情報戦のご時世、プロパガンダだらけは当たり前と思っておく…として、
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年3月1日
ロシアのウクライナ侵攻は破壊しか生まない…は確定しただろうよ。
さていま極東島国本邦においては、台湾有事やらロシアの南進とか、その辺を警戒しながら、広がりすぎた本邦の「お花畑」を何とかしとかないと…だろうな。
さていま極東島国本邦においては、台湾有事やらロシアの南進とか、その辺を警戒しながら、広がりすぎた本邦の「お花畑」を何とかしとかないと…だろうな。
で、お花畑の根っこなんだけど、表面的にジャンルだけを見ると「マスメディア」「学校教育」「人文学界隈」あたり。
これら、要らないかというとそうでもないジャンルなのよね。
妙な先鋭化も一部で進んどるようだが、その先頭を走るトップランナー達を見ていくと、特徴はあるのかなと。
「人格」の概念が違うのかなあ…と、オバサンは思ってしまうのよね。
そこが違うと「人格者」のイメージが大きく違ってくるように思うのだな。
もれなく「人格陶冶」の意味も変わってくる。
【人格者イメージA】
常に学び、他者に対する敬意を忘れず、発信に関しては自らの影響力や権威勾配を考慮にいれつつ自制をもって事に当たる人
【人格者イメージB】
常に学び、豊かな想像力をもって他者に対して共感をもち、正しくないことに対して連帯の声をあげる先導者であり続ける人概してお花畑トップランナーには、前ツイ【B】の人格者イメージを持っているのではないだろうか?
ドイツハイキングニキとか、「恥を知れ」のセンセとか【Bイメージ】では人格者かもしれない。
ただまあ【B】だと、常に「誰(どの集団)に共感できるか」によって、ブレブレになりやすいし
「共感できないもの=悪」とか「我々の共感を批判するもの=悪」
といった方向にも流れやすい。
【B】は、個人の内面にのみ焦点があたる人格像であり、非常に「個人的」であり「ブンガク的」である。
ちと種明かしをすると【B】は実は「民主科学的人格発達論」での、革命前段階での人格発達像だったりする。
ソビエト崩壊から30年以上たった今日においてそんな古臭いもの…ではあるんだが
どうも日本の教育は長年そっち方向に流れてきた感はあるのね。大学も人文学系はその傾向が強い。
…というのは学術会議問題あたりを見ればありありと。
まあ【人格者B】が揃っておられるような気がするぞと。
ただ、本邦に【人格者イメージB】が入って大きく膨れたのは、共産主義の流入が大きく絡むが、それだけが根っこというわけではなさそう。
プロテスタンティズムと文化・芸術との結びつきといった部分もあったようで、政治経済思想としての共産主義とはちと別のレイヤーなのかもしれない。
とりあえず「人格者イメージB」を目指すとするときに必要とされる「学ぶ」以外の要素は
1「想像力を豊かにする」
2「共感的であろうとする」
3「先頭に立ち続ける」
4「正しき連帯のために声をあげ続ける」となる。
これって、ほぼムリゲー。
「共感的正しさ」は1つじゃない。
【B】を推し進めようとすると、共感集団で権威を作り上げ、その権威を利用して声を上げ続けるという路線にはまりやすい。
これは【人格者イメージA】を良しとする人からすれば、ウルトラ禁忌のご法度コースである。
現実問題としては世の中矛盾に満ち満ちているので【人格者イメージA】をよしとする人の方が多いだろう。
まあ、民草はてめーが人格者になろうなどという大それたことは思ってはいませんが【Aタイプ】の方を人格者と認識しやすい。
だってその方が安全だもの。
にもかかわらず、戦後、学者や学校教員に【Bタイプ】を理想としていそうな人が目立つようになっちゃったのよねえ。
有り体にいうと「権力闘争好き」の学者や「民草をバカにする専門家」が目立ってきた。
「鼻につく」のよね。草莽の動物的勘(矛盾だw)でさ。
実際のところ「専門家」にどれくらい【Bタイプを理想とする人】がいたのかはわからないが、活動家タイプの専門家が偉そうな顔をするのが目立つ状態。
今の人文学系や教育の惨状を考えるに、人文社会系や教育学においては【Aタイプを理想とする人】が、隅っこに追いやられていたと思うしかない。
ここで視点を【専門家を目指す】というポイントに移動する。
【B志向】は、若い人には魅力的に映る部分もあろう。
努力の多寡やスピードが才能の差を吹っ飛ばしてくれそうな気がしても不思議はない。
「集団に属し」「集団の正しさ」を信じられさえすれば走っていけそうである。
このあたりの層が長じて(トレンドを形成する能力を持ち得る連中なだけに)新自由主義の風潮の元になったのかも知れないな。