしたなあ。学園祭では、企業タイアップで400万入ったサークルの話を聞き、革マル仕切りのパンフ300円には企業の名刺広告がズラーリ。セクトもバブルの恩恵w

ああ、自治会利権とそれら左翼セクトの癒着の最後の時期、ですかねぇ……その後大方そのへん駆逐されてゆきましたね。

ですねえ。学祭パンフの左翼アジビラみたいな巻頭記事と上場企業の名刺広告は商法改正で先に消滅した「左翼系総会屋雑誌」の最後っ屁みたいな感じでした。

わしに語らせたら長いよ。

お時間ある時にでも、少しずつでも、ぜひ(=゚ω゚)ノ

あの頃は偶々高知に赴任してたけどバブルと呼ばれるような景気のいい話は全くなく、はじけた後の不況だけもろにかぶって営業数字をまとめるのがしんどかったわ。😩

以前読んだ時計雑誌でバブル期に大学生を経験した方が
「周囲がみんなロレックスをつけていたのでそれがイヤでブライトリングをつけた」と言っておられたのを読んだ記憶があります
そのときは世界が違うと震えただけですが、そろそろそういうポツポツと出ていた発言をまとめてもいいのかもしれません

ホイチョイ・プロダクション気まぐれコンセプトを読めば、戯画化されているとはいえ80年代の空気が垣間見えますよ。何年も前に出た単行本をたまに読み返しますが、戦前の小説のごとき乖離感を年々酷く感じますw

10代後半でしたが
DCブランドのジャケットパンツを
結構買ってた位か
コムデギャルソンとかMen's BIGI
タケオキクチとか
JRAのCMは小林薫からギバちゃん賀来千香子になった位かな
大井のトゥインクルレースも話題
でしたね。地方民なんで滅多に
行けませんでしたが

私の母はバブル絶頂期にとある大手生命保険の社員と友人でしたが、その社員に誘われて、当時保険会社の事務所に籍だけ置いて、全く保険関連の仕事はせず、勤務時間に別のアルバイトをするという不法就労に手を染めてましたが、約3年間全く咎められる事はなく、毎月会社から20万円振り込まれたそうです

当時は小さな会社の若手技術系サラリーマンでした。世間の景気の良さを自身が実感することはそんなにありませんでしたが、職場のすぐ近くに小洒落たレストランが突然出来て、同僚たちと一緒に何度か昼食を食べに行ったことだけは記憶に残ってます。

池袋のビックカメラで制服の高校生がロレックス買ってるの目撃しましたなぁ。

丙午前後ですが、非大卒就職組は不景気でした。
円高不況だったのかな。
大したとこ就職してないので、バブルの恩恵は受けたという実感は無いですな。

学徒出陣の戦死は悲劇なのに、同世代の徴兵で取られた百姓漁師労働者の死は数でしか語られないみたいなモンです。同世代なのに随分な差だ(^^ゞ

同僚の若い女性で旅行が趣味の人は、しょっちゅうハワイやグアムに行っていました。その度に職場の人たちは免税店でブランドの化粧品やスカーフ やバッグを頼んで買ってきてもらっていました。同僚たちの通勤バッグが海外の高級ブランドのものでした。男性もブランドのスーツを着てました。

とにかく、お金を使っても働いて稼げばいいんだという意識だったのが今とは違うところでしょう。
学生時代にバイトした金を貯めて卒業旅行は海外に遊びに行くとか、奨学金の返済をしなければならない今の若い方にはありえない。社会に出る前から支出を抑えなければならないのだから…。

就職がとにかく売り手市場で、おんなじ日に何社も掛け持ちしてちょっとした収入になっていた同級生の就職組がたくさんいました。わたしはそこで学校に残ることを選択したので自分の就職はちょっときつかったですが、まあそれも禍福は糾える縄の如しで、悪いことばかりでもなかったと思っています。

仕事に追われてて使う暇もなかったが、使わないうちに崩壊して資産がマイナスになるとかね。
勝ち逃げしたのは当時の役員くらいの人たちだよ。

1997年度就職です。この年をピークに一般家庭の世帯年収は下降トレンドに変わるのですが、ぼくの初任給はその10年前に新卒入社した上司よりもそうとう高かったらしく折にふれてはイヤミをいわれていました。その後9年その会社にいましたが、昇給した年は2回しかありませんでした。

たしかに、実際どうだったのかは知らないな、とこのツイートをみて初めて思いました。
テレビで面白おかしく取り上げたものを真実であり大多数だと思い込んでいました。
見ていないものは知らないと言い訳をしながら受動的な情報を信じこむ、楽をして決めつけることはよくないですね。

わたしが社会人になったのはバブル直後でしたが、夜中の繁華街のタクシー車列ですかね、一番印象に残っているのは。もっとも、遊んで利用と言うよりは仕事が終わらず利用、というパターンが殆どでしたが。

4月入社の新入社員が6月に台湾に社員旅行で7万のお小遣い付き
仕事はフル稼働で毎日終電だけど出前が経費で食べ放題
ゴルフ覚えろ!で経費でスクール
会社が都内にアパートを建て社員は7千円だったかな
バブルの最後っ屁から崩壊を見れたと思う。

あの頃、地方から上京して学生だった身からすると、バブルで景気がよかった層と、70年代後半を引きずっている感じの人達とで、富の偏在とか享受文化の差が、目に見えてあったように記憶しています…学生生活で70年代と80年代で明らかに違うのは「下宿」から「ワンルーム」への変化…。

小学生の頃のお年玉は万札飛び交ってました。うちは1袋1〜3万が多かったですが、不動産屋が親戚にいる家は1袋30〜50万もあったそうです。バブリー。

普通の家はお年玉袋を入れ替えて同額で贈り返してたそうですが、勢いのいい家はそのままもらえたので、小中学生がファミコン屋で買い漁ってました。

バブル期は会社員SEからのフリーSEで、会社員時代は会社の景気は良いものの、社員への還元がまったくなく、貧乏でしたが、フリーになったら所得が3倍ぐらいに。
ブランド物でなくとも婦人服(死語)が高かったですね。
ブラウス2万円とかワンピース3万円とか普通でしたねえ。

GSのバイトのあんちゃんがクリスマスに高級ホテルでデートできた、というような話は聞きましたね
大学行ってる間にバブルは弾け、就活目前にして氷河期突入した身には信じられませんが

車がちょっとへこむと新車に買い替えなんてのも聞きました。

いわゆるバブル期に学生だったんですが、ジュリ扇振り回してケツ振ってるオネエサンたちの姿をテレビで見た程度で、実際にバブルらしい生活をしていた人をこの目で見た記憶がありません。自分自身も東京でバイトしながらささやかな暮らししてたし。バブルは伝説なのでは?という疑問も。

バブル期が終わる少し前に就職しましたが、就職先の選択を誤りバブルの恩恵を受けることなく氷河期に。
高卒、短大卒、専門卒がバブルに乗り良い会社に就職でき、大卒が氷河期にぶつかり就職先が見つからないという、学歴が全く意味を持たない現実を見ました。

バブル期の夏休み後の出社。 NYブロードウェイでミュージカル観劇組と英国古城巡り組、ハワイでブランド品爆買い組などで、お土産交換会をしましたw

当時メーカー勤務。
高価で高性能なものが真っ先に売れ、自分も分不相応な高性能機器を揃えた。高機能ではなくて高性能だったことは後にも先にもこの時期しかなかった。今では考えられない贅沢な仕様の機械だった。
経済的にはバブル期に稼いだ蓄えで、その後の40年をしのいだと言えるかもしれない。

いいこと何もありませんでしたね。仕事は無駄に忙しいし、給料は安かったし・・・。会社の寮は2人部屋だったし・・・。

ドラマ「彼女たちの時代」の年代1973年生まれといえば分かりやすい?

中学生がボトルキープをしていて、塾の先生と飲みに行って奢ろうとした話を聞きました(断ったそうです)

あの頃、百貨店勤務でした。ブランド物も売れていましたが、今、考えると「え?」と思うものが…例えば、1万円のまな板。これが本当に仕入れが間に合わないくらい売れました。今は家庭用品なんて100均がほとんどという人も多いと思います。見えないところでも消費は動いていました。

私は恩恵に預かってませんが、その時代を知る広告スタジオのカメラマンが「広告代理店の社員は高級ソープを毎晩銭湯がわりに使ってて、ハイヤーを入店から退店まで待たせてた」なんて言ってました。

大卒2年目でしたが3ヶ月のシリコンバレー出張でプールとテニスコートのあるコンドミニアムに滞在。結構良い車とガソリン代も含めて会社持ち。とにかく会社が気前良く金を出した。

知人の大工さんが毎晩居酒屋とスナックに通って、車検の度に新車に買い換えていた。
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バブルの残滓をかろうじて見ることができた世代ですが、地方だと都会ほどには浮かれてるようには見えなかったですね
アレは土地が値上がりした都会の局地的な事例だったような気が
その反面都会が没落するとその影響だけは田舎にも波及してなんだかなって気もします

マンガだと描写はあったな…→崩壊前後

キャッシュでスカイラインGTR3台一括払いとかですか?

親に買ってもらったNTT株で外車キャッシュで買って乗り回す大学生やマルイのカードで借金まみれになる大学生が出現したのもちょうどその頃。
土地も株もタケノコのように日々高騰しそのアブク銭が末端の大学生や女子大生に流れてオヤジギャルを生み出してしまったんですね。
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多くの場合給料が特に高かったわけじゃないけど何でも経費に出来たし企業は人を雇用するのに夢中で帰宅すると郵便受けから溢れた企業セミナーの案内ハガキや紹介VHSが玄関の扉を塞いでいた。
私が内定もらった所は新卒が他の会社の面接に行けないように全員を蓼科のホテルに拉致していましたね。
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バブル末期でもまだ田舎の小金持ちは騙せたので、田んぼと農道とガサ藪しかない土地にヘリポート付きの豪華結婚式場とか建てさせてすぐトンズラして1年ちょっとで破産させられた地主がウチの田舎にもいました。

金融関係に入社した娘のボーナスとメーカー勤務の親父のボーナスの額が逆転したとかは記憶に残ってます。タクシー券は各社束のまま持ち歩いてたし。でも結構遅くまで仕事してたな。

家具のカタログに、純金めっきの蛇口が25万円くらいの売値で載ってた記憶。
純金だから茶色っぽくて、日本人好みではなさそうだった。


ざっくりしたサイズから使ってる純金のコストを計算してみたら
100円分も無かった様な。。w

バブル期は、大学にOBがやってきて、会社のお金で後輩たちにおごってました。ロイヤルホストとかですけど。私が会社に入る前にバブル弾けたので、いい思いはそれくらいですね。住宅ローンなんて、8%でしたから、払っても払っても減らない感じでしたし。

バブルの時、公務員であった私には大した恩恵はありませんでしたが、当時証券会社に入った新人の女子社員のボーナスが100万円ぐらいあって工場で働いているお父さんのボーナスよりずっと多かったと聞いた覚えがあります。それと会社の接待費で飲んでいる人が多かったですね。

今はPCは数万円まで安くなりましたがバブルの頃は数十万円しました。それを何台も買ってましたよ。
I/OデータのGA-1024というグラフィックボードが飛ぶように売れていたとか。

当時学生だった目線になりますが、お子さんの教育にかけるお金が半端なかったように思います。地方でも家庭教師で中学生教えて時給3000円代、高校生になると時給5000円〜が相場でしたし、受験合格のお礼にアウディ1台なんて人もいましたし。大学一人暮らしの仕送り額もいい値段行ってたようです。

飲んだ帰りは必ずタクシー。つかまえるのたいへんだったけど。今のようなアプリがあったら良かったのになぁ。あっ、スマホが無かったわ。

就活生は2年生頃から超青田買い、有名大ならどこでも内定出すから接待合戦、企業主催の研修という名の飲み会が毎日のように行われ、一流店でもちろん奢り、そのまま夜の店まで奢り、タクチケ大判振る舞い、そこまでやらせといて内定お断りは当たり前。そいつら今どうなってるか?超老害ですよ!

新潟、スキー、マンション。

どこの家のお子さんもピアノを習う事を考え実際ピアノを買って習っていました。母子家庭でもママが頑張れば同じようにできた。

下ッ羽も接待された。特に楽しくも無いが、経験。

先輩の話ですけど、当時の職場で通勤は有料で全席指定の特急、移動はタクシーで費用は共に会社負担。朝の指定券は1ヶ月前の発売日に買わないと、買えなかったとか。

ほぼ12時間働いていたなぁ。それから飲みに行ってた。残業代は全てついたので残業代が小遣いだった。証券会社の営業から8時過ぎに電話がかかってくるなんて当たり前だった。でも不思議とキツかった記憶はない。こういうこと言うからおっさんなんだけどほんとうの話なんだよなぁ。

だって「空気」ですもの、言葉にしようがないよ、って面もあるかと。少なくとも、あの頃に高額なローンを組むことを躊躇するような風潮はほとんどなかった、というだけでもいいんじゃないでしょうか。クルマなんか車検の度に買い換えるとか普通でしやしね。

うちの親は看護師で普通にというか…今と変わらないと言ってたけど

ボーナスが年に4回出ましたね。自社株が5倍に値上がり。グループ企業の株が分割。マンションを買いました。

simmel20.hatenablog.com

ヴーン、一サラリーマンだった私でさえ、東京プリンスホテルのメインバーウィンザーで、女子3人に好きなだけ飲んでいいよ、と言って、彼女らの分、全部勘定払ったくらい、とでも言えばいいかなぁ。😅

今マスコミがバブル景気を説明すると必ず東京の狂騒で、札幌とか名古屋とか大阪とか他の地区はどうだったのか、よく解らないです。東京ほどの馬鹿騒ぎをしなかったんでしょうけど。

東京の下町の町工場の経営者の息子とか、平日16時に仕事終わって熱海まで行って豪遊、みたいな感じだったそうです(本人からの伝聞)




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