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「報道」の煮崩れ変貌過程・断片

 「報道」ってのは「ニュース」「天気予報」一択で、それは「固い」「難しい」装いが当たり前&「そういうもの」だったのが、ある時期から「もっとわかりやすい」「お茶の間」(これも死語か)にもなじめるようなものに変えてゆかねば、という意識が前景化して変えられていった記憶。

 「生活情報」(とか呼ぶんだっけか)と称するたてつけが「報道」になしくずしに入り込んでいって、「報道バラエティ」(これもある時期からの呼び方のはず)的なありようとして、ある種のテレビ番組のルーティンになっていった過程。

 固くて難しい≒オトナ&オトコの文法・話法、になじめない・よくわからない自分たち≒消費者のマジョリティ≒〈おんな・こども〉、にもわかるような伝え方しないと、的な強迫観念。まあ、「消費者」という神、の増長過程でもあったんだとおも。「考える」より「感じる」ことが、「わかる」になっていった過程とも。

 それ、電通博報堂以下、いまどき広告宣伝系価値観世界観ゼニカネ支配からくりの否定、ないしは首根っこ抑えからしか始まらんような。




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