相変わらず月刊誌・文藝春秋にはイタリア在住の作家・塩野七生(しおのななみ)さんの随筆「日本人へ」が連載されている。
今月9月号は「戦争よりも大切なのは戦後」と題して、以下の概要でヴェネツィアの歴史を例にして載っている。
・勝ちで終わった日露戦争は高度成長であった。ただその後の日本は高度成長から安定成長へ舵をきらなかった。
・多くの国が高度成長から衰退期に入るのに、別の国だと個人の自由を保証し経済力も維持し独立を保持しながら長寿を享受出来ている。それは安定成長を選んだ成果で、その例のひとつが中世のヴェネツィア共和国である。
・ヴェネツィアは資源の無い都市国家で、支配下にあった北東イタリアなどを加えても人口250万程度、周囲をこの十倍を持つ諸国に囲まれていた。
・ヴェネツィアは他国と同盟を持つことで1300年間戦いに勝ち独立を守り自由を保証した。
・同盟は相手がトクだと思うことで続くものだと考え、経済力(高い生産性)、高い情報収集能力、強力な海軍力等に裏打ちされていた。
・また自国の防衛に協力した人々への処遇も忘れず、例えば1571年行われたトルコ相手のキリスト教同盟軍による戦い「レパントの海戦」で戦死者数が他国は百人単位しか記録にないが、ヴェネツィアだけは一桁まで、ひとり一人が記録に残る。
これは働き手を失った家族に、子が次の働き手になるまでの歳月年金(同時代の中堅官僚マキャベリの年給の4分の1相当)を支払うため記録された。
塩野さんの随筆文は「日露戦争後の日本は働き手を失った遺族への対策したのだろうか。まさか、司令官クラスへ爵位をバラ撒いただけではないんでしょうね」で終わっている。
余談ながらこの疑問について自分自身で調べてみると、
戦死者の遺族年金は階級や戦功によって異なり大将の900円から2等卒の50円程度が支給された。大工の手間賃が1日30~40銭程度であった時代のことである。
大阪府富田林市の当時の支給記録をみると、歩兵上等兵で遼陽(りょうよう)での戦死者に一時金520円、遺族扶助年金50円、歩兵一等卒で南山(なんざん)での戦死者に一時金470円、遺族扶助年金50円が支払われた等の記録が残されている。
◉塩野さんの著作では「ローマ人の物語」が最も有名だが、長編「海の都の物語~ヴェネツィア共和国の一千年」も読み応えがある。また同著「レパントの海戦」も面白い。
現役時代仕事でベェネツィアを訪れ、都市国家時代の繁栄の遺産を確認していたので、塩野さんの文章を正面から受け止めることが出来た気がする。
◉今日の一句
群れ蜻蛉打ち揃ひてのホバリング
◉施設の庭、秋らしいパンパスグラス



