9月19、20日墓参りで山口県厚狭に帰省し、帰途SL やまぐち号で新山口駅経由JR山口線で島根県津和野市を訪ね同級生に案内して貰った。
①厚狭ヘの帰省
墓参りを終え、昔からある小さな喫茶店で珈琲ブレーク、店主から街の現状を聞いた後図書館へ行き郷土資料を閲覧した後、街を散策した。
・2023年の豪雨で厚狭川を跨ぐ橋梁などが崩壊したJR美祢線は不通が続いており、当然ながら線路は赤錆、雑草が繁っていて、バス代行輸送が続いている。
子供の頃からの記憶が染み付いた鉄道であり、神戸に居てもインターネットニュースなど時折ウオッチしているが、どうやらJR 西日本の提案を沿線自治体が受け入れてBRT (バス高速輸送システム)による復旧の基本方針が決められたらしい。
個人的な想いはともかく、不採算のデータ、厚狭川を跨ぐ工事の再発防止を含む難しさなどを考えると、JRの考えも理解せざるを得ない面がある。
日露戦争前夜、海軍軍艦ヘ美祢の無煙炭を供給するため始まり、石炭や石灰石の輸送で日本の産業振興に多大な貢献を果たした歴史を持つ美祢線の廃止には少なからず感慨を催す。

厚狭街筋の美祢線の踏み切りと北ヘの美祢方面線路


現在の代行バス、通学時間帯は2台で運行

・厚狭図書館には私の「厚狭吉亭日乗」の本2冊を置いて貰っているが、旧知の職員さんにお聞きすると現在貸出中であり、私と同年代らしき方々が多く借り出されているとのことで嬉しい情報が得られた。
・年々歳々人は移ろい行くが、故郷の象徴である松嶽山(まつたけさん)と厚狭川は全く変わらない。
鴨庄から北東の松嶽山

新しく付け換えられた鴨橋から北、上流方向の厚狭川、江戸時代上流の美祢から下流の下津まで舟運が成されていたとはとても思えない川の状況で私が小学校に通っていた時と殆ど変わらない風情である。

鴨橋から南、下流方向の厚狭川、旧山陽道はこの辺りを舟で厚狭川を渡していた。

・厚狭駅と駅前の寝太郎像、駅構内の在来線側で普段使用されてない場所は様変わり。



・子供の頃、賑やかで憧れだった街筋は豪雨被害もあり様変わりしてしまった。
駅前から北、鴨庄方向

駅前から西、寝太郎町方向

踏切から東方向、千町通り

千町から東方向、常磐通りヘ

鴨橋から西の駅方向

鴨橋より東の殿町方向

・千町が原と呼ばれた穀倉地帯も休耕田が年々増えてきた。目測では耕作地と非耕作地は凡そ半々位のような気がする。

*字数も尽きたので②SL やまぐち号と③津和野は次回以降に載せます。
◉今日の一句
山河在り人移ろひて秋彼岸