今回の厚狭への帰省で、立ち寄りを計画したもう一箇所が山口県周南市鹿野の臨済宗南禅寺派の名刹・漢陽寺で、この地に暮らす中学同級生に案内して貰った。
(余談ながら歌舞伎で大盗・石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と見得を切るのが京の南禅寺山門である。)
このブログでも2019年12月27日『周南市「漢陽寺」名前の由来』などで触れたことがあるが実際に訪れるのは初めてになる。
訪れてみて寺の山号が鹿苑山(ろくおんざん)ということを初めて知った。鹿苑とは字のごとく鹿の園で、一般に釈迦が法を説いた場所とされる鹿野苑(ろくやおん)から来ている。
すなわちこの山号は古くからの鹿野の地名にも関連しているのではないかと思われる。


以前にも書いたが、寺の開基は中国地方に覇を唱えた大内氏26代・大内盛見(もりはる)で、父である24代・大内弘世(ひろよ)がこの地に建てた庵を引き継ぎ祈願所として建立されたものである。
その為瓦や釘隠しにいわゆる大内菱といわれる紋が入っている。


大内氏滅亡後は毛利氏の庇護も受け、釘隠しのなかには大内菱とあわせて毛利氏の一文字三星紋が入っているものがある。

なんと言ってもこの漢陽寺を代表するのが昭和期の著名な庭園家・重森三玲(しげもりみれい)が手がけた多くの庭で以下はその一部。
曲水の庭

蓬莱山池(ほうらいさんいけ)庭

祖師西来(そしせいらい)の庭

地蔵遊化(じぞうゆうげ)の庭

九山八海(くせんはっかい)の庭

以前のブログでも触れた開山・用堂明機禅師像。

消災石
開山禅師にゆかりの災いを消す石として祀られている。

鐘楼

寺の裏手にある約90mのトンネル水路・潮音堂(ちょうおんどう)
江戸時代初期、この地の水不足に対応するため岩崎想左衛門重友が私財を投じ、錦川の支流から約200mの水路を形成したうえでノミとツチで漢陽寺裏山を掘削して遂に鹿野村一帯を潤したと伝わる。
(書いている途中に、つい同じ目的で成し遂げられた厚狭の寝太郎用水を思い出した)
水路出口の上にあるのが岩崎重友の頌徳碑(しょうとくひ)

🔘次回に載せる龍雲寺などと併せ、これだけの規模の禅寺が歴史を刻んでいるのは、鹿野という場所が地図を見るとわかるように周防の中心部から石見国(いわみのくに・島根県)に抜ける街道筋にある豊かな土地であることがその一因と思われる。
🔘今日の一句
墓の道草踏む音に虫の声
🔘施設の庭のひまわりの種を食べに来ている小鳥、食堂からのガラス越しなので少し不鮮明だがヒワの仲間?。


