■ 週刊朝日 2000.11.10 評者・荒川洋治
■ 毎日新聞 2000.11.5 評者・川本三郎
『結城真一全集 第一巻』(未知谷)
結城真一という作家を知る人は、世間じゃ例外だろう。あたしも知らなかった。一九一六年東京生まれ。『蛍草』で芥川賞候補に。でもって、八四年に亡くなっているらしい。
そんな作家の全集がなぜ今ごろ出て、またそれが今を生きるあたしたちにとってどういう意味があるのか、ってあたりまでわかりやすく説明してくれるのが書評の役回りのはず。なのにこの全集、やたら書評は出てるくせに、それをやろうとしてくれる仕事は、ないのよねえ。
そんな中、荒川洋治は、まだなんぼかマシかも知れない。
「『第三の新人』の一人として登場したが、早くから、ふつうの作家とはことなる方向へ傾く。友人も仲間も少ない。ひとり部屋にこもる。節度のある、姿かたちのいい秀作を書き継いだが、読者には知られず、本もなかなか出なかった。」
ふむふむ、そんな人なのね、ってことが、まずわかる。それだけでもオッケーだ。その後の自意識過剰の感想文、「いったいいま人は、何を悲しんでいるのだろう。何を、自分のほんとうのよろこびとして生きているのだろう」なあんて、さすが「詩人」という甘味料ズルズルの垂れ流しは勘弁して欲しいが、このシトもなぜか書評界隈のビミョーな利権構造に関与しているらしい御仁。そんな内輪意識がこのズル甘全開の背景になるのでは、と勘繰っちまう。分量半分ならもっと悪くない書評だったよね、これ。
でもって、ほとんどがこの程度って意味じゃ、ああ、またも川本三郎だよ(脱力)。作者の少女趣味にかこつけて、「少女は、単に愛情の対象であるだけではない。美しいもの、柔かなものを蹂躙していく軍国主義に対する、かろうじての抵抗の象徴になっている。」「『私』が信じる文学という精神世界が追いつめられてゆく。戦争の時代に文学は可能かと思わざるを得ない」なあんて、例によって我田引水。ブンガクを自明にしたまんまうっとりするオヤジおたくのたわごとは、ただただ気持悪いぞお。

