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2つのわからなさ

文章のわからなさ、ということについて最近考えている。もちろんそれは、今が卒論添削シーズンだからと言うこともあるが、それだけではない。で、今の暫定的な理解と言うのは、わからなさ、についてひとまとめにして考えてはいけないということだ。二種類あるのだ。1つは、使われている単語の意味を知らないことから来るわからなさだ。例えば、「私はエソロジストだ」という文は、エソロジストが動物行動学者だということを知らなければ意味がわからない。こういうタイプのわからなさを解決するためのボールは受け手の側にある。なんなれば辞書を引けばいいのだし、送り手に対して「エソロジストってなんですか?」と聞くのでも良いわけだ。問題はもう1つのわからなさである。使われている単語の意味はすべてわかるのに、文全体としてはわからない場合だ。例えば「私は図書館だ」という文があったとする。「私」も「図書館」も単語の意味としては知っていても、文章としては意味を成さない。こういうのは、受け手にはどうにもならんのである。で、この2つをごっちゃにすると、本来送り手に原因があるコミュニケーション障害を、受け手のせいにされてしまう危険が出てくるわけ。こうなると、問題解決が遠のくので、この2つをきちんと分離して、誰が改善すべきかをきっちり同定していこうじゃないか、というのが今日の日記の趣旨である。

つうわけで、原稿を一応仕上げる。これがわかりにくければすべては私に原因があるわけ。




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