●
馬主の話をもう少し続ける。
馬を持つ。自分の庭先に、ではない。厩舎という場所に、調教師以下厩舎のスタッフに預けるというかたちで、持つ。時には馬にさわれない、こわくて仕方ないという馬主もいる。厩舎を訪れた時はもちろん、一番晴れの舞台のはずの口取り写真もおっかなびっくり。ちょっと四股っぱねでもしようものなら一度に五メートルは後ろに飛び下がり、厩務員たちに苦笑される始末。
それでも、馬を持ちたい、持っていたい、という欲望がある。その欲望がそのひとりの人の中でいったいどんな支えられ方をしているのか、正直、僕にはまだよくわからないところがある。
●●
厩舎を経営する立場から言えば、なるほど資本力の大きい馬主の方がいいに決まっている。いい馬を何頭も買ってくれて、預託料もとどこおりなく払い込んでくれて、馬の仕上がりが遅れてもあまり文句を言わず、時には厩務員や騎手や現場の作業に携わる連中を呑みに連れていってくれて、祝儀や小遣いや心付の類もきれいに出し、さらには馬の出し入れについてもうるさいこと言いっこなし、なんていうのはもう夢のようないいダンナということになるのだろう。もちろん、こんな馬主など現実にいるはずもないわけで、だからこそまた、厩舎と馬主との関係はさまざまに屈折したりよじれたり、まあ呆れるほどいろいろな場合がいろいろにあることになる。
牧場にしたところでそれは基本的に変わらない。せりに出される中でいい馬を選んで毎年確実に買ってくれる馬主はもちろん有難いが、競走馬の流通のほとんどが庭先取引である現在、顔と顔を突き合わせてのつきあいある馬主とのさまざまなやりとりこそが身上。それは、仔分けであるのかそうでないのか、いい値での買い手があれば売ってしまっていいのかどうか、先行きパンクすることはないのかどうか、などの条件を塩梅しながらの商売になる。また、市場取引が義務づけられる軽種馬農協所有の種牡馬の産駒であっても、もう事前に話がついていて、せりには出すけれどもそれを確かに落札してくれるダンナの存在というのが決まっていることが望ましいこと、言うまでもない。昨年の秋のせりで話題になったオグリキャップの弟のトウショウボーイ産駒(血統名インディジョーンズ)にしても、前日だかになってせりの上場をとりやめて物議をかもしたのは、そんな事前に話がついていたダンナとの関係の問題があったことはまず間違いない。いくら下話があったとしても、せりに出してしまえばどんなせられ方をするかわかったものではないし、仮りにそうなったとしてももうどうしようもない。せりで数億という値段がついて新聞などで話題になる馬がたまにいるけれども、そんなせり場でのアヤで実際の評価以上のとんでもない値段にせり上がってしまったという場合が多い。だからこそ、せられる危険のありそうないい馬、話題馬や、その他の筋からからまれそうなダンナがかんでいる馬などならば、せりに出さねばならないのになんとかせりを逃れようとすることだってある。もっとも、とりやめる理由には普通風邪とか熱発とかもっともらしい理由がつけられはするのだが。
厩舎にせよ牧場にせよ、事業としてやってゆくためにはそんな馬主との関係は生命線だ。町工場や中小企業にとっての取引銀行と同じ、と言うこともできる。だが、ここは誤解を恐れずにさらに言えば、やはりそれは町工場にとっての銀行というよりも、いわゆる水商売の世界での“ダンナ”や“スポンサー”というのに近い匂いを持っているように思う。資金を出してもらう、世話をしてもらう、そしてそのことによってダンナの方は当然何か見返りを期待するのだが、そこのところをうまくつきあいながら文句を出させないよう、それでいて財布の紐を締めさせないよう、微妙なところで満足を与えてゆく、それが基本線としてある。
ただ、その「満足」というのは利潤をあげるとか具体的に何かを付与してゆくというようなものだけでなく、むしろそれ以外の領域、資金を提供していること自体の満足や、そのような立場にいることそのものの快楽といった部分もあからさまに含み込まれたものだ。事業資金を貸し付けるからと言って、銀行はそんなダンナの快楽に身を任せることはないだろうし、また借りる方もそんな水商売的手練手管を発動することもないだろう。どちらも同じ経済行為として理解することはできなくはないにしても、その間には、何か経済という領域そのものに対する理解の違いというものも抜き難く横たわっているし、さらに言えば、仕事という場に関わる相互の「信頼」というものの質においても、微妙に違う部分もあるように思う。
●●●
そんな馬主たちが馬産地へ行く。当然、つきあいのある牧場を何軒かめぐることになる。とは言え、それぞれに稼業を持っている身のこと、短かけりゃ一泊二日、長くてもせいぜい三泊四日から五日といった程度の滞在がほとんど。いきおい、それはまるで銀座や赤坂に繰り出した時の彼らのハシゴ酒のように、あわただしいものにもなる。
北海道の場合、牧場のオヤジや息子に千歳空港まで出迎えに来てもらう。白塗りのマークⅡあたりならかわいい方で、時には自動車電話を積んだ外車も並ぶ。トランクには長靴が積んであり、とりわけ冬場から春先にかけての雪の季節にはこれは必需品だ。牧場にはたいていこのようなダンナ用の長靴が用意してある。
後部座席には軽種馬協会発行の名簿や、日高地区の牧場の位置を示す住宅地図や、競馬四季報や、その週最新の『競馬ブック』や、道営競馬が開催している時ならその競馬新聞や、それぞれの牧場が作っている生産場名簿や、そんなものがシートに無造作に放り出されたり、背もたれのポケットに突っ込まれてある。
日高へ入るには、千歳からまず早来へ出て、そこから厚真経由で鵡川へ抜ける間道を行く。鵡川で国道に出て、しばらく門別あたりまで走った後、行く先の牧場によってはそれぞれ沢を入っていって、またさらに山間の農道や間道をたどりながら、順次日高の奥へ向かってゆく。
何もなければスピードは呆れるほど速い。ブッ飛ばす。レーダーを取り付けてあるクルマが多いけれども、そんな装置など気にもしていない風に彼らはひたすら飛ばす。
牧場に泊めることもないではないけれども、たいていは静内か浦河に宿をとる。静内の方が歓楽街が大きいし、ホテルも立派なものがあったりするので、静内近辺に腰を落ち着けることが多い。もっとも、荻伏から奥、杵臼や様似やえりもあたりにつきあいのある牧場があったりすれば、これはもう浦河に宿をとるしかない。この浦河と静内の違いというのも、それぞれ語られ方がある。浦河方面からすれば静内は「朝鮮人とアイヌの作ったケツの毛まで持ってかれる街」ということになるし、逆からは「古いばかりで時代遅れの街」てな具合になる。ごく素朴に言って、確かに静内の方が商売に前向きで、浦河は早くから開けた分、どこかくすんだ街並みになっているという印象は否めない。
昔は、いきなり登別あたりにダンナを放り込み、接待攻めにして動きをとれなくしておいて、目当ての馬を売りつけるのが馬喰衆のやり口だったという。それでも、スジの通った牧場の連中はそんな手荒いことをしないのが普通だったのだが、ここ十年あまりの間で地元の牧場も十分に世慣れてきたのか、話半分にせよずいぶんムチャな話も耳にする。
「以前は内地から来るのはタチの悪いのばっかりでさ、日高の連中は泣かされてばっかりだったけどさ、今はもうむしろこっちの連中の方がタチ悪いさ」
まぁ、いずれにせよ商売のこと、昔とてそんなに純朴一辺倒で馬の商売ができたとも思えないのだが、仮りにひとつのもの言いとしてもそんな関係に対する自覚の度合いの変化は、一応反映されてはいるらしい。
そんなさまざまに交錯する商売の思惑の中、馬主たちは「動く財布」のように見られながら、日高を走ってゆく。