子どもたちが日常の生活空間のなかのどのような場所で「犯罪」にあっているのかを、都市計画の立場からひとまず律儀に調査・分析してみせた本である。
都市計画屋と民俗学者は相性がよくない。日々の暮らしの速度の中、話し言葉の間尺で意味づけられて初めて立ち上がる、濃淡入り交じった「場」の視点が希薄で、均質な「空間」ですべてばっさり始末しようとするあたり、同じ〈いま・ここ〉を相手取っても初手から流儀が違う。
もっともその分「闇(やみ)」だの「異界」だのと口走るあやしげなのもいないのだが、とにかくそういう都市計画屋の律儀さが、ある一定の手応えを獲得している仕事だ。
区画整理という政策が生活空間をどのように変えたか、そして駅周辺や集合住宅、一般市街地からいわゆる公園に至るまで、だれもが接している〈いま・ここ〉の生活空間で子どもたちがどのような「犯罪」体験をしているかについて、実地調査に基づいた事例としてひとつずつ示してゆく。写真や図版を加えたファイル形式にしているのもなじみやすい。
ただ、子どもが「いやな目にあった」ことを語る、その語りの向こう側のリアリティーはどのようなものか、といった、民俗学的な批判力は当然ながら欠落している。たとえば、ここで「犯罪」とひとくくりにされている「公園で見知らぬ男に追いかけられたこと」の語り口ひとつとっても、それ自体また別の「歴史」が重層的に介在しているはずなのだ。
危惧すべきは、だから公園は危ないのよ、いや駅のまわりだって、といった方向にのみ、マニュアル的にこれを読もうとする今どきの読者の読解力の方だろう。末尾の「既存の公園を地域住民の手でつくり直していく国民的運動を」といった律儀さゆえの提言が、そういう「読み」とうっかり共鳴してゆく事態も含めて、読み手側の〈いま・ここ〉に対する想像力が試される内容にもなっている。
*1:2000年3月22日『熊本日日新聞』掲載原稿。