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「空海はいかにして空海となったか」

武内孝善(たけうちこうぜん)著「空海はいかにして空海となったか」角川選書刊を読み終えた。

著者は空海が開いた高野山にある高野山大学に勤務される教授で、空海伝や真言宗成立史を含む日本密教史の専門家とのことである。

日本仏教の父といわれる弘法大師空海は云うまでもなく遣唐使の一員として大陸に渡り密教を受け継ぎ持ち帰り、密教真言宗の開祖となった人物である。

私の生家は密教とは対極にある浄土真宗本願寺派門徒であったが、集落の辻辻には弘法大師を祀った祠があり年一回「お大師様(おだいっさま)」と呼ばれる行事があったり、母親からちょっとしたケガをしたときなど薬師如来真言である「オン コロコロ センダリ マトウギソワカ」を意味不明なまま教わったりして何故か弘法大師が身近に有ったような気がしている。

真言は古代インド由来のサンスクリット語梵語)で、唱えることに意味があり訳すものではないらしいが、敢えて云えば「帰依し奉る薬師仏様病魔を除きたまえ払いたまえ」との意が含まれているらしい〉

その為弘法大師をもっと知りたいと思うのだがそれは密教とは何かと云った宗教的な面ではなくあくまでも歴史的存在としての興味である。

この本は私の希望に沿い宗教の部分に深入りせず、今まで空白だらけであった、空海遣唐使の一員として唐に渡り、密教の師となる恵果阿闍梨(けいかあじゃり)の眼鏡にかない密教を受法し、日本に初めての膨大な量の経論・曼荼羅密教法具などを持ち帰るまでの前半生を、史料を丁寧に読み進めることで可能なかぎり復原しようとするものである。

その中の一例として今までの説を覆す空海の生誕に関わることがあり以下に書き出しておきたい。

司馬遼太郎さんの代表作のひとつ「空海の風景」では、

空海の生誕の地はいまの善通寺の境内である。

と書かれている通り、今まで多くの研究者の共通の理解は空海は父に繋がる佐伯直(さえきのあたえ)氏の本貫地(本籍地)の讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺付近)で生まれたとされてきた。

著者は空海の母が阿刀宿禰(あとすくね)氏の出身であったことに着目し、空海は母親の実家がある畿内で誕生し10歳位迄の幼少期に学者の家系である阿刀一族から基礎的な学問教育を授けられたと結論付けている。

この結論を補強する事実として主に以下の3点を挙げている。

・母の出自である阿刀宿禰氏が讃岐国に住んでいた記録がない。

・この当時の婚姻の形態が妻問婚(つまどいこん・夫が妻の家を訪れ関係を維持する)であった。

空海の父に連なる佐伯直一族の人たちが地方在住者としては異常な高い位階を帯びていて中央畿内に生活の拠点が有ったと思えること。

また空海の飛び抜けた学力や各種能力は、幼少期からの特別の教育なくしてあり得ないことがこの畿内誕生説の考え方の底辺にある。

◉今日の一句

 

新涼や鳶はゆるりと輪を描いて

 

◉施設介護棟の屋上庭園、懐かしいホウズキ(鬼灯)

空海はいかにして空海となったか」

 




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