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ばあちゃんにまつわる食べられなかったものたち(「音を立ててゆで卵を割れなかった」と未明ラジオの感想を添えて)

余談

愛聴しているPodcastに「午前3時の未明ラジオ」がある。

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語り手の午前3時の初回生産限定盤SPさん(以下3時さん)は筆者と同世代でありながらSuper cool city boyであり筆者とは対極、軽妙洒脱かつ知性あふれる形でゲストを招いたり、単独だったりなぞの助っ人が登場したりして各回話題を縦横無尽に展開していくのだが、世代の近さと3時さんの当意即妙さ、守備範囲の広さで毎回面白く聴かせてもらっている。最近はすっかりこなれてきて本当に一般の人なのだろうか? と思うことしきりである。

今度改めて未明ラジオだけで記事も書きたいと思うが、今回の主題はそこではない。

音を立ててゆで卵を割れなかった

湯葉シホ先生の「音を立ててゆで卵を割れなかった」の話、というかそれにかこつけた自分語りである。ここは筆者のチラシの裏であるので、諒とされたい。

湯葉先生はTwitter(自称X)においてフォロワーさんのフォロワーさんくらいの立ち位置であり、かつて「◯◯さんがいいねしました」として、今では混沌極まるおすすめ欄の清涼剤として、しばしばお見かけする方であった。

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先生について語るとき、ポルノグラフィティの愛好家であることは外せないことはポルノグラフィティを語るにあたってもはやマスターピースといって過言ではないだろう上記noteをお読みいただければわかっていただけるだろう。

わかる……ポルノグラフィティの美しい歌詞を選ぼうとするとき、アゲハ蝶、センラバ、パレットで過半数は埋まってしまうし、Love,too Death,tooは初聴で「これは100万枚」売れる、と思ったものだ。我々は「あなたが幸せならばそれで良いと言いたい」について一生考えていかなければならないのだ。

先生の文章やインタビューを拝見してもその視点、切り口、語り口にポルノグラフィティの面影を感じるようで思わず嬉しくなってしまうことがある。それが本来の才能でそれゆえ似た魂の形を持つポルノグラフィティに惹かれたのか、ポルノグラフィティを摂り入れることでそのようになられたのかは筆者にはわからないが……。

そんな先生がアノニマ・スタジオさんのnoteで連載を開始され、筆者は早速第一回をたいへん面白く読み、その続きを心待ちにしていた。

そして。

以降続きを読むのを、

さっぱり忘れていた……。

というのもちょうど妻のお腹の中で次女が存在感を増してきた時期であったことと、第二回が当初の更新予定日からちょっと後ろ倒しだったこともあったのだが、しかしこれは「メロン的」な話で、今となってはちょっとオイシイと思ってしまう自分が嫌になる(わからない人は、ぜひ「音を立ててゆで卵を割れなかった」を読みましょう)

exloyks.hatenablog.com

あっ! あの連載結局読み逃がしている!

と気づいたのは柚樹ログさんのこの記事がきっかけ。すぐに検索して太っ腹にも刊行後も非公開などになっていない連載分10本(初回も読み直した)をその日のうちに読んだ。ログさんのおっしゃる通り、自分の人生でちょっと引っかかったけどその上に布を被せて生きてきたものがスクロールするたびにはらりめくれていって思い出すような読書体験だった。

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立て続けに未明ラジオにまさかの生湯葉先生御本人登場。3時さんもまた年季の入ったラバッパー……ポルノグラフィティファンであり、その「濃さ」、そしてその歌詞世界と先生の作品感に通底するものを見出す過程はたいへん面白く、どうして高評価は一度しか出来ないのか大いに不満であった。

ことここに至って、「本棚もギチギチだし10編だけでも大満足だったし……」と考えていた自分を恥じ、我が家に「音を立ててゆで卵を割れなかった」をお迎えすることにした。

筆者が読んでいる間に、未明ラジオでは3時さんとログさんが生湯葉先生の話をするというわがままセットのような回がアップロードされた。

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聴きながら、自分も「音を立ててゆで卵を割れなかった」の感想をどこかでまとめておきたいという気持ちがあったが、なかなか果たせないでいた。

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追い打ちのように更新された最新回ではスーパーヒーロー展と生湯葉先生を交えてのポルノグラフィティ講義in居酒屋、あとキンツア匂わせという筆者を憤死させるためにあるような話題が展開され、ますます楽しく拝聴させてもらった。

さすがにそろそろ、メロンになる前に書いておこうと思った。

本題

余談が、ながくなった。

note.com

筆者はありがたいことに旺盛な食欲と貧困な感受性に生まれついたので「思ったより多くて食べきれない」とか「何かが気になって食べられない」ということはほとんどない。(残念ながらガザにおける虐殺に関連して食べるのを控えるようになってしまったチェーン店はあるけれど)特に一人暮らしをして以降、ものを食べられるというありがたみを知ってからは尚更である。

そんな食べるのが大好きな自分が食べられなかったものの記憶がほろほろと蘇ってきたのが上記エッセイ「そういえば死んでいるおばあちゃん」である。すこぶるいいタイトルである。ケンミンショーで見たみそおにぎりってマジなんだ、と驚きつつ、ユーモアが全編を満たしながらもなんとも言えない地上二センチの寂しさをしみじみ読者に感じさせる名編である。しかし先生はエッセイの面白さ=エピソードの強さではないというように仰っていたと思うが、どの話も「強い」と感じる。もちろん先生の筆力のなせる業であることは言うべくもないが……。

そういうことでばあちゃんの話をする。祖母と言うより、おばあちゃんと言うより、ばあちゃんと呼びたい。

ばあちゃんは生きていればちょうど100歳だが97歳くらいで死んでしまった。長女が1歳半くらいのとき。残念ながら次女はばあちゃんを知らない。長女もコロナ禍であったため実際にあったのは片手の指を満たすかどうかといったところである。

ばあちゃんは筆者に優しかった。ゲロ甘だったと言ってもいい。物理的にも甘いお菓子を与えまくり、幼少期の筆者はぷくぷくで虫歯だらけだった。

「これが好き」と言ったらずっとそれを出してくれる、というのはばあちゃんあるあるだと思うが、筆者とばあちゃんにとってはそれはパインの缶詰だった。夏休み、勝手口から台所に入ってばあちゃんに来たよ、と声をかけると、相好を崩して「手を洗ってパインを食べなさい」というのがルーティンだった。冷蔵庫でキンキンに冷えたパインの瑞々しさと甘さは忘れられない。

食べ終わったら居間に行って「ライオン・キング」か「ジャンパーソン」か「ダイレンジャー」のビデオを見る。見終わったらばあちゃんが500円玉を握らせてくれるので坂道を駆け下りて駄菓子屋でコロコロコミックを買う。

坂道をふうふう言いながら帰ってきてござに寝っ転がり、ふろくの「アートボード」という名の下敷きで扇ぎながら読み始める。巻末のボンバーマンを読み終わる頃にはもうカレーが出来ている。ばあちゃんちの晩御飯は早いのだ。ひき肉とグリーンピースの入ったカレーに、ウスターソースが添えられている。食べ終わってびっくりするくらい熱い風呂から上がる頃にはおばちゃんも帰ってきて、3人でガリガリ君を食べる。

寝室で布団に寝転がると、実家では聞こえない列車の走る音や踏切音がほんのり怖いけれど自分より年上の扇風機がカロカロと動いているのを感覚の端っこで感じているうちにいつの間にか眠りにつく……。

書きながら、今すぐ帰りたくなる筆者の夏休み、一つの原風景である。

あれはポケモン金銀にはマリルというポケモンが出ます! というのが一大ニュースだった時だから小学三年生だったはずである。いつもおばあちゃんちに一泊して、翌日の夕方になると、父が迎えに来る。早い夕ご飯を食べて、帰り支度でいつ父が来てもいいように待つ時間。NHKラジオのアナウンサーの声が部屋にいやに大きく響く、その時間がいつも苦手だった。

やがて父がやってきたとき、「今日も泊まりたい」と言った。初めて、連泊の申し出だった。確かに洗濯物はもう乾いているし、夏休みだから月曜日でも学校はない。泊まれないことはない。父は想定外のことに戸惑いながらも、ばあちゃんがいいなら、と決定権を自分の母に差し出し、ばあちゃんはなんもないけど泊まりたいなら泊まりなさい、と言った。筆者は改めて、今日も泊まりたい、と言った。

父は帰っていった。ループから抜け出したような、ゲームのバグ技のようなパターンからの逸脱に不思議な気分になったのを覚えている。ばあちゃんも嬉しそうだった。調子に乗ってその日はガリガリ君を二本も食べた。

でも、それがいけなかった。

翌日は朝から腹を下してしまっていた。他の学区から来ているからラジオ体操のカードが違ってちやほやされる(自分の学区に戻ってもスタンプが違うからそこでも盛り上がって二度おいしい)ラジオ体操にも出席できず、朝もパインをどうにか少し食べて、ござに寝転がってはトイレ、寝転がってはトイレ。

自業自得で苦しむ孫にばあちゃんは「何が食べれそうか」と聞いてくれた。カレー、と答えた。カレーは元気。カレーはパワー。「本当に食べられるのね?」念を押されるが、食べる、と即答する。あんなにおいしいカレーだからこんな時でも食べられるしそれで元気になるじゃん、という確信があった。

ダメだった。もう匂いでダメだった。いつもならいつまでも吸い込んでいたい、瓶詰にして辛いときにかぎたい香りは鼻腔を通じて筆者の腹に容赦なくパンチをしてきた。

結局いつもより早いおやつの時間前に父が筆者を引き取りにやってきた。その日のことはそれ以上よく覚えていない。ただ、その日以降筆者がばあちゃんにカレーをリクエストすることはなくなったし、ばあちゃんは焼きそばをよく作るようになった。

弟二人も成長してばあちゃんの家に泊まりに行くことが増え、必然筆者の泊まる回数は少なくなった。中高部活が土日も入ると尚更である。ただ、テスト前は誘惑の多い自宅よりもばあちゃんの家の方が勉強が捗ったりもした。

高校は電車通学となり、ばあちゃんの家の最寄り駅で降りて(定期の範囲外)突然訪れて驚かせたりもした。そういう時はばあちゃんはコーヒーを淹れてくれた。そしてパインを出してくれた。意外と合うのだ、これが。

大学は県外に進学した。ばあちゃんは時々、おこづかいと一緒にパインの缶詰を送ってくれた。パインの缶詰はプルタブがないタイプで、缶切りは一人暮らし初心者の筆者の家にはまだ備わっていなかった。

そのうち食べよう。

ひとまず、流しの下にしまった。缶詰だけあって賞味期限は二年後。何かのついでに缶切りを買って、その時食べよう。今は大都会広島でサバイブすることで一生懸命なのだ――。

二年が過ぎた。

流しの下の缶詰は12を超えていた。そして、筆者は就活を控え同じ家賃でより交通機関の便のいい場所へ引っ越すことになっていた。パインの缶詰と向き合わなければならない。

初めて缶切りを買う。缶切りにも缶詰にも「缶切りの使い方」など書いていないので、インターネットの叡智に従いながらキコキコやりはじめるも、左利きだからなのかなかなかうまくいかない。どうにか軌道に乗り始めるも、スイスイとはいかない。ばあちゃんはあの細腕で孫が来るたびこんなことをしてくれたんだな、と思う。

どうにか開けた缶詰に直でフォークを突き刺し、輪切りのパインを口に運ぶ。うまい。しかしどこか、あの時の味とは違う。

そうだ、冷えていないのだ。

筆者はそのまま缶詰を冷蔵庫に入れた。今からバイトだ。帰る頃には冷えているだろう。

バイト。バイト終わり。木本君、今日これからマルっちの家でモンハンやるけどどう? え、やりますやります。うわーもう朝だ。解散。帰宅。疲れた。ガノトトスの判定はほんとにカス。ZZZ……。げ、こんな時間だ、サークルの合評会行かなきゃ。人の創作を読むと創作意欲が湧くなあ。あ、先輩鍋ですか? やりましょうやりましょう。いいですいいです、いつもの寝袋貸してください。昨日はありがとうございました。失礼します。やー洗濯物貯まっちゃったな。あっ店長どうしたんですか? ヤッさんがインフルエンザ? 大丈夫ですよ、引越あるんでお金ほしいんで。じゃあ13時から入りまーす。

……。

…………。

………………。ようやく開けた冷蔵庫、糖分たっぷりのシロップは当然細菌にとっても栄養満点で……。

後片付けをするときも漂う甘い香りが、しばらく罪悪感を刺激し続けた。そこから引越まで、パインの缶詰のみで筆者は稼働し続け、どうにか缶ゴミの日に間に合わせることができた。

就職し、結婚し、自らの居を構えた。ばあちゃんは少しずつ背中が曲がり、食べられるものも少なくなっていた。作れるごはんのレパートリーも少なくなっていた。筆者がばあちゃんの家に行くことも、気を遣うようになった。自分の家庭を大切にしなさいと。

そうするうちにコロナ禍がやってきた。我が家には、長女がやってきた。乳児と高齢者。リスクでしかなかった。おばちゃんのスマホに娘の写真をたくさん送った。ばあちゃんは「もぜか(鹿児島弁で「かわいい」)」を繰り返していたらしい。

長女が生後四カ月になってようやく厳重体制の中、対面が果たせた。大正、昭和、平成、令和の世代が一堂に会した。お祝いにおはぎをつくってくれた。ばあちゃんのおはぎは粒が立っていて食べ応えがある。

ばあちゃんはもう、自分のつくったおはぎを食べられなくなっていた。体重は30kgあるかないかだった。

長女がハイハイできるようになった。ばあちゃんは階段のところに座って、長女の名前を呼びかける。長女はそちらへゆっくり、しかし力強く進んでいく。長女の手を取り、頭を撫でる。筆者はバシャバシャと写真を撮る。正直なところ、写真嫌いなばあちゃんの晩年の写真が残っているのは長女のおかげである。

長女が一才になり、ファーストシューズをふるさとのデパート・山形屋で購入して、ばあちゃんにも見せに行こう、と準備をしていた時、ばあちゃんが入院したと知らせがあった。かかりつけの病院の待合室でふっと意識消失してしまったのだという。

コロナの第何波かが来ていて、面会人数と時間には厳しい制限があった。血縁者のみ。子どもは不可。真っ白い病室の中でばあちゃんはびっくりするくらい痩せていて、その前から痩せすぎだと思っていたのにまだ痩せる余地があったなんて。漁師の娘で歯切れ良い鹿児島弁を放っていたことが信じられないくらい、もそもそとなにごとかを語りかけた。口が乾燥しているのもあるのだろう。筆者の名前だった。そうだよ、仮名太だよ、と言いながら握る手は陶器のように白かった。LINEビデオ通話で病室の外で待機している妻に繋いだ。長女がひいばあばを見つけてにこにこする。ばあちゃんはスマホをなぞりながら、また口をもぐもぐとさせた。今度は「もぜか」だとすぐに分かった。

対面としてはそれが今生の別れになった。

経過は良いと聞いていた。明日はまたお見舞いに行こうか、そう考えていたそれから二週間後の土曜日、ばあちゃんの容態が急変したと連絡があった。面会謝絶。絶対安静。いっそのことじゃあ死んでから教えてくれと思う自分が嫌になった。眠れなかった。

翌日日曜日の昼過ぎ、食後に長女がシェスタタイム。妻も寄り添うようにし、筆者も寝不足からその横で眠りにつこうとしたところ、母からの電話で目が覚めた。

ばあちゃんがもう、いよいよということだった。

電話の先にばあちゃんがいるという。

ばあちゃん。当たり前だけど、筆者が生まれた時から今まで、ずっとばあちゃんだったばあちゃん。

口癖のように「ばあちゃんはもうダメだ」と言い続けて四半世紀経っていたばあちゃん。

はいはい、となだめながら、当たり前のように100歳になり、娘がばあちゃんちに泊まる日が来るのだろうと思っていた。

電話から聞こえる風の唸りのような声が、ばあちゃんの声なのだとわかった。最後の命の炎はこんな風に揺らめくのかと思った。

三十を過ぎて、文章を書くのを趣味にしているのに、びっくりするほど言葉が出てこない。ばあちゃん、ありがとう、本当にありがとう、ばあちゃん、ばあちゃん……。それに合わせるかのように、唸りが強くなったり弱くなったりしていく。

いつの間にか電話は切れていた。書斎から寝室に戻ってみると、妻子はまだすやすやと寝ていた。

夕方、家族LINEに母から連絡がきた(父はLINEをやっていない)。

「ばあちゃんが、亡くなりました。」

思いのほか冷静に、わかりましたと返信をした。そのまま勤務先に連絡し、慶弔休暇をもらった。通夜が明日、葬儀は明後日になりそうだった。起きてきた妻子にそのことを伝え、コロナのこともあり様々話し合った結果、通夜のみ親子で、葬儀は筆者のみ出席することになった。

やっぱり眠れずにTwitterを開くと「末期の水としてガリガリ君がいい」というツイートがバズっていた。

どうして思いつかなかったのだろう。ばあちゃんもガリガリ君が好きだったじゃないか。最期にあったとき、口が乾燥してしんどそうだったじゃないか。おそらく一番、ばあちゃんと一緒にガリガリ君を食べてきた自分がどうして気づけなかったのだろう。あの時自分が欲張って食べたあの二本目のガリガリ君は、あの時食べるべきだったばあちゃんの分を奪ってしまったのではないか。

そんな考えても仕方ないことがいつまでも頭をぐるぐるし続けた。

通夜と葬儀が目まぐるしく過ぎ、ばあちゃんの棺が火葬場に入った。何度も経験した、お骨になるまで弁当を食べる時間。少し気持ちもひと段落して、故人の思い出に花が咲く……。

その弁当がどうしても食べられなかった。察した弟が、「ごめん兄ちゃん! 朝あんまり食べられなかったからお腹減ってて、食べていい?」と助け船を出してくれた。弟に弁当を任せ、茶碗に注がれたお茶をどうにか飲み下した。出されたものに一切箸をつけられなかったのは初めての経験だった。

今年のお盆はおばちゃんの家になったおばあちゃんの家に久しぶりに泊まった。実家に泊まる予定だったが、母がコロナに感染したためである。

おばちゃんが昼食の準備を始めると、長女がはりきって手伝いたがる。匂いで娘は何を作るか察してうれしそうだ。

「カレーだ! カレーっておいしいよねえ」

そうだよな。おいしいよな。

長女の炒め方は、妻の日頃の指導もあってなかなか堂に入っていた。確実に1人暮らし初期の筆者より手際がいい。

出来上がったカレーの懐かしい味に思わず泣きそうだった。ばあちゃんの味は、長女が継いでくれるだろう。グリーンピースは、「緑は、今はいいかな」ということで入っていないらしい。令和の柔軟さが隠し味に加わったようである。

 




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