著者は文藝春秋の編集者を経て「歴史探偵」を自称し近代史や日本がくぐり抜けてきた戦争に関する著作が多数あり令和3年(2021)亡くなられた。
この本は著者の孫が編集者として勤務するPHP 研究所が発行する雑誌「歴史街道」に、「開戦から八十年~『名言』で読み解く太平洋戦争」として掲載されたものに加筆修正したものとのことで、著者が自ら企画した最後の作品になる。
企画段階では名言は37あったらしいが、病床で綴ることが出来たのは14のみでそれがこの本の核になっているが、ここではその中で私の今までの知識を差し替える必要が出てきた「敗因は驕慢(きょうまん)の一語に尽きる」の章を書いておきたい。
昭和16年(1941)12月8日の真珠湾奇襲で始まった太平洋戦争は当初日本の連戦連勝が続いたが、昭和17年(1942)6月5日に日本と合衆国のほぼ中間点の北太平洋で行われたミッドウェイ海戦で、日本の主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を失い、これが戦局の転換点になり、以後日本軍は後退を続ける。
この海戦の直接の敗因(間接的な敗因は沢山有りすぎる)は私の知る限り概ね以下のことで統一されていた。
「空母艦載爆撃機に積んでいた魚雷をミッドウェイ島攻撃陸用爆弾に付け替える作業中に、偵察機が敵空母を発見したため、それをまた魚雷に付け替える作業中の『運命の五分間』を敵急降下爆撃機に襲われ、誘爆も含めた大被害になった」
著者が調べた真相は、
・空母機動部隊の司令部は勝ちに驕り、敵の航空母艦は出て来ないと思い込んでいた。
・待ち伏せされているなどはつゆに思わず、連合艦隊司令部からの指示「搭載機の半数は敵機動部隊を予期し即時出撃可能の態勢をとること」を無視し、始めから陸上爆弾にしていた。
・その失態をごまかすために『運命の五分間』をでっち上げた。
著者は昭和35年(1960)機動部隊の当時参謀長であった草鹿龍之介元中将を訪ね、ミッドウェイ海戦の経緯を尋ね、淡々とした語りを聞いたが『運命の五分間』もなく、「敗戦のいちばんの原因は何であったのですか?」への答えは
「敗因は、驕慢の一語に尽きます。それ以外に真の敗因はありません。それまで連戦連勝であったから、すっかりなめていた。これが大敗を招いたのです。」
この大敗は国民には勝利として発表され、これ以後の大本営発表はウソを連発していくことになる。
◉私見ながら、元々日本側に於けるミッドウェイ作戦の目的は、①ミッドウェイ島を攻略して飛行場を設営しハワイに圧力をかける。②この時出てくる敵空母機動部隊を壊滅させる。という2種類の目的があり軍事上大切な、作戦目的を絞り込むという基本から逸脱していたことも敗戦要因のひとつである。
また連合艦隊は同時期アリューシャン列島攻略作戦も並行して行いこれに2隻の空母を振り向けるという兵力分散の過ちを行っている。
◉今日の一句
エデンにも無花果有りと裸体像
◉健康公園、イロハモミジの翼果 翼が風を受け種子を遠くへ飛ばす。




「戦争というもの」
