今週のお題「新!」
今週のはてなブログのお題は「新!」。4月の新年度直前ということで、「人生の新しいステージ」を迎える人も多いはず。今回はそんな人生のとある転機について触れてみたい。
先日、あるブログ記事を読んだ。テーマは「司法試験に受からないということ」。法曹界隈では語り継がれている、それなりに有名なコンテンツらしい。すでに更新はストップし、現在はアーカイブしか残されていない。
内容はかなり衝撃的。試験に挑戦し、結果が出なかった者が直面する現実を容赦なく描き出している。これは筆者の実体験に基づくもので、司法試験撤退者のリアル過ぎる現実が赤裸々に紹介されている。特に冒頭の二人のエピソードは読んでいるこちらも胸をえぐられるようだ。
親しい友人との連絡を絶ち切ってある日音信不通になる人。
積み上げてきた年月が空白になったが、それでも必死に人生を取り戻そうとする人。
代替資格に活路を見出そうとしても、決して平坦ではない。いわば、光の当たらない「語られざる側のキャリア」を正面から切り取った、当事者でなければ書けないリアルなドキュメンタリーがそこには描かれている。

企業法務担当者という立場上、私はこれまで様々な弁護士に出会ってきた。中には一部ヘンな弁護士にも遭遇したが、大半の方々はおおむね好感が持てて、プロフェッショナルとしてスマートな印象を受けたものだ。しかし、その影では、このブログで紹介された2人のように夢破れた人達が合格者の何倍、何十倍も(旧司法試験の場合)存在しているのだ。もちろん、彼らの「その後の人生」は続いていく・・・。
今回はこの内容を踏まえ、長年、企業法務の現場に身を置いてきた立場から、企業法務パーソンのキャリアの現実について考えてみたい。
1.資格は「ゴール」ではなく「分岐点」に過ぎない
司法試験は極めて難関であり、突破すれば強力な資格となる。だが、その価値を過大評価するのも危険。重要なのは、「資格そのもの」ではなく、その後に「何を積み上げるか」ではないだろうか。例えば、私が日々経験している企業法務の現場では、弁護士資格の有無以上に、以下のようなビジネスパーソンとしてのバランスのとれた実務能力が問われる。
- ビジネスに対する深い理解力
- 組織を動かすための社内調整能力
- 正解のない局面でのリスク判断力
資格は確かに強力な武器ではあるが、それはあくまで「スタートラインに立つための道具」に過ぎない。通行証を手に入れただけで、その先のレースに勝てるわけではない。
2.「失敗のコスト」という冷徹な計算
冒頭のブログが突きつけるのは、挑戦の裏側にある「機会損失」の大きさ。司法試験に限らず、司法書士試験や公認会計士試験など長期間の勉強時間を要する一点集中型の挑戦には、必ず機会損失が伴う。
- 職歴の空白による市場価値の低下
- 年齢によるキャリア修正の制約
- 人間関係の断絶と精神的な孤立
これらは数字では測れないが、キャリアに深刻な影響を及ぼす。特に日本の雇用市場においては、「連続した職歴」が依然として重視される傾向が強い。私自身、かつて司法書士事務所で働きながら試験に挑んでいた時期がある。当時はかなり悩んだものだが、結局、専業受験生(=無職)の道を選ばなかった。社会との接点を断ち切って無収入となることに不安を感じたからだが、今にして思えば、その選択は大正解だった。もしあの時、実社会との接点を断って勉強に埋没していたら、現在のように企業法務担当者としてのキャリアを築くことはまず不可能だったはず。
3.企業法務という「現実的な最適解」
では、法律の道を志す者にとって、法曹以外にどのような選択肢が現実的なのか。その有力な一つが「企業法務」である。私自身、様々な偶然と出会いの積み重ねでこの道に辿り着いたが、今では自分にとって「天職」だと確信している。さらに、企業法務というキャリアには、資格試験にはない以下の特長がある。
- 資格が必須ではなく、実務経験がそのまま「キャリア資産」になる
- ビジネスの最前線で法律知識を直接還元できる
- 年齢や経歴によるリカバリーが、専門職の中では比較的効きやすい
もちろん、企業法務の世界は甘い世界ではない。しかし、「積み上げてきた知識が無駄になりにくい」という意味で、極めて合理的かつ持続可能なキャリアと言える。実際のところ、私はそれまで培ってきた企業法務のキャリアを生かして複数回にわたって転職してきた。
4.生存戦略としての「撤退ライン」
私は、難関試験への挑戦そのものを否定するつもりはない。何かに打ち込む経験は、人生を豊かにする。しかし、問題は「それをいつまで続けるか」だ。 冒頭の記事に描かれる悲劇の多くは、撤退のタイミングを見失ったことに起因している。 「あと一年」「今回だけは」というサンクコスト(埋没費用)の呪縛から逃れるためには、事前に「何年で区切るか」「どの時点で方向転換するか」という撤退ラインを、冷徹なまでに設計しておく必要がある。つまり、キャリアを守るのは、熱意ではなく、冷静な出口戦略ではないだろうか。もちろん、受験生の集客が最優先である司法試験予備校はそのあたりまで教えてくれない。
5.キャリアを「構造」で捉える
あと、強調したいのは、キャリアは「強い意志」だけで切り拓くものではなく、「確率」と「構造」で考えるべきだという点。 どれほど努力しても、結果が出るとは限らない。受験生には厳しい表現になってしまうが、それが勝負の世界の現実。私もそのあたりは嫌というほど経験してきた。だからこそ、以下の視点を欠いてはならない。
- その挑戦の「成功確率」はどの程度か
- 失敗した場合の「損失」を許容できるか
- 方向転換した際の「リカバリー」は可能か
感情で判断するのではなく、自分の状況を客観的に構造化する。言うは易く行うは難しだが、このドライな視点こそが、長い人生において「その後の自分」を助ける戦略となる。冒頭のブログ記事にある「あまりに残酷な現実」を読めば、用意周到な準備こそが求められることは理解してもらえるはず。
6.まとめ
「司法試験に受からないということ」という記事は、決して夢を否定するものではなく、夢に伴うリスクを可視化した点に価値があると思う。「マイナス情報を理解した上で、難関試験に挑戦してほしい」という筆者の実体験に基づく心の叫びのように思えるが、気のせいだろうか。
重要なのは、残酷な現実から目を背けないこと。そして、自らの置かれた環境と能力を冷静に見極め、最適な一手を選択し続けること。 実務の積み上げ、環境の選択、そして運とタイミング。これらを組み合わせることで、キャリアは何度でも再構築できる。氷河期世代である私自身、過去に司法書士試験からの撤退や法科大学院の受験失敗といった重い過去を抱えながらも、「なにくそ、このままでは終わるものか!」とその時々の選択と行動の繰り返しにより現在に至るまでのキャリアを構築してきた。今思えば、迷走した時期もあったが、これまでの結果にはおおむね満足している。
だからこそこれだけは言える。キャリアは、一つの試験の結果で固定されるものではない。その後の無数の選択の積み重ねによって、いくらでも形を変えていくものなのだと。
