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祖父への旅 80年後の傷痕~インドネシア残留日本兵と子孫~

NHK BSで放送されたNHK スペシャル「祖父への旅 80年後の傷痕~インドネシア残留日本兵と子孫」を長い間録画していたがようやく観ることが出来た。

天皇皇后両陛下は2023年6月インドネシアを訪問されこの行事のなかで残留日本兵の子孫らと面会されニュースとなった。

現役時代私はジャカルタ近郊にあった家電工場を指導するため通算でかなりの期間頻繁に訪れたことがあり、その折太平洋戦争や終戦後の日本とインドネシアの関係を自習したが、その要約は以下のようなものであった。

太平洋戦争開戦前のインドネシアはオランダ領東インド(蘭印)と呼ばれ、オランダの植民地であった。ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとナチスドイツは瞬く間にオランダを席巻し蘭印は動揺を来した。

太平洋戦争が始まると日本は石油などの資源を求めて南進、インドネシアの各島に上陸、蘭印軍は一定の抵抗後降伏、日本軍による軍政が始まった。

当初オランダからの解放と理解したインドネシア人も日本の略奪的な政策や独立願望のなかで揺れ動き民族運動も活発化、軍政下では飢饉や強制労働などで多数の犠牲が出たとされる。

日本のポツダム宣言受諾・降伏に伴いスカルノ(後大統領)らの独立宣言、各地各島の武装蜂起が始まったが、この混乱で日本兵、日本民間人、インドネシア人に多数の犠牲者が出た。

オランダは蘭印の独立を阻止すべく軍を送り込みインドネシア共和国軍との間で独立戦争が始まるが1949年12月インドネシア連邦共和国として独立を果たす。

日本兵の中には引き揚げをせず種々の理由から残留してこの独立戦争インドネシア側に立って参戦したものが1000名近くいたとされ、その内生き残った約300名も帰国せず残留日本兵と呼ばれ現地に眠る。

このドキュメンタリー番組は、独立後その影響力の大きさをインドネシア政府に警戒され、家族を残して日本に帰国させられた残留日本兵インドネシア人の孫(3世)が父親(2世)と共に祖父である日本兵(黒岩通)の足跡を探す過程を記録したものである。

番組内で徐々に判明してくる祖父・黒岩通の足跡概略は以下の通り。

・台湾で召集され日中戦争に従軍し5年後除隊、その後南方軍政のための軍属となる。

・日本の軍政時代スマトラ島アチェの現地責任者(特別警察隊長)のひとりとして過酷な統治に加担した。

・その責任を感じ懺悔の気持ちもあり敗戦後もインドネシアに残り独立戦争に協力し指導者として実績をあげた。

アチェ州では中央政府が恐れる程の人望がありこの結果国外追放の形で日本に帰国した。

インドネシア政府は日本兵のお蔭で独立出来たとなることをひどく嫌がった)

インドネシアに残した家族(妻と2人の男子)を何時も気にかけていた。

🔘孫(3世)やその父親(2世)は日本人の血を引いていることでいじめられ、また祖父(黒岩通)が何も告げずに去ったことで自分たちは見捨てられたのではないかと思うことがあったらしいが、来日調査で決してそうではないことが明かになり、万感の思いで涙を流す場面があり、私も貰い泣きしてしまった。

🔘インドネシア現代史はかなり知っているつもりだったがこの番組のお蔭でかなり深まった気がしている。

🔘今日の一句

 

朝歩き百合と出逢ひて背筋伸ぶ

 

🔘施設介護棟屋上庭園、菊科のクリサンセマムと思われる。

 

 

 




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