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『「坂の上の雲」と日本人』/カリン(花梨)の花

関川夏央(せきかわなつお)著『「坂の上の雲」と日本人』文藝春秋 刊を読み終えた。

著者は小説家、ノンフィクション作家でかつては漫画原作も手がけられていたらしい。

「あとがき」を読むとこの本は、編集者の提案で「坂の上の雲」を精読し月に一度出版社の若手編集者有志にレクチャーし、それを後で手直しして雑誌「文學界」誌上に連載し、まとめて単行本化されたものである。

私も「坂の上の雲」は何度か精読しているので、若手編集者にレクチャーしその質問を受けると云うプロセスのレベルの高さがわかる気がしている。

著者が司馬遼太郎の殆どの本を読み込んでいることも分かるし、乃木将軍の旅順攻略戦やバルチック艦隊連合艦隊との日本海海戦の経緯や評価なども、司馬遼太郎説を全て肯定するのではなく客観的に見ていることが分かり好感が持てる。

内容が多岐に渡るためこのブログに何を書くか迷ったが、私が若い頃初めて「坂の上の雲」を読んだ際同じ疑問を持った、「何故主人公のひとりが正岡子規なのか」と云う問いへの解答らしき箇所がありこの部分を書くことにした。

坂の上の雲」は云うまでもなく明治の日本が直面した日露戦争を、四国松山に生まれた秋山好古、真之兄弟と正岡子規を通じて描いたものだが、正岡子規文人であり、明治35年(1902)に死去していて明治37年(1904)に勃発した日露戦争には出逢えていない。

司馬遼太郎が子規を主人公の一人にしたことへの著者の見立ては以下の通り。

司馬遼太郎私小説とは無縁で「坂の上の雲」もまた写生小説の大作であり、子規が強調した「写生」と重なる。

司馬遼太郎は日本の地形と封建制度からみて、ある地域が持つ文化風土から地域独特の人材を生み出すと云う考えを持っており、日露戦争で陸、海で重要な役割を果たす秋山兄弟と子規が松山の同じ町内の出身であることが重要であった。

司馬遼太郎は明治をオプティミズム楽天主義)の時代と肯定的に捉えていて、子規が病気を持ちながらも生来の楽天主義で、自分を不幸であるとは思っていなかったような生き方を貫いたことを時代に適合した資質を持っていたと評価した。

🔘今日の一句

句を紙に書き出した後、確かめる為漢字の部分を辞書を引くと、点の有無、線の止めの位置、はねの状態等微妙に違う。日頃スマホやパソコンに馴染んでいることの反省である。

 

句の詠みの誤字の多きに山笑う

 

🔘カリン(花梨)の花 今年は当たり年のような気がする。カリンの実は硬くてとても生食は出来ないが砂糖漬けやのど飴の原料にもなるらしい。

一昨年その実を初めて見たが花を見るのは初めて、実には似つかぬ小さく可憐で正直なところ驚いた。

・健康公園

施設の庭、まだ少し早いようだ、

坂の上の雲と日本人」

 




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