10月26日のブログの続き、
今回のにっぽん丸の船旅は、神戸から出て瀬戸内海から関門海峡経由玄界灘に浮かぶ長崎県壱岐島が最初の目的地である。
地図をみると九州の内佐賀県唐津市が最も近いが、壱岐が長崎県になったのは江戸時代松浦家平戸藩(藩府は現在の長崎県平戸市)の領地であったことに由来する。
女王・卑弥呼(ひみこ)が登場する中国の歴史書・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)などには一支国(いきこく)として記される。
島には450以上の遺跡、280基の古墳があると云われ縄文、弥生、古墳各時代を通じ大陸との交易拠点であった。
律令制下では壱岐国(いきのくに)と呼ばれたが、国境の島として平安時代の寛仁3年(1019)の刀伊(とい・満州女真族)入寇、鎌倉時代の文永11年(1274)元寇文永の役、弘安4年(1281)元寇弘安の役、3度の外敵の侵攻を受け大きな犠牲を出した。
(「刀伊の入寇」については2022年7月12日のこのブログに書いたことがある)
以前NHKの歴史番組「英雄たちの選択」で壱岐を取りあげた際、この島を「交流と衝突の島」と呼んでいた。
一般に壱岐・対馬と並び称されることが多いが、実際には、対馬は平地が少なく山がちで食の一部を朝鮮半島に求めざるを得なかった歴史があるが、壱岐は以下の写真の一部で撮ったように比較的平地が多く耕地が広がっていて、漁業、畜産などを含め一次産業的には豊かな島である。
・神戸出港後垂水沖から見た住んでいる施設の遠景(丘の上に顔を出している)。

・明石海峡大橋通過。

・岡山県・水島工業地域の夜景。

・朝食後デッキに出た際に、突然目の前に現れた玄海灘・烏帽子島(福岡県・えぼしじま)の灯台、地図をみると壱岐島と福岡県糸島半島とのほぼ中間点に在り玄海灘航海の目印になっている。明治8年(1875)点灯、約100年間職員が滞在していたが現在は無人の巡回管理対象になっている。島の面積は約1ヘクタールで、灯火の高さは島も入れて約56m。

(灯台の右手に住居設備のようなものが見えるが、この様な風吹き荒ぶ場所に、100年間人が交代で住んで業務に当たっていたとは本当に頭が下がる。「喜びも悲しみも幾年月」の世界であり海運はこういう人々に支えられている。)
・博多~壱岐~対馬を結ぶジェット船・ヴィーナス号に出会った。


・港で出迎えてくれた、ゆるキャラ・人面石(じんめんせき)くん、壱岐の弥生時代遺跡から出土した人面石がモチーフ。

・島の東側にある断崖・左京鼻(さきょうばな)、北東からの風に吹き飛ばされそうになった。






・壱岐のモン・サン・ミッシェル?小島神社、祭神はスサノオノミコト、イザナミノミコト。
大潮の干潮時に参道が現れ歩いて参拝出来るが訪問時はあと少しで渡れず。




・はらほげ地蔵〈腹に穴(ほげ)が空いている六地蔵〉由来は定かではないが、海女さんや鯨の供養の為とも云われる。満潮時には腹部まで海水に浸される。

・島にも関わらず田畑耕地が多くこの島を明らかに特長付けていて、古代からの歴史がこの平地の多さに裏付けられていることがよくわかった。


・郷ノ浦港繋留中のにっぽん丸。

・出港時和太鼓演奏で見送りをして貰った。

・漁船が大漁旗で見送り、数えてみると11艘も出て貰っていた、感謝。


・出港後、壱岐の島蔭に沈む夕陽

◉今日の一句