「暴走する能力主義−教育と現代社会の病理」を読んだ。メリトクラシーには改革を自己目的化する性質がある、という話。とはいえメリトクラシーから離れるわけにもいかないので、この性質について自覚して暴走しないようにしなきゃいけない、という。それ、人間のもっている本能や偏りを自覚して振り回されないようにしなくちゃいけないので、そのために他の動物のことを学んで自己を客体化することは意義がありますよ、と私の定番のポジショントークと同じ構造をもった議論であるなあ、と思って読んでいた。ともかく、非認知能力を測定する、とかのうさんくささについてはまったくその通りだと思う。いや、そういう能力があるほうが世の中よくなると言うのはその通りだと思うのだけど、そんなん測れるわけないし、そもそも育てることだって難しいのでは?と思うわけよ。あと、この本を読んでて少し違和感があったのは、能力に関する不安の高まりというところで、私は実はそういう不安ってあんまり感じないタイプなのね。で、それは決して恵まれてるからじゃなくて、そういう不安を感じる回路が欠落している、っていうか、別の言い方をするとあまりソーシャルじゃないタイプだからなのね。なので、この本から私は「やっぱり過度なソーシャル傾向はよろしくないのだ」という読み取りもしちゃったと言うわけ。