前川惠司(まえかわけいじ)著「知られざる朝鮮戦争ー日系米兵に捧げるレクイエム」公益財団法人・新聞通信調査会 刊 (2025年3月31日発行)を読み終えた。
著者はソウル特派員などを勤めた元新聞記者で退職後はフリー報道写真家や著述家として韓国関連などの著書が多くある。
この本は表題に現れているように、第二次大戦終了後東西両陣営の代理戦争となった朝鮮戦争に、米軍主体の国連軍に従軍した未だ知られることが少ない日系アメリカ人の記録であり、そのレクイエム・鎮魂曲と云えるものである。
1945年8月日本敗戦に伴い朝鮮半島は北緯38度線を境に北をソ連、南を米国が分割占領し、東西冷戦のなか、各々の影響下で北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南に大韓民国(韓国)が成立した。
この状況のなか勃発した朝鮮戦争は概略以下の経過をたどった。
・1950年6月25日半島統一を狙い北朝鮮軍が38度線を越え韓国に攻め入った。韓国軍は首都ソウルを明け渡したが米国が参戦、国連軍として介入したが北朝鮮軍は破竹の勢いで南進、8月には米韓の国連軍は半島の南端・釜山の一角に包囲された。
・国連軍総司令官に就任したマッカーサーの指揮のもと、9月15日国連軍はソウル近郊のインチョン(仁川)に逆上陸、補給路を絶たれた北朝鮮軍は撤退を開始、ソウルに続き北朝鮮の首都ピョンヤン(平壌)も明け渡し国連軍は中朝国境近くまで迫った。
・10月19日中国軍の大部隊が朝鮮国内に進撃、国連軍は後退し以後ソウルの奪い合いとなり38度線一帯で一進一退となる激戦が続いた。
・1953年ソ連・スターリンの死去や米国・アイゼンハワー大統領就任の政治的な変化を機に、7月27日当時の最前線を境界線とし現在まで続く休戦協定が調印された。
・敗戦で打ちのめされていた日本経済にとってこの戦争は起死回生のきっかけになった。国連軍の後方基地としての役割から派生するいわゆる「朝鮮特需」である。
著者の言葉を借りれば、この本は、「日本にルーツを持ち人種差別と偏見のなかで米国への忠誠を誓い、75年前に勃発した朝鮮戦争で自由を守るため血を流した日系米兵たちの生と死を伝えようとするもの」で、上記の戦争推移の中でひとり一人の生と死が時間空間を含め具体的に記述される。
巻末に「朝鮮戦争における日系米将兵」と題して戦死者・行方不明者256名と帰還軍人33名の名簿と彼らの記述がこの本のどのページに記載されているかの一覧表が載せてある。
「おわりに」を読むと著者はこの本に8年の歳月を掛けたことが記されているが、364ページのこの本にはその歳月の著者や出版担当者、関係者の努力が凝縮されていることがよく理解出来る。
◉よく知られているように太平洋戦争勃発に伴い米国では日系人12万人以上が敵性人として10箇所の収容所で財産も棄て過酷な生活を強いられた。
この朝鮮戦争での従軍日系人の記録部分を読むと、多数の志願者が祖父母、父母、更には自分自身が収容所生活の経験者である。
このような過酷な仕打ちを経験しながら尚、家族や日系人の名誉の為、また自分自身の未来のため、危険な任務に着こうと決意した人々に敬意を抱かざるを得ない。
◉今日の二句
鴉来て時の止まりし秋の蝉
青空へジャズ吹き奏で凌霄花(のうぜんか)

よほど甘い蜜があるらしい、蟻が群がり寄っている。





「知られざる朝鮮戦争」
