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武家の禄高(石高)あれこれ③/色々なドングリ

10月10日のブログ②の続き

慶応3年(1867)12月王政復古の大号令が発せられ翌年明治に改元幕藩体制は終わり中央集権に向け長州藩内でも官制改革が始まる。

明治2年(1869)6月、版籍奉還(はんせきほうかん・土地と民を朝廷に返還)がなされ当面の処置として従来の藩主は知藩事として政府から任命され同時に家臣に与えられていた給領地も返上され全て蔵入れ地となった。

当然家禄制度も改正され従来の禄の10分の1を目安に、1000石以上の家臣は10分の1に、1000石以下はならして100石に、100石以下はそのままとされた。

実質の収入は従来の表高に代えて税率を加味した現石表示に改められ、表高に4割の税率(物成率)を乗じ、更に藩の強制天引き(馳走石)分を差し引いたもので、従来禄高100石の家臣は物成率の40石から馳走石15石を引かれ残り25石を下賜されることになる。

当然この改正は陪臣に及び、厚狭毛利家は一門家ということもあり1000石で陪臣を取り立てるよう指示され、他家共歩調を合わせ家禄改正を行い明治3年「毛利一格家来給禄帳」として整えた。

毛利一格(もうりいっかく)とは当主・毛利元美の別称である。厚狭毛利家では安政2年(1855)に家禄を改めその分限帳も明治3年の給禄帳も山陽町史資料編中巻に収録されている。

両者を比較してみると例えば

・家老・新藤家124石8斗余→17石1斗余

・中小姓通・二歩家 15石→5石1斗余

となる。

給禄帳のまとめでは上士・中士・下士209家で僅かに954石5斗、足軽以下38家74石2斗、合わせて247家1028石7斗を総給禄高として藩中央へ報告された。

この内、3石余が47家、2石余が42家、1石余が44家であり、生活基盤が根底から揺さぶられるものが大半であったことが容易に想像される。

この後新政府は明治9年(1876)追い討ちをかけるように家禄を全廃し少額の利子付き公債(禄高の5~14年分)を与える秩禄処分(ちつろくしょぶん)を行い武士(士族)の特権を完全に剥奪することになる。

現在放送されているNHK 朝ドラ「ばけばけ」ではこの時期の親藩松江藩出雲松平家の家臣の困窮が描かれている。

徴兵制明治6年(1873)

廃刀令明治9年(1876)

明治初期、佐賀の乱萩の乱西南の役など士族の反乱が頻発するのもその背景を考えると当然であったかもしれない。また逆に考えると体制の大転換・革命がこの程度の混乱で成し遂げられたことに驚くべきかも知れない。

◉今日の一句

 

郷土史に苦難読み解く夜寒かな

 

◉ドングリ(団栗)のシーズンがやって来た。子供の頃太く真円に近いものを選んで作ったドングリ独楽(こま)を思い出すが、健康公園でも色々な種類のドングリが有る。

これはスダジイの実、未だ中の椎は顔を見せていない

オマケ、これはドングリを撮っている内に知らずにスラックスに付いた引っ付き虫(ヌスビトハギの種)剥がすのに難儀した。一年一回は失敗する。

 

 




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