田辺旬(たなべじゅん)著「戦死者たちの源平合戦・生への執着、死者への祈り」吉川弘文館(歴史文化ライブラリー579)を読み終えた。
「治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の内乱」いわゆる源平合戦は12世紀末に日本で起こった数年間にわたる全国規模の内乱である。
例えば私の故郷・山口県厚狭を象徴する松嶽山・正法寺(まつたけさんしょうほうじ)は、壇ノ浦合戦の前後に源平何れかの兵に焼討ち略奪を受け堂塔伽藍が灰塵に帰している。
内乱当初には官軍であった平清盛に代表される平氏一門が滅亡、反乱を起こした源頼朝が勝利して鎌倉幕府が成立、幕府と云う新しい武家政権を生み出した。
またこの内乱は仏教や文学などにも影響を与え国土を荒廃させたが、当時の人々に衝撃を与えたのがかつてない程の戦死者を出したことで、この本は史料をひもとき、戦闘員や非戦闘員を問わず合戦によって死亡した戦死者に、当時の人々がどう向き合ったかに着目することで、日本中世の戦争や社会について考察を加えたものである。
従って例えば「首を取る」と云うことがどういう意味を持ち、首はどのように扱われたのか、その確認や運搬の方法、敗者側勝者側にどのような影響を与えたのかなど、現代人には少し遠慮したくなるような内容を含めて考察される。
色々な戦死者の事例が取り上げられているがここでは私もよく知る倍賞千恵子さんも歌っている唱歌「青葉の笛」で説明される平氏の二人のことを書いておきたい。
二人の最期は何れも現在私が住む神戸市で戦われた生田の森・一の谷合戦のもので「平家物語」のなかでも語られている。
(青葉の笛歌詞)
(1番)一の谷の軍(いくさ)破れ 討たれし平家の公達あわれ
暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか青葉の笛
(2番)更(ふ)くる夜半に門を敲(たた)き わが師に託せし言の葉あわれ
今わの際まで持ちし箙(えびら)に残れるは「花や今宵」の歌
1番の平家の公達(きんだち)とは平清盛の甥の平敦盛、笛の名手で「青葉の笛」と云う名笛を譲り受けていた。合戦に敗れ沖の船に逃れようとするところを源氏軍の武士・熊谷直実に討たれた。直実は敦盛の若さに驚き助けようとするも断られやむなく首を取る。
(誠に余談ながら江戸時代私の生まれた村・鴨庄を治めていたのは毛利氏に臣従していた直実の子孫に当たる熊谷氏である。)
2番は平清盛の異母弟であった平忠度(たいらのただのり)のことで、歌人として優れ、源義仲に攻められ平家一門が都落ちする際、歌の師である藤原俊成(ふじわらのとしなり)を訪ね自作の歌を届けたことを歌っている。
平忠度は源氏軍の武士・岡部忠澄(おかべただずみ)に討たれたが忠澄は敵を討った後、箙(えびら)に結びつけられた和歌を見つけて忠度を討ったことを知ったといわれる。
書かれていたのが以下の「花や今宵」の歌、
行きくれて 木の下かげを やどとせば
花やこよひの あるじならまし
これも全くの余談で申し訳ないが、忠度の官職名は薩摩守であったが、私が若い頃は鉄道などの無賃乗車のことを「薩摩守」と云った。忠度・ただのり・ただ乗りと云う語呂合わせ繋がりで隠語となったものである。
🔘今日の一句
夏の夜は異土での辛苦夢のなか
🔘施設の庭、シラン(紫蘭)





「戦死者たちの源平合戦」
