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奄美大島の旅。風葬の墓へ行く。そして、浜でさみしさは鳴る。

 

「いいかい、あそこから御霊がおりてくるんよ」

 

ある夏、祖母に会いに行った。久しぶりにあった祖母は元気そうであった。近所で夏祭りがあるとのことで、祖母の軽トラを運転して祖母を神社まで連れていくことになった。

 

神社には鎮守の森があり、あたりは薄暗い。蝉の声がびーびーと響いている。祖母の横を歩く。小さな子供たちが楽しそうにはしゃいでいた。屋台でたこ焼きを買って食べた。たこ焼きというのは時々食べるとめちゃくちゃ美味い。祖母がそろそろやねえと言って歩いていった。何があるのか分からないけれど、僕は祖母についていった。階段を上がると拝殿があった。横にはお社のようなものがあり、それを地元の人たちが囲んでいた。

 

鎮守の森に太い太鼓の音が響いた。いくつも響いた。祖母はお社を真剣なまなざし見つめ、僕にこれは先祖が帰ってくる儀式なのだと説明した。

 

 

死の受容

 

奄美空港に到着した。バスに乗り込んだ。9月下旬、埼玉はだいぶ涼しくなってきていたので、奄美大島も涼しいのかなと思ったのだけど、まだ全然夏と言って差し支えない気温だった。

 

 

奄美にやってきたわけだが、それには、理由があった。最近墓に興味があるのだ。

 

夜中に、僕は配偶者と会話していた。

 

「今度、夏休みに韓国に行こうかなと思って」

 

「へえ、何しに行くの」

 

「古墳を見に行こうかなと思って」

 

「古墳?そう。古墳ね」

 

「もしくは、奄美大島にも行ってみたいんだよね」

 

「何しにいくの」

 

奄美には風葬の墓があると聞いて見に行ってみたいなと思ったんだよ」

 

「どういうこと。つまりどっちも墓じゃん。墓に興味があるわけ?」

 

「たしかに、両方墓だな....」

 

僕は、その時、なぜか自分が墓に興味があるらしいことを自覚したのである。なんでだろうなと思った。それで冒頭の祖母のことを思い出したのだ。祖母はあまり見たことのない真剣な目で、御霊が下りてくるのだと言った。祖母には特段のいわゆる宗教的な信仰はないものと思っていた。しかし、どうもこれは、世俗的ながらに宗教的な、死をどのように受け止めるのかということについての、ひとつの文化的なかたちなのだなと思った。

 

近代化の中で、死の受容の形式は大きく変化していった。祖母の慣習の中にある切実さのようなものは、もう、僕たちの世代には多くの場合残っていないだろう。この百年ほどの間に瞬く間に消え去っていったのだ。そんな夏のちょっとした経験が頭の片隅に残っていて、僕はどうも、墓に興味が出ているようなのである。

 

奄美大島はスープがたぷたぷの鶏飯がうまい

 

ということで前置きが長くなったのだけど、奄美に着いた。バスからはのどかな島の景色が見える。飛行機の出発が遅れ、14時過ぎに着いたので腹がめちゃくちゃ減っていた。何よりもまず昼ご飯だ。奄美大島は鶏飯が名物らしい。

 

 

昼ご飯にしてはかなり遅くなってしまったが、調べてみると一応まだ営業している鶏飯の店を見つけることができたのでそこを目的とした。30分ほどで、最寄りのバス停に到着した。自然がバス停を飲み込まんとしていた。

 

 

けいはん ひさ倉。

 

 

鶏飯というのは、米に、鶏肉をほぐしたもの、卵、薬味などをのせて、そこにあつあつの鶏スープをしゃぱしゃぱとかけるという食べ物である。ちょっと豪華なお茶漬けのようなものだ。15時とかだったので目の前にするだけで胃が明確に反応しているのを感じた。

 

スープは鍋に入っていて、湯気を立ち上らせている。

 

具をのせていく。スープをかけた。たぷたぷである。シンプルであるが、非常に美味しそうではないか。スープがいい香りで、目の前に座っているだけで幸福感がある。しゃぱしゃぱと箸でかきこむ。スープは思ったより味がしっかりしていて、旨味が米および具を包み込んでいる。海苔が香りたち、紅ショウガがきりっと全体をしめ、なんとも美味しいではないか。

 

空腹が、一気に満たされた。これはちょっと遅くなった昼ご飯にあまりにもぴったりだ。自分でも簡易版は作れそうだなと思った。帰ったら作ってみよう。

 

 

カヌーに乗るという夢

ふたたびバスに乗り込んだ。ことことと揺られ、ホテル近くの市街地に出た。もう夕方である。今日は、あまり観光がつがつしようという気持ちでもなかったので、喫茶店に入ることにした。店名がカヌー。なんかシンプルだけど、旅情を感じてかっこいい。

 

 

アイスコーヒーを飲む。すみに仕事をしている人が一人いたけれど、とても静かで、なんとも落ち着いた気分である。旅先のだれも知る人のない街で、ひとりこうしてコーヒーをすすっているのは、なんとも落ち着く気持ちになるものだ。

 

そういえば、カヌーか。一回くらいカヌーをやってみたいなと思っていたのだよなと、ネットで奄美、カヌーと検索してみるとマングローブ畑にカヌーで乗り込めるというアクティビティ的なものが出てきた。楽しそうだ。人類はみな、一度くらいカヌーに乗ってみたいと思うものである。明日、行ってみることにした。

 

 

奄美大島の夏の名物、八月踊り!に遭遇する

ホテルにチェックインをした。夕飯には少し早いので、車でぶらぶらしてみることにした。タイムズカーシェアの車を予約した。とりあえずここは奄美大島なのであり、やっぱりまずは海に行くべきだろう。夕暮れの奄美の海で、時の流れに思いをはせるなんてよいことではないか。

 

15分ほど車を走らせ、大浜海浜公園へ向かった。車を停めると、明るい太陽が、高度を下げながらこちらに熱射を放っていた。40代くらいのダンディとレディな感じの男女が、砂に座り手を重ね、何をしゃべるでもなく海を眺めていた。大人の恋である。僕はその横を歩き、砂にぐっぐと足を強めに差し込みながら波打ち際に向かった。

 

 

テレビで、この夏は、沖縄より東京のほうが暑いのだというようなことがながれていた。僕はそれを信じで、奄美も、もうすっかり秋めいた気温なのかなと思ってやって来たのだけど、すっかり秋めきどころか、浜辺は夏真っ盛りの気温だった。日焼け止めも塗っていないので、陽射しはかなり直接的に僕の肌にしみこんでいる。

 

海はうつくしく輝いていた。

 

 

もう少し周りでも散策してみるかと、しばらく車を走らせていると、神社があった。車を停めて、説明板を読む。蚊が容赦なく僕の血を抜き去っていく。あたりは暗くなってきていて、少し先のところに明かりの灯った提灯がいくつかあるのが見えた。なんなんだろうと歩いていくと、外国人の女性が自転車から降りて提灯の写真を撮っていた。

 

Hiと言われたのでHiと答える。話を聞いているとオランダ人のようだ。浴衣を着た人々がぞろぞろと集まって来ていた

 

地元の人々についていくと、広場があった。近くにいた女性に、何があるですか聞くと、地元のお祭りのようなものですと教えてくれた。しばらくすると町内の人たちが円状に広がり太鼓が響いた。円はゆっくりと回転し始め、歌が始まった。奄美には八月踊りという文化があるようで、旧暦の8月、つまり、現在の9月になると豊年豊作を祈願して、皆で歌い踊るのだそうだ。

 

街灯もすくなくあたりは暗い。指笛がピーピーと夜空に鳴った。三味線がじゃんじゃかじゃかじゃかと響く。子供たちはキャッキャと騒いでいる。隣では引っ込み思案そうな小さな女の子がお母さんの手を握っていた。おっちゃんが近づいてきて、はい、これ飲んでと言って酒を渡してくれた。残念なことに車で来ていたので、その旨を告げると、野菜ジュースをくれた。

 

 

よそ者にも優しい。というか、先ほど話しかけられたオランダ人の女性も輪に加わって踊っていた。みな、踊りはぼんやりとしていて、おおむねあっていればなんでもOKというような雰囲気だった。人数は30~40人ほどだろうか。小さな集落のお祭りだけど、皆それぞれに楽しそうで、よい盛り上がりを見せていた。小さな提灯の下、三味線の音が加速した。子供たちは無心で走り回っていた。これはきっと、今年は豊作に違いないと思った。

 

夜のしめの油ぞうめん

 

街中に戻ってきた。奄美は屋仁川通りという飲み屋街が有名なのだそうだ。酔客がおぼろげなる足取りで歩道をふらふらと歩いていたりする。これはなかなかよさそうである。

 

 

通りを少し入ったところにいい感じの暖簾が出ている店があったので、入ってみることにした。ところがしかし、この店は、自分でスマホでオーダーしてくれ形式の居酒屋であった。ミスった!とおもった。例えば日高屋であれば別に、スマホでオーダーしろと言われれば、はいはいそうですかと適当にぽちぽち押して終わりなのだけど、なんというか、こういった旅行先でふらっと入った店がスマホオーダーだとなんかがっかり感がないだろうか。

 

ということで、僕は、適当に二品注文して、そそくさと店を後にした。(しかし食べ物自体は美味しかった....)

 

うーん、ミスったなあと思いながら、これはもう一軒行かねばならないなあと通りを歩いていると、ひろのという小料理屋があった。めちゃくちゃ入りにくそうである。ドアの横にあるメニューを見てみると、けっこうカジュアルな感じで晩酌セットもあるようだ。入ってみることにした。

 

 

結界のような扉を開くと、対照的に店内は明るかった。カウンターには客がずらりと並び、奥の座敷では、何やら盛大な飲み会が行われていた。

 

「すみません、一人なんですけど」

 

「はいはい、じゃあ、ここの端でいい?」

 

と言って、店員のおばちゃんはカウンターの左端に通してくれた。

 

「飲み物どうする」

 

奄美大島黒糖焼酎が有名なので、「焼酎がのみたいです」と答えた。

 

「うちは後ろの棚にある三本ね」と言われたので、後ろを向くと、焼酎が棚に並んでいた。僕はじょうごという焼酎の水割りを頼んだ。

 

「じゃあ、これにほしいもの書いといて」と言って、おばちゃんは僕に紙と鉛筆を手渡した。

 

 

たこ酢と油ぞうめんと貝汁と紙に書いて、黒糖焼酎を飲んだ。癖が少なくて、柔らかい飲み心地だ。

 

このたこ酢が絶妙に美味しかった。酢の中に一片だけ入っている檸檬がふんわりと香って、たこの食感が心地よく、噛めばうまみがって、シンプルで奇をてらったところもない王道の美味しさだった。

 

 

貝汁も、出汁が美味しくてごくごくと飲んでしまった。黒糖焼酎の水割りに、貝汁というのはあっているのだか何なんだかよく分からないのだけど、お腹をたぷたぷにさせながらひたすら飲んだ。

 

 

しめは油ぞうめんだ。見ての通り、そうめんをにら玉ねぎ豚肉と炒めたものである。出汁も入れて炒めているらしい。小料理ひろの、いずれの料理もとてもシンプルなのに、どれも、ああ、なんか美味しいなあと思わせられる。こういう店をやるのが一番難しいのかもしれない。

 

 

お会計をすると、分厚いガラスの灰皿から小銭をとっておつりをくれた。

 

「どれもめっちゃ美味しかったです!」

 

「そう、よかった。旅行の人?」

 

「はい、いい思い出になりました」と言うと、おばちゃんはにこっと笑った。

 

夜道をふらふらと帰る。屋仁川通りではみな正しく酔っぱらってしまうようだ。八月踊りの太鼓の音が耳に残っていた。月がのぼる、静かな夜だ。

 

カヌーで鬱蒼のマングローブ畑をいく

朝、タイムズカーシェアに乗り込んだ。今日は昨日急に決めたカヌーである。日差しがすさまじい強さだったので、車の中で日焼け止めを肌に塗り込む。オフィスワークが中心の貧弱な肌は一瞬にして焼き払われそうなそんな陽射しだった。車でびゅーんと30分ほど走ると、マングローブの原生林があるエリアに着いた。

 

雄大だ。しばし、ボーっと眺める。カヌーというのは簡単なのだろうか。今まで一度もカヌーをやったことがないわけだが、こんな原生林の中をカヌーで進めるのだろうか。突然不安になってきた。

 

 

受付で、名前と連絡先を書いて、支払いを済ませた。少し移動してカヌー乗り場に寄ってきた。スタッフの人がカヌーを抑えてくれるので、そこに片足ずつ乗り込む。カヌーはぶわっと揺れたけど、無事乗り込むことができた。

 

カヌーの漕ぎ方をレクチャーしてくれる人がぷかぷかと数メートル先に浮いていて、基礎的なカヌーの漕ぎ方を教えてくれた。まあ、左右に回すだけなので、あまり難しいことはないのだが。と、ここでカヌーについてネットで調べてたら僕が乗ったのは、どうやらカヌーではなくカヤックであることが判明した。似ているがどうやら違うものらしい。いま、この瞬間まで、自分はカヌーに乗ったのだと思っていたのでびっくりである。

 

風も少なく、水面は静かで、雲もほとんどない。パドルが水面を叩く音が響く。いい気持だ。

 

 

スタッフが先を漕いでいく。カヌーというのは意外と安定しているものだ。あまり、ぐらついてひっくり返りそうだという感じはしなかった。

 

 

じゃあ、ここから先のマングローブの原生林は自由にどうぞと言って、スタッフの人はさっていった。マングローブというのは、特定の植物の名称ではなく、汽水域に育つ植物全般的なものをさすようだ。ユニークな形の木々がトンネルのように広がっている。パドルをゆっくりと水にさす。カヤックは、すーっと前に進んでいく。単純だけど、楽しい。

 

 

カヤックは物理法則にのっとって、すーっと水の上を進んだ。木々は覆いかぶさるように、先のほうまで続いていた。奥まで行ってぐるっと回転して戻ってきた。乗り場に帰ってきた。終えたら手がプルプルしていた。普段全く運動をしていないので、急に握力を使って、手がびっくりしたようである。

 

口噛み酒に由来する奄美のローカルドリンクみきを飲む

車に乗り込んで、市街地に戻ることにした。喉が渇いたので、途中で目に入った農作物の直売所に寄ってみることにした。

 

 

店内を見ていると、みきという飲み物があった。これは、奄美のローカルドリンクで、もとは口噛み酒の御神酒に由来していているとのことだ。どんなものなんだろうと飲んでみる。どろっとノリのような粘度でなかなかボトルから出てこない。味は、乳酸系の飲料に近く、ちょっと酸味がある。おかゆのような食感で、飲み物というよりは食べ物に近い感じがある。奄美大島では夏バテ防止に飲まれたりするというようなこともネットに書いてあった。おもしろい飲み物だ。

 

 

風葬の墓、城間トフル墓群へ

当初の目的地の風葬の墓へ向かうことにした。車を一時間ほど走らせる。空港を越えて少し行った笠利地区という所に風葬の墓、トフル墓群があるらしい。トフルというのは天国への通り道という意味なのだそうだ。墓群という名の通り、いくつかの墓があるようで、Googleマップに表示じたいはあるものの、正確にどこなのかがよく分からなかった。どのへんなのだろうなあと思って車でうろうろしていると、笠利地区の名所がまとめられた看板が立っていた。どうも9つお墓があるようだ。

 

 

看板の指示通りに進んでいくと、新たな看板が現れた。遺跡として、鹿児島の指定文化財となっているようだ。風葬がメインだった江戸から明治初期まで使われていたとの説明がある。遺体を安置して、しばらくしたら骨を洗い最終的に納骨をしていたようだ。

 

 

と、ここまで来たのでもうわかるだろうと思って、車を停めて、歩いて探してみたのだけど、どこに行けば史跡があるのかは、やはりよくわからなかった。ハブ注意という警句もあったりして、たしかに手つかずの様子の木々が茂っており、ふつうにハブがひょんと出てきて噛まれそうな雰囲気だった。

 

十分くらい歩いていると、ゲストハウスの横の道を10メートルほど歩いたところに教育委員会が立てた看板があるのを見つけた。木々のトンネルの先に風葬の墓、トフルがあった。

 

 

文化財登録され、こうして看板までたっているわけだが、あまりお墓の写真を撮るのもどうかという気もしたので、気になる方は、鹿児島県の文化財のページを見てほしい。木々の生い茂る先が、少し小高くなっていて、そこに横穴があり、納骨がされているようだ。大きなヤシの葉が墓にかぶさるように広がっていた。入口はトタンでふさがれている。墓の前には水を入れていたのか、小さな椀がいくつかおいてあった。

 

ちょっとあるいた別の場所にある風葬の墓は、苔むした石で入り口がふさがれていて、花を立てる瓶のようなものが置いてあった。

 

近くにもうひとつあった。ここは舗装もなく本当にハブが出そうな雰囲気があった。

 

歩いていると、明らかに生物的なものがガサゴソ行っている音が聞こえた。怖いな......とおもいながらも進んでいくと、顔にべちょっと何かが付いた。うわあっと小さな声をあげる。大きな蜘蛛の巣であった。あんなに大きなこんなところがこの集落にはあるよと宣伝する看板があっても、人が全然来ないのだろうなと思った。

 

 

大きな岩が切り出されたような形になっていて、やはり、大きな石で入り口がふさがれていた。木が陽を遮りあたりは暗い。僕は手を合わせた。祖母の真剣な祈りの横顔を思い出した。ちょっと100年もさかのぼれば、色々な風土に沿った慰霊の儀式があったのだ。風葬された遺骨をまわりの人たちが洗骨する。それはどんな経験だったのだろう。朝だったのだろうか、昼だったのだろうか、夜だったのだろうか。会話はするのだろうか。何を思うのだろうか。

 

 

海岸でさみしさは鳴る

 

トフル墓群を後にした。すこし車を走らせた。海が見えてきた。

 

 

車を停めた。海岸沿いを歩いていく。足元でちりんちりんと音が鳴った。死んだサンゴや貝が積もり重なっていて、踏むとそれが擦れて高音で鳴っているようだった。そうか、海岸というのは、骨の集積地のようなものなんだなと思った。何千年もの膨大な様々な生物の死の中にこの海岸はあるのだ。貝には、サンゴには、魚には、慰霊はあるのだろうか。たぶんないのだろうな。しかし、人間にはどうやら慰霊が必要なようだ。しばし海岸を歩いた。綿矢りさは、さみしさは鳴ると書いた。浜は、鈴のような音でちりんちりんと鳴り続けていた。

 

 

 




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