改めて読み直してみると、こりゃ民俗誌だな、と思う。何の、って、そりゃあなた、「ガクセイさん」の、だ。標準語ではない、正しく関西弁のイントネーションで「ガクセイさん」。そこにピンポイントで合焦している、その精度はかなり高い。ただのお気楽四コマギャグとだけ見ていると痛い目にあう。
1970年代半ばあたり、高度経済成長の達成した「豊かさ」がゆっくりと日常生活の方に還元されてゆき始めた時期の大学生カルチュア、それも東京ではなく正しく京阪神の大学を媒介にした日常生活のディテールについて、読み方さえ間違わなければ今後何十年たってもきっちり読み取ることのできる、それだけの内実を伴ったテキストになっているのだ。大風呂敷広げるならば、遠く明治十年代、かの「当世書生気質」などを生んだ書生という処世(シャレじゃないぞ)に始まるわがニッポンのユースカルチュア、無駄に時間をもてあます宙ぶらりんでモラトリアムな「青春」に巻き込まれた日々の手ざわりの、未だ描かれざる微細で膨大な「歴史」に思いをはせる足場のひとつに確実になり得る、そんな民俗資料としても質が高いのだ、「バイトくん」は。


書誌的なデータは、この「いしいひさいち文庫」シリーズ第一弾の「バイトくん」巻末に、チャンネルゼロ編集部の手によって基本的な情報が示されている。また、ニッポンのマンガシーンにおけるいしいひさいちという描き手の位置づけについては、第二弾「忍者無芸帳」で夏目房之介が「同世代的楽屋落ちの普遍性」というタイトルで簡潔に解説してくれている。一般的な解説としてはもうこれでおなかいっぱい、てなもんだが、ここはひとつ、「バイトくん」のそんな民俗誌としての資質についても語っておくことにする。
いまはどうなのか知らないが、少なくとも70年代、バイトくんたち仲野荘のろくでなしたちが下新庄界隈を跋扈していた頃、東京の人間の発音する「学生」と、関西の「ガクセイさん」とはその中味が微妙に違っていた。何が違っていたか。関西の「ガクセイさん」という呼び方には、「いずれ社会に出てまっとうな勤め人になることがあたりまえな存在」という縛りが東京のそれよりもはるかに強かったのだ。まただからこそ、その縛りから逆照射される「未だ何ものでもない現在」に対しては東京よりももっと〈何でもあり〉なところがあった。特に京都という街にその雰囲気は濃厚で、「ガクセイさんやから」でたいていのことが許される空気はその後もしばらく、個人的記憶としては80年代半ばくらいまではずっとひきずられていたように思う。いわゆる学生運動カルチュアが東京よりも京都で長く生き残っていたのも、またあのやくたいもない「ポストモダン」が妙な形ではじけたのも、そのへん「ガクセイさん」を受容する世間の違いが背景にあったはずだ。

「下宿」というもの言いもまだリアルだった。賄いつきはさすがに姿を消し始めていたものの、風呂なし共同便所、台所も共用の四畳半がデフォルト。まさに仲野荘なわけだが、そういう「下宿」という場で取り結ばれる人間関係というのも、今みたいにアルミサッシとシリンダー錠つきの重い金属製ドアでへだてられたワンルームの学生マンションのそれとまるで違う。廊下の隅の流しでボンカレーをつくっていると、その空き袋をわけてくれ、食パンにつけて食べるから、と声かけられるのもあたりまえだし、バイト先からもらってきた野菜クズや魚の残りがあれば誰かの部屋に持ち寄って鍋がこさえられるのもまた自然だった。野郎だけじゃない、オンナのコだって同じこと。いまなら単なる貧乏ばなしとして消費されかねないけれども、忘れちゃいけない、それこそがわれらの日常だった。その日常を正しくわれらのものとして描く視線が「バイトくん」には一貫して宿っている。民俗誌として読み得るというのは、そういうことだ。
実際、一連の「バイトくん」の中には、そういう「下宿」という場が未だ生きて作動していた頃の常識を前提にしないと、もうすでにうまく読み取れなくなっているものも少なくない。そういう意味ではすでに歴史的テキストになっているのだ。コンビニもなければ、シャワーもない。電話も携帯電話はまだ影も形もなく、ピンク電話が置かれていたらまだましで、ヘタをしたら大家さんちの呼び出しがせいぜい。エアコン目当てで喫茶店で粘ることも、風呂へ行くのに石鹸を借りることも普通にやっていた。将来がまるで見えないのはいまの若い衆以上だったはずだけれども、だからと言ってひとりふさぎこんだり手首を切って見せたりといったいまどきなすさみ方はせずともすんでいた。その程度にのんきであり、気楽であり、まただからこそ信じられるものもあった。
「若い」というのはそういうことだった。いや、言っててこっぱずかしいのだがほんとなんだからしょうがない。そういう「若い衆」を「ガクセイさん」として受容する関西の世間があって、その伝統の内側で初めて「バイトくん」は成立し得た。大学も下宿も、それらをのほほんと取り巻いていた何だか知らないけどお気楽な空気も、いまやひっくるめてもう役立たずなものと認定されちまったようだけれども、それでも、「未だ何ものでもない現在」はほら、いまもそこに横たわっている。