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「児玉源太郎」

長南政義(ちょうなんまさよし)著「児玉源太郎」作品社 刊 を読み終えた。年の初めから云うのも少し変だが、多分2026年の記憶に残る一冊になりそうな気がしている。

400頁を超す大著で巻末に挙げられている参考文献一覧はざっと300以上に及び、各頁・各章の注釈にはどこから引用参考にしたかが記されている。

著者の肩書は戦史研究家で、防衛省などでも児玉源太郎をテーマにした講義講演を行っているとのことで、特に日露戦争陸戦史、なかでも乃木希典が率いた第三軍の研究は特筆されるものであるらしい。

児玉源太郎長州藩支藩徳山藩の出身で、明治維新を成した長州閥の第一世代、高杉晋作木戸孝允大村益次郎等に続く第二世代のひとりで陸軍に奉職、満州軍総参謀長として日露戦争陸戦の勝利に貢献したことはつとに有名である。

内務大臣、文部大臣、台湾総督、参謀総長陸軍大臣などを歴任し、総理大臣候補であったものの惜しまれつつ55歳で早世した。

私は児玉源太郎と同じ山口県出身で予てからその事績を知り、機会を得て周南市(旧徳山市)の生地に建立された児玉神社に参拝、その事を2024年9月24日のこのブログに書いたことがある。

前おきが長くなってしまったがこの本は、最近公開された「児玉源太郎関係文書」を始め、先に書いた膨大な関係史料・資料を含めて読み込み児玉源太郎の生誕出自、家庭環境、教育任官、熊本鎮台勤務時代の佐賀の乱西南戦争への対応、連隊長時代、欧州視察、陸軍次官としての日清戦争対応、台湾総督としての植民地経営、陸軍大臣参謀本部次長としての対露戦争準備、日露戦争満州軍総参謀長としての活躍、講和へ向けた影響力行使などの軌跡が縦横に語られる

伝記にありがちな人物の讚美一辺倒ではなく、例えば日露戦争に於ける「沙河会戦(さかかいせん)」の作戦計画の失敗など史実に即して客観的に書かれている。

同郷の人物のなかで第一等のひとりと思える児玉源太郎だが、余りに多才でなかなか端的に表現することが難しいが、著者は「終章」で以下のように表している。

児玉の公的生涯を一言で表現するならば「平時の飽くなき改革者、戦時の卓越した戦争・作戦指導者」ということになろう。

しかも彼が従事した改革や戦争・作戦指導は、歴代台湾総督が失敗した難治の地・台湾での成功や、大国ロシアを相手にした戦争の勝利に象徴されるように、窮境の中での成功であった。その意味で児玉は「窮境に勝利を識る男」といえた。

同郷の元老・山縣有朋が児玉の死を惜しんで詠んだ和歌、児玉を後事を託す「杖」と表した。

越えはまた 里やあらむと たのみてし             杖さえをれぬ 老の坂みち

2024年9月周南市児玉神社訪問時撮影した山縣有朋の歌碑

◉今日の一句

 

冬蔦に絡め捕らはる野面(のづら)積み

 

児玉源太郎

 




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