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『秀吉と秀長・豊臣兄弟の謎』

最新の月刊誌・文藝春秋10月号から歴史学者磯田道史さんが短期集中連載と銘打って来年のNHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」に関連しこの兄弟の知らぜらる部分を紐解く「秀吉と秀長・豊臣兄弟の謎」を書かれている。

実はこの文章を見るまで来年の大河ドラマのことは知らずこれを読んで「そうかようやく秀長か」と思ってしまった。

世間的には兄・秀吉の蔭で印象薄い秀長だが、若し秀長がもう少し長く生きたら徳川政権は無かったとか、豊臣政権の権力構造を「内々のことは利休(千利休)、公儀のことは秀長」と表す言葉があるように、各種の事績から実力を持って秀吉を支えた存在と云える。

今月の内容のなかで私自身の新しい知識となった項目を抽出しここに書いておきたい。

・秀吉と秀長は母親が同じ異父兄弟で、秀吉は戦場を駆け回る元足軽の弥右衛門の子、秀長は元同朋衆(どうぼうしゅう・事務方で雑務や芸事などを扱う)の竹阿弥の子で3~4歳違い。

・秀吉は右手の指が1本多い多指症で天下人になってからも大名からも陰口が囁かれていた。

・秀長は信長の馬廻り(親衛隊)として天正2年(1574)伊勢長島一向一揆戦に初めて歴史に登場する。これは兄の名前が作用していると共に父が織田家同朋衆であった縁故が効いている可能性がある。

・秀長の最初の名乗りは長秀であった。長は信長が許したと考えられその下の秀は秀吉から採られ序列も考えられている。

・長秀は、秀吉が徳川家康と信長の次男・信雄の連合軍と戦った天正12年(1584)「小牧長久手の戦い」の最中に秀長と改名した。この改名には明確な秀吉の意向があり、織田家ゆかりの「長」と羽柴家の「秀」を入れ換え「もう織田家の下には立たないぞ」と宣言したと考えられる。

◉今年の大河ドラマ「べらぼう」は残念ながら全く観ていないが来年の大河ドラマに視聴者復帰するに当たりこの連載は格好の事前教材に成りそうである

◉今日の一句

 

太秋刀魚無煙で焼くも口惜しく

 

◉施設の庭、白いフヨウ(芙蓉)

 

 




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