渡辺大門(わたなべだいもん)著「播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史◌畿内と中国の狭間で続いた戦乱」法律文化社刊をようやく読み終えた。行きつ戻りつ地図を確認したり、前後を確認し直したり、人物を調べたりして私にとって長い1週間だった。
兵庫県は日本で唯一律令制に始まる旧国を五つ抱える県で、題名の播磨(はりま)但馬(たじま)丹波(たんば)摂津(せっつ)淡路(あわじ)はその五ヵ国に当たりこの本は副題が「畿内(きない・都の周辺)と中国の狭間」とあるようにまさしく兵庫県の戦国史である。
大阪から神戸市垂水区に越して来て3年を超え、ぼちぼち住んでいる辺りの歴史も知りたいと思っていた矢先、新築図書館が新しく購入されたこの本に出会い早速借り出したものである。
かなり充実した読み応えのある本なので、取り敢えずこの本の「はしがき」をベースにしながら、知識を整理する意味で各地域の戦国史概要を書き出しておきたい。
・播磨は南北朝期以降一時期を除き赤松氏が守護を務め、戦国時代は置塩(おしお・姫路市)を居城とした。室町時代赤松は幕府侍所(さむらいどころ)の所司に任ぜられる四家のひとつであった。
播磨は瀬戸内海上交通の恩恵を受けると共に寺社の荘園も多く有った。
赤松氏は配下の浦上氏などの台頭により徐々に一地域権力に衰退、戦国時代後期になると赤松氏庶流の小寺氏、別所氏などが存在感を示した。別所氏が信長配下の秀吉と戦った三木籠城戦は特筆される。
・但馬は南北朝後期から山名氏が守護であった。山名氏も侍所の所司に任ぜられる家柄で、特に有名な応仁・文明の乱では山名宗全(やまなそうぜん)が西軍の総大将であった。その後徐々に衰退し織田信長に屈すると共に国人(こくじん・地方豪族)衆の台頭を許すことになる。
但馬には生野銀山があり信長や秀吉など天下人が関心を持つことになる。
・丹波・摂津・淡路は室町幕府を差配する管領(かんれい)の家柄である細川氏の所領であった。兵庫県域である丹波西部は戦国時代になると守護代・波多野氏が八上城(丹波篠山市)に拠って台頭し、国人衆も活躍し信長や配下の明智光秀を迎え討つことになる。
・摂津西部(兵庫県域)では細川氏が衰退するとその家臣・三好長慶(みよしながよし)が勢力を築き、信長の時代になると三好氏が衰え荒木村重が有岡城(伊丹氏)に拠って支配した。
尼崎や兵庫津(ひょうごのつ)は水運拠点として発展した。
・淡路は四国が地盤の細川氏の支配が続いた。
・戦国時代は各地で強大な支配力を持つ戦国大名が登場したが、結局この五ヵ国では一時的なものを除き強力な戦国大名は現れず、織田信長、豊臣秀吉の進出登場を待つことになる。
五ヵ国の内摂津国はいわゆる五畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)の内のひとつで、中央の権力者が差配することも多く、他の四ヵ国はこの畿内に接し、簡潔に整理すれば副題にあるように、中国を押さえた者や地元権力者と中央とのせめぎあいの場となったのが現兵庫県県域の戦国時代の姿とみることが出来る。
ここには書けてないが寺社宗教面、産業経済流通面にも筆が及んでおり、兵庫県地方史にとってかなり内容が充実した得るものが多い本である。
◉今日の一句
薩南の立神(たちがみ)忙し神無月(かんなづき)
◉健康公園のクロガネモチ(黒金黐)の実が鮮やか!





