寺田英視(てらだひでみ)著「婆娑羅(ばさら)大名佐々木道誉(ささきどうよ)」文春新書刊を読み終えた。
最近、小説やコミック本などで「傾奇(かぶき)もの」という言葉が出て来るようになり、どうやらその源は加賀百万石の藩祖・前田利家の甥で、秀吉から「傾奇御免」を許されたと伝わる前田慶次(まえだけいじ)にあるらしい。
傾奇ものとは戦国時代末期から江戸時代にかけて流行した、異風を好み常識を越えた行動をする人を指すが、単なる乱暴ものではなく、そこに文化の素養に裏付けられたものがあった。
その約200年前の鎌倉時代末期から南北朝時代に出現していた、傾奇ものの先駆と云うべき新しい美意識が婆娑羅で、身分不相応に遠慮なく豪奢華麗を求め、力と文化の両方に秀でたものである。
佐々木道誉はその婆娑羅の第一と称される人物で、近江国(おうみのくに・滋賀県)佐々木荘が本貫地、京の京極高辻に館を構えていたことから京極佐々木とも呼ばれ、後の京極氏となる。
道誉は足利尊氏に従い戦乱を生き抜き、室町幕府の重鎮として時に最高実力者として政治を左右した。戦い、政治、芸能、文化、に秀で婆娑羅を貫いた。
京極家はその後紆余曲折があり、丸亀藩5万1千石など複数の家が江戸時代を生き抜き明治を迎えることになる。
道誉の話はこれ位にして、私自身の永年頭の隅にあった疑問点に、この本で新しい知見が得られたことを書いて置きたい。
佐々木道誉が活躍した、「太平記」等で知る人の多い「建武の中興」~「南北朝時代」は、楠木正成や新田義貞、足利尊氏等が活躍する戦乱の時代で子供の頃から興味があり色々な本を読んで来た。
その頃、後醍醐天皇の皇子で征夷大将軍に任ぜられた重要人物・護良親王は「もりながしんのう」とふりがながふられ、同じ皇子で九州で征西大将軍として活躍した懐良親王は「かねながしんのう」であった。
しかし最近の書籍は皆、「もりよししんのう」「かねよししんのう」であり不思議に思っていたが、この本の中ではその経緯や論拠に触れた箇所があり、学会では「よし」という訓む方に傾きつつも、確定させるには史料的根拠がなお弱い状況であるとされ、この本、では「なが」とふられており、この本を読んだお蔭で永年の個人的なつかえのひとつが無くなった気がして少しばかりすっきりした。
◉今日の一句
来し方に禍福の有りて十二月
◉近くの県有林のハゼノキ(櫨)
実(み)は和ろうそくやワックスとして重宝される。長州藩ではこの木蝋と米、塩、紙を四白と呼んで専売制を敷き資金源とし尊皇攘夷活動にも使われた。




