国司と書くと通常「こくし」と読んで、古代からの律令制下、中央から地方各国に派遣された官吏や、守(かみ)をトップとする行政機関の名称であり、郡官吏の郡司(ぐんじ)と並び称されることが多い。
ところが山口県には国司と書いて「くにし」と読む姓があり、子供の頃近所にも同姓の人がいた。何よりの有名人は幕末の長州藩家老・国司信濃(くにししなの)である。
(インターネットを見ると国司姓は山口県、広島県、岡山県に多いらしい)
国司信濃は私の故郷・厚狭の東隣村・万倉(まぐら)の給領主でその才を見込まれ一代家老に抜擢され、元治元年(1864)「禁門の変」では藩兵を率いて京に進軍、敗退、後日その責任をとり他の家老二人と共に切腹した。
今まで国司(くにし)姓は国司(こくし)として現地に赴任した氏族が名乗ったのだろうと勝手に推測していたが、以下の通り別の由来によることが分かって来た。
9月30日のブログにも書いたが今読んでいる「出雲と大和」の中に以下の件(くだり)があり思わず刮目(かつもく)してしまった。
岡山県や広島県には「国司(くにし)神社」が沢山ある。みんな大国主神を祭っており明治以前は「国主(くにしゅ)神社」と称していた。
(大国主神(おおくにぬしのかみ)は因幡(いなば・鳥取県)の白兎の話の大黒さまのことで、国づくりの神で出雲大社の主祭神)
国司信濃家は足利氏の重臣・高(こう)氏の出自で安芸国(あきのくに・広島県)高田郡国司荘を領したことに始まると云われ、地縁から毛利氏に従った。尚現在安芸高田市には国司の地名が残っている。
そこで安芸高田市歴史民俗博物館へ国司の地名の由来をお尋ねしたところ以下の答えがあった。
中国地方に多い土地の神「国主(くにぬし)」から来ていて建武3年(1336)に初出史料がある。
以上のことから国司(くにし)は律令制の国司(こくし)に由来するものではなく更に古い時代の出雲大社の祭神・大国主神に由来していることが分かって来た。
また「出雲と大和」の著者は国司神社が広く中国地方に分布する理由として、出雲の人々を中心にした鉄生産との関わりと信仰をあげており非常に興味深い。
◉今日の一句
シャッター街畳屋ひとり夜なべかな
◉健康公園のコブシ(辛夷)の実が弾け始めている。




◉昨日は住んでいる施設の21周年ということで例年通りの食事会があり、初対面の方と話す機会になった。私の掲示した写真を見て貰っているそうで嬉しい出会いである。
with スパークリングワイン、紅白饅頭。
