10月26日のこのブログで書いたように、NHK でスペシャルドラマと銘打った司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が再放送されているが、ここに来て「子規、逝く」と題した前、後編が放送された。
云うまでもなくこの小説・ドラマの三人の主人公のひとり正岡子規の脊椎カリエスによる死の前後を中心にしたものだが、子規役・香川照之さん、妹の律役・菅野美穂さんの演技と相俟って胸に沁みるものがあった。
この録画をみて原作の関連部分を読み返す気になり図書館で借り出し、全集のなかにある「坂の上の雲」の「子規庵」と「十七夜」の独立した二章を読み終えた。
今まで全編を2度読んでいるはずだが、その何れも日清戦争、日露戦争が記憶の中心で、2年前に俳句を始め句作を模索するなかで、この辺りを読み返してみて、正岡子規にわずかに近付いたような気がしている。
正岡子規が死んだのは明治三十五年九月十九日の午前一時である。
と原作に書かれてあり35歳であった。
手持ちの俳句歳時記には、子規忌として9月19日が挙げられていて、併せて同日を糸瓜忌(へちまき)、獺祭忌(だっさいき)とも云う。
これは子規の絶筆句
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
また子規は別に獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)と号したことに由来する。
《獺(かわうそ)が、捕えた魚を岸に並べる習性を獺祭といい、文章家が資料を広げ散らかす様を見立てた》
子規は死期の迫った状態でも「病牀(びょうしょう)六尺」と名付けた日課の短文を口述し、それを書写したのは交代で泊まり込んだ高浜虚子や河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)等で、二人は子規の近代俳句の業績を継承し、虚子は写実写生、碧梧桐は自由律の源流のひとつになった。
番組では原作の記述をなぞり、虚子が子規の死を関係者に知らせ、慌ただしく子規庵に戻る途中に何者かが動いて行く様を感じ、それが子規の霊だと思い即興で句を詠んだことが紹介されて、この回の象徴的な場面になっている。
子規逝くや十七日の月明に
原作には、子規の死んだ夜は十七夜の月で、
夜ともおもえぬほどあかるかった。
と書かれている。またこの句は虚子の代表作のひとつとして紹介されることも多い。
また司馬さんは子規が世を去ったことを描き終わった次の章の冒頭で、
この小説をどう書こうかということをまだ悩んでいる。子規は死んだ。好古と真之は、やがては日露戦争のなかに入ってゆくであろう。
と書き、この原作に於ける正岡子規の存在の大きさを率直に著している。「坂の上の雲」は決して戦争だけの物語ではない。
🔘今日の二句
老骨を隠して香る柚湯かな
疵あるをリサイクルして柚湯かな
🔘小束山県有林、ヤマツバキ(山椿)と思うのだが。




