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「高須(たかす)四兄弟」と徳山藩八代・毛利広鎮の子女①

武士(武家)を象徴する言葉として「一所懸命(いっしょけんめい)」ほど的確にその本質を表すものはない。

自分の所領、自分たちの土地に命を懸けることが最も大切な生きる道であり、それは先祖代々開墾したり戦場で高名を挙げて得られたもので、それぞれの「家」に属するものである。

もしその家が絶えると土地は他人のものとなったり、より上位のものに召し上げられる。

従って子がない場合や早死にした場合など、他家から養子を迎え家を継がせないと縁者や家臣は路頭に迷うことになり、場合によっては血縁がなくても優秀であればその家を隆盛に導く可能性があり、中世や近世を通じ子供の死亡率が高いことも相俟って頻繁にこのような縁組みが行われた。

例えばその家の子が優秀と云う評判が立つと、その兄弟には養子話がひっきりなしに舞い込むことになる。

幕末史ではよく知られた「高須四兄弟」と云う言葉がある。

高須とは美濃国(みののくに・岐阜県高須藩(現在海津市)3万石のことで徳川御三家尾張藩支藩である。

第10代藩主・松平義建(まつだいらよしたつ)には一説によると10男9女がありその内6男1女が成人したといわれる。

四兄弟とは松平義建の男子、以下の4人のことで、それぞれの家の養子に入り各々の立場で幕末から明治維新を生き抜いた。

・次男慶勝(よしかつ)~御三家筆頭の尾張徳川家、御三家でありながら尊皇思想で新政府に与した。

・5男茂栄(もちはる)~御三卿(ごさんきょう)の一橋徳川家、宗家や御三家に人が無い場合将軍職を継ぐ家柄で15代将軍となった慶喜の跡を継ぎ当主となり、慶喜謹慎の後、徳川家を代表して新政府と交渉した。

・7男容保(かたもり)~会津松平家会津の家訓を守り「京都守護職」を勤め幕末京の治安を新撰組などを指揮して維持し、その後も維新政府に徹底抗戦した。

・8男定敬(さだあき)~桑名松平家、兄容保と同時期に「京都所司代」に就任、徳川幕府に忠誠を尽くし維新政府に徹底抗戦する。

明治11年(1878)4人は父の法事で再会し記念に撮った有名な写真が残されている。

🔘字数が尽きたので、私のふるさと・厚狭にも関係する長州萩藩の支藩徳山藩の件は次回に書きます。

🔘今日の一句

 

珈琲に霞溶け入る朝戸風

 

🔘健康公園のユリノキ(百合の木)

健康公園を歩いて久しいが、モクレン科の落葉高木でユリノキと云うのが植わっているのを初めて知った。

野鳥の鳴き声に引かれて見上げた際に、チューリーップのような形のものが落葉した枝に沢山ついているのを見つけ樹の標識を見るとユリノキと書いてあった。

調べて見るとこれは花が咲いた後の集合果と云う実の集まりで、チューリップの花びらに相当する細い実は風が吹くとひとひらづつ枝を離れて落ちてゆき、くるくる回ることで時に100m以上も飛んでいき中に含まれる種子を撒くらしい。

花は若葉の頃に咲くらしいが上向きに高い位置で咲くのでなかなか気付き難いので今後楽しみに観察しようと思っている。

 

 




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