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『司馬遼太郎没後三十年の「この国のかたち」』①

月刊誌・文藝春秋3月号では『没後三十年の「この国のかたち」』と云う特集が組まれ、歴史家の磯田道史氏が「AI時代に読むべき司馬遼太郎」と題して、司馬さんの随筆集・「この国のかたち」が現代を象徴する「AI 革命」への対応にヒントを与えてくれるとの論旨で書かれている。

司馬さんは1996年2月12日に亡くなられこの日は「菜の花忌」として定着し歳時記にも載っている。

私は中学生の頃には故郷の厚狭図書館で司馬作品の虜になっていて、今振り返れば仕事は別にして、その他の部分では精神形成に最も影響を受けた作家だと思っている。

「この国のかたち」は元々「文藝春秋」の「巻頭随筆」に1986年3月号~亡くなられた年の96年4月号まで10年間121回に渡って連載されたもので、連載時は知らないものの単行本化されたものは購入して繰り返し読んだ。

この3月号では特集もあってか、121編のなかからバランスよく「孫文と日本」「戦国の心」「秀吉」の3編が再掲載されている。

「この国のかたち」は時期的に見ても司馬文学、司馬史観の集大成と云えるもので、歴史上の人物の生き方、宗教、時代を動かしたもの、日本の国民性、など広範囲に書かれている。

これ等を書く上で貫かれているものは、司馬さん自身の戦車兵としての体験や歴史認識をもとにした、「日露戦争後~太平洋戦争敗戦まで日本は愚かな国になった」「世界に目を向け現実を知るリアリズムを忘れてしまった」等この時期への反省でありこれからの日本への期待と警鐘であるように思われる。

この点に関して司馬さんが書かれているもののなかで忘れられない文章のひとつが以下の内容である。

司馬さんは学徒出陣で戦車連隊に入隊、満州の戦車学校を経て本土決戦のため栃木県佐野の戦車小隊長として赴任した。

この時上官に「本土決戦のため東京に向かう際、多数の避難民に出会うと思われるがどうすれば?」とたずねると上官は「踏みつぶして行け」と答えた。本来国民を守るべき軍隊が国民を殺すことを躊躇しないと云う愚かさを嘆き、このことが司馬史観の背景のひとつになっている。

磯田道史氏が書かれている内容は次回に載せます。

◉個人的な感想だが、司馬遼太郎さんの「この国のかたち」をはじめとする多くのエッセイには「論語」に由来する「温故知新」(故きをたずねて新しきを知る、以て師と為すべし)という言葉が最も相応しいように思われる。

またこの言葉は歴史を研究することの本質を表しているようにも感じている。

◉今日の一句

 

つくしんぼ見つけハミング早春賦

 

◉一昨日3月9日、健康公園のビオトープと呼ばれる池の周辺で、今年も3本のツクシに会えた。いつもこの時期に数本のツクシを見つけているこの場所が、今年は大きく刈り込まれてしまい駄目かと思っていたが、念のため柵の外から時間をかけて確認し漸く嬉しい出会いとなった。

先日このブログに庭の隅に4つの蕗の薹(ふきのとう)が顔を出している写真を載せたが、一昨日見ると近くにもうひとつ五つ目が顔を出していた。

 




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