- 牧のうどんで腹ごしらえし、炭鉱が生み出した人工の山、ボタ山へ向かう
- 飯塚市は麻生一族の本拠地であるらしい。ASOスーパーに行ってみる。
- ボタ山には、黒い石がたくさん転がっていた。
- 小鳥の塚
- 井上陽水が育った町糸田で歌碑を見る
- 麻生太郎の選挙事務所を見る
- 博多の屋台でてんぷらを食べる
井上陽水の故郷を見てみたいと思って福岡にやってきた。福岡といえば様々な音楽の才能を育てた場所だ。椎名林檎、ナンバーガール、草野マサムネ......個人的には、音楽といえば、福岡か北海道か。それくらい音楽のイメージがある県である。平成うまれでは珍しいかもしれないが、 数多くの福岡ミュージシャンの中でも、僕はとりわけ井上陽水の書く歌詞が好きなのだ。
博多駅から地下鉄に乗り込んだ。福岡の駅はこぎれいな印象がある。いくつかの駅を通り過ぎ、天神駅で降りた。まず、井上陽水にゆかりがあるらしい喫茶照和に行くことにしていた。チューリップや海援隊など、福岡出身の様々なアーティストがここでしのぎを削って世に出て行ったのだそうだ。駅からは徒歩で数分だった。店は地下にあるようだ。凝った意匠のランプがつられている。歴史を感じさせる、しかし、まだ現役の喫茶であることを感じさせるいいかんじの店構えだ。

階段を降りると陽水のポスターがあった。陽水が斜め上を見上げ、白黒にマッピングされている。僕はさっそく目当てのものが目に入り、大変うれしくなった。

ドアを開けると思っていたよりも二倍ほど広い空間が広がっていた。ライブができるような設計となっているのだ。オープンの時間ぴったりに行ったので、先客はだれもいなかった。店員の方に、コーヒーくださいとお願いするとそういう人がたくさんいるのか「だれか目当ての方がいていらっしゃったのですか」と聞かれた。
「井上陽水が好きなんです」
「そうなんですね。写真は自由に撮っていってください。ゆっくりしていってくださいね」
しばらくすると、陽水の音楽が流れ始めた。確か、桜三月散歩道だったと思う。ここでコーヒールンバとかではなく渋い選曲をしてくるのが、さすがである。僕は耳を澄ました。熱いコーヒーをくっと飲んだ。

せっかく空間を独り占めだったので、壁のサインなどゆっくり眺めさせてもらう。カウンターの奥では陽水がニタリと笑っていた。陽水というのは不思議な存在感をもっているなと思う。

陽水はいつ来てここで歌ったのだろうか。気になって、スマホで検索をしてみることにした。いくつかのサイトを読んでいると、不都合な事実が判明した。なんと、別に陽水はこの喫茶店で歌ったことはないらしいのである。なんだったら、ここで歌っていたと勘違いされているという本人のインタビューまで出てくるではないか。そうなのか...... せっかく来て、陽水の写真を見てコーヒーをすすり、ここで陽水はしのぎを削ったのかとしみじみ歴史に思いをはせていたのだけど、別に全然そんなことはなかったのである。
やや滑稽なことになってしまったけれど、陽水以外の様々な福岡ミュージシャンがここに集っていたという事実は変わらないので、良しとすることにした。のらりくらり人間、陽水にみごとにかわされてしまったところから僕の福岡旅は始まった。
牧のうどんで腹ごしらえし、炭鉱が生み出した人工の山、ボタ山へ向かう
福岡で行ってみたいところがあった。筑豊である。位置としては北九州市と福岡市の間くらいのエリアである。陽水のインタビューで幼いころの町の光景として、かつて炭鉱で栄えた筑豊のことを語っているのを読んだことがあったのだ。陽水は具体的には糸田町というところで育ったようで、糸田町の広場には、陽水の歌碑があるらしいということも知っていた。
井上陽水の幼少期となればもう、70年前とかなのであって、町の景色は今とは全く異なっているのだろうけど、それでも、一度、井上陽水という傑物を育てた町を見てみたいと思ったのだ。

博多駅の牧のうどんでぱっと昼ご飯を食べる。福岡ではうどんは”やわ”で食べることがよしとされているらしいと注文をした後に知った。しかし、おいしかった。

電車に乗り込み、博多を離れ、東へと向かう。うつらうつらしながら一時間弱で筑豊エリアにある新飯塚駅までやってきた。まずは炭鉱が町に残した形跡を見に行くことにした。福岡にはいくつかボタ山という小さな山があるらしい。ボタ山というのは、石炭を採掘するにあたって生み出された廃棄物(質の悪い石炭など)が積み上げられることでできた人工の山なのだそうだ。九州と北海道に多くみられるものらしい。福岡に行くとなって調べるまで、そういうものがあるということさえ知らなかった。

飯塚市は麻生一族の本拠地であるらしい。ASOスーパーに行ってみる。
新飯塚駅から歩いて予約していたカーシェアの車を借りに行く。のがみプレジデントホテルの駐車場に車があるらしい。ふーんとHPのホテルの情報を眺めていたら、このホテルは、麻生グループが経営をしているらしいことが書いてあった。福岡出身の政治家というと麻生太郎という印象があるけれど、飯塚市が地元だったのか。飯塚市には麻生グループの本社もあるらしい。僕は、知らぬ間に、麻生一族の中心地に入りこんでいたのだ。
こんな広告も見かけた。

高市早苗が首相になるにあたってキングメーカーとしての麻生太郎が暗躍していたなどという話があるが、そう考えると、日本の権力の中枢がここを地場としているともいえる。日本は民主主義国家でだれでも政治家になれるといえばなれるのだけど、実際には、いくつかの有力な一族が権力の座の近辺で巨大なパワーを占有しているようなところがある。(日本だけではないけれど)

そういえば、麻生グループはスーパーを経営しているとどこかで聞いたことがあるなと思い、検索してみるとASOというスーパーあることが分かった。僕は車に乗り込んで、スーパーに向かってみることにした。ホテルから3分ほどの距離のところにスーパーはあった。小さなスーパーだけど、駐車場には車がひっきりなしに入ってくる。なるほどこれがASOスーパーかとしげしげと眺める。
飯塚では様々なサービスが麻生一族によって提供されているらしい。

もしかして、ASOスーパーにしかない限定の惣菜とかお菓子とかがあったりするのだろうかと疑問をもち探してみることにした。ぐるっと一周してみたのだけど、意外なことに、麻生っぽいものは無さそうに見えた。ここで何か面白いものがあったりすると、ブログのネタになるのになあと思いながら、水だけ買って、スーパーを後にした。
ボタ山には、黒い石がたくさん転がっていた。
さて、話を戻してボタ山である。中心地からしばらく車を走らせると小さな山が見えてきた。なかなかきれいな形をしている。石炭のくずのようなものを捨てていたわけで、もっと、草木が生えていないはげ山のような感じなのかなと想像していたのだけど、山は木々でおおわれているようだった。なれない道で少し迷いながら、ボタ山に近づいてく。

うーんどっちだ?こっちか?と蛇行を繰り返し、2回ほど道を間違えながら山のふもとまでたどり着いた。近くの公園があったので車を停めた。遠くから見ると小さいものだなあと思ったけど、近くに寄ってみるとこれがなかなかの迫力である。このような大きさのものを人為的に作ったと考えると、それはとてつもないことのように思えた。

住友系の企業が現在でもボタ山を管理をしているらしく、山に立ち入らないように注意書きが立っていた。少し気になったけれど、実際に入っていこうとするとかなりの急勾配だったので、侵入しようとしてもふつうに難しそうだった。山肌を見てみた。小さな石が転がっている。よく見ると黒黒としていて、これは確かに石炭の採掘の途中で出たくずのように見えるなという石がいくつも転がっていた。石の周りを覆うように草が生えていて、時間の経過を思わせた。

山には入れないようだったので、ぐるっと周りを歩いてみることにした。タクシーがとまっていて中で運転手が昼寝をしていた。しかし、それ以外には人もおらず静かである。福岡における炭鉱のことを調べてみる。そもそも麻生一族も、炭鉱で財を成した一族なのだそうだ。
少し歩くと寺があった。寺の敷地はひろく、少しだけ上に登れるようになっていることが分かった。何があるのだろうかと進んでいくと墓地があった。墓地を抜けるとその先には木々に囲まれて石碑が立っていた。
衆魂之碑と書いてある。何なのかなと思い検索をしてみると、身寄りのない炭鉱夫が亡くなった際の慰霊の石碑であるというようなことが書いてあった。なんでも検索できる便利な時代である...... 労働実態について僕は詳しくないけれど、時代も考えると、おそらくとても過酷な採掘がおこなわれていたのだろうなと思う。あたりは鬱蒼としていて人はあまり訪ねてきていないように見える。この地で炭鉱が大きな産業でなくなってから、大変長い時間が過ぎているのだ。そっと手を合わせてこの場を後にした。

ボタ山は、日本の近代化がたどった歴史そのものであるかのような、そんな迫力があった。車で来る時に見えた小さな山は、ひとたび近くまで来てみると、少なくない人が亡くなる中で積み上げられたものなのだなということが分かり、このボタ山はなにか大きな生命体でも見ているかのような存在感を放ち始めた。
小鳥の塚
第一の目的地である。井上陽水の育った町へ向かうことにした。途中休憩してちょっと車を止めて、Googleマップを見ていると小鳥塚というものがあるのを見つけた。炭鉱に関係あるんだろうなと思い、見に行ってみることにした。

小鳥はガスの予知に使われていたらしい。多くの小鳥が亡くなったのだろう。ボタ山の慰霊碑もそうだけど、昔と今では命の価値というものが全然違ったのだろうなあと思う。こちらの塚は綺麗に整備され、今でも花が備えられていた。
ちなみに、井上陽水はカナリアという曲を書いている。
福島を旅行していた時には、牛魂碑という石碑があったなあと思いだした。いろんな地域で亡くなった動物が祀られている。

井上陽水が育った町糸田で歌碑を見る
しばらく走ると糸田に着いた。かといって何か特別すごいことがあるわけではないのだけど、ついに井上陽水の育った町である。道の駅があったので、休憩がてら入ってみることにした。僕は井上陽水が育った町であるからにはこの道の駅にはさすがに井上陽水がBGM として流れているのではないかと思った。何と言っても町の一番の有名人と言っても過言ではないだろう。むしろBGMに流れているのではないかではなく、陽水の何がかかっているのということだけが問題であるように思われた。僕はリバーサイドホテルではちょっと雰囲気に合わないかとか、そんなことを考えながら道の駅に入った。

しかしである。なんとしかし、そこで流れていたのは X JAPAN だったのだ。いや、これはもしかしたら、X JAPANも福岡出身ということが考えられるのではないかと思った。調べてみると、X JAPANは千葉出身であった。僕ははっきり言って明確に落胆したのだけど、まあ、今回はたまたまX JAPAN であっただけで、きっといつも井上陽水がかかっているのだろうなと思うことにした。
道の駅を後にして、歌碑がある広場に向かう。

のどかな道を走っていく。

細い道の先に広場が見えた。中央に確かに石碑が立っている。どうやら井上陽水の歌碑のようだ。何の歌詞が刻まれているのだろう。

歌碑には夏まつりの歌詞が刻まれていた。僕は知名度的に少年時代の歌詞が書いてあるのかなと思っていた。しかし、さすが地元である。そんなミーハーな曲は刻まれていなかったのだ。日本はいろんなところに句碑があるが、石に刻まれるというのは果てしない持続的パワーがある。1000年後の人類も、陽水の歌詞を目にするのかもしれない。

麻生太郎の選挙事務所を見る
飯塚市の中心地へ戻った。車を返却し、少し街を歩いてみることにした。おだやかな川が流れている。景色が開けていて、ただあるいているだけでもなかなか気持ちいい。川にかかる橋を歩いていく。

とくにあてもなく歩いていると麻生太郎の選挙事務所があった。ここに麻生太郎が来ることはあるのだろうか。麻生太郎のレベルだと、来ても数年に一回くらいなのだろうか。

なんとスーパーのみならず麻生グループはボウリング場まで所持しているようだ。この町のあらゆるサービスは麻生一族によって提供されているようだ。

博多の屋台でてんぷらを食べる
博多まで帰ってきた。ホテルの近くで夕飯を食べることにした。何かいい店はあるかなと探していると近くに屋台があるようだった。、まあ観光客なのでミーハーに屋台に行ってみることにした。ふらふらと歩いていると、天ぷらの屋台があるのが見えた。天ぷらか珍しいな。福岡というのは、天ぷらが安くて美味しいんだよなと、僕はその玄海という天ぷら屋台に入ることにした。

ビニールをめくると、ライトが屋台内を照らし、シャーっと気前の良い音が響いていた。屋台は独立した別世界のようだ。ご高齢の老夫婦が店を切り盛りしているようだ。ほぼ満席で、お客さんが席を詰めてくれる。仕事帰りのサラリーマンが右にいて、左側には地元のご夫婦が座っていた。観光客よりも地元の人が多いのはいい店なのかもしれない。
基本的にはコースが推奨されている雰囲気だったので、天ぷらのコースを頼んでみた。目の前には寿司の冷蔵庫のようなものがあって。横長にネタが並べられていた。野菜は綺麗に切られ揚げ油をしんと待っていた。

寒いので焼酎のお湯割りを頼んだ。シンプルなグラスにたっぷりお湯割りがつがれている。赤い机の上でプルプルと液面が揺れていた。

はい、どうぞと言って店主が天ぷらを目の前のケースに置いてくれた。色は白めである。これはなかなか美味しそうではないか。僕はえびをつまんで塩を振り、大口でガブっとえび食べた。ふわふわとしていて衣はかなり軽い感じである。正直1000円ちょっとのコースで、そんなにすごい大きな期待をしていていなかったのだけど、値段の安さを考えるとこれはかなり良い天ぷらであるように思った。

次はカブだ。これもなかなか美味しい。ほくほくとしている。

天ぷらの写真を撮っていると「旅行できたんですか?」と左に座る夫婦が尋ねてきた。
「はい、そうなんです。福岡をぶらぶらしているんです」と答える。
「ここの天ぷら美味しいですね」と言うとそうなんだよね。というような顔で笑っていた。
「それはどこのカメラなの?」
「オリンパスです」
「へえ、どんなにきれいに撮れるんだい」
というので撮った写真を見せる。正直、ぱっと撮ったなんでもない天ぷらの写真なのだけど、その夫婦は僕の写真を褒めてくれた。

天ぷらおつまみコースが終わったので店を後にした。とても良いお店だった。
もう少し食べたいなと思ったので、締めにラーメンを食べることにした。やはり福岡に来たからには豚骨ラーメンを食べなければならない。

少し歩いたとこにある屋台に入ってみた。ラーメン以外にも色々なメニューがあるようで、下準備された串ものがばっと一面に並んでいた。こちらの屋台は観光客が多いようだ。ラーメンくださいと注文をする。何か飲みますか?と言われたので、ラーメンに焼酎か、それはあうのか?と思いながらも、まあ聞かれたからには飲むかと焼酎を注文した。
ラーメンがくるまでちびちびと飲む。

ラーメンが来た。とろっとした濃厚なスープが口の中に広がる。ふわっと豚が香った。麺をずずっとすする。そういえば”かた”で注文すればよかった。うどんの”やわ”も逃し、ラーメンの”かた”も逃してしまった。焼酎を飲んだ。やはり、ラーメンはラーメンで単体で食べるでよいような気がした。炭鉱ではたらいていた福岡の人たちも、仕事終わりに屋台に行ったりしていたのだろうか。くたくたの体への焼酎はさぞうまいだろうなあとか思いながら、チャーシューとねぎをつまんで食べた。

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