なかにし礼著『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書刊を読み終えた。
著者のなかにし礼さんは歌が好きな人なら誰でも知る作詞家・ヒットメーカーで後には「長崎ぶらぶら節」で2000年に直木賞を受賞されるなど作家としても活躍、2020年12月亡くなられた。
著者は平成以後の日本調の歌は演歌であり、歌謡曲は昭和の終わりと共に終焉を迎えと云い、歌謡曲とはなにより流行歌(ヒットをねらって売り出される商業的な歌曲)でありこの条件を満たすかぎりポップス、演歌、都会的でも、民謡風でも、アイドル歌謡でも、フォーク系でも全て包含していると定義している。
本の内容は古代、中世にまでさかのぼる日本の「うた」の歴史から解き起こし、昭和歌謡の変遷が詳しく綴られる。
この本を読んで気が付いたのだが(本の中では全く触れられていないが)著者が作家活動を始められたのは1990年代と思われる(98年に「兄弟」を発表)が、まさしく平成の始まりと符合していて歌謡曲作詞家としての著者は、言行一致で歌謡曲の終焉を自覚して転進を図られたものと推測される。
私もリタイア後カラオケを練習するようになりその大半は昭和歌謡だが、その持ち歌のひとつが、(詩・なかにし礼、曲・浜圭介、歌・北原ミレイ)「石狩挽歌」で著者は作詞家生活での三つの自選歌のひとつとして挙げられている。
この詩作の過程を著者は語っているのだが、少し長くなるが一番だけその詩を紹介すると、
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンがくると/赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で/わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれから ニシンは どこへ行ったやら/破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸/わたしゃ涙で 鰊曇りの空を見る
作りたかった歌の構造について概略以下のように書かれている。
「昭和戦前の時期にニシン漁でにぎわった浜も戦後すたれてさびれ果てている。娘盛りのころニシン場で働き今は老婆になった女がその浜に立ってニシンのいた時代、その時代を生きた人びとの全てに対する挽歌を歌う」
そんな重い歌の中で歌い手の老婆と聞き手が心を分かち合えるような言葉を一週間探し、<ひらめき>が降りてきた、「オンボロロ」である。
この幾分とぼけたような、しかし無限に思いがこめられた言葉がひらめいた瞬間、いい歌ができたことを確信した。
🔘次にカラオケで「石狩挽歌」を歌う際はこの事を頭の隅に置いて歌ってみたい。
🔘今日の一句
早梅や天神様の御座(おわ)す街
🔘施設の介護棟の庭、シクラメン




