健康おたく
「自分なんて」が口癖だった頃の私は、毎日毎日「嫉妬してしまう自分」を責めてしまっていました。人に嫉妬してしまうから、なるべくSNS自体見ないようにしているという方もきっといますよね。そうやって情報の量を自分で調整することは、ストレスを溜めない上でとっても大切になってきます。
ただ、世の中には嫉妬にまみれてしまう人と、うまくそれをエネルギーに変えられる人と、両方混在していますよね。完全に、とまではいきませんが、わたしは前者から後者に自分を誘導することができてから、無駄に嫉妬に時間を使うことがほとんど無くなりました。
自分を変えようとする時は、今採用している習慣や捉え方を見直す必要があります。よかったら参考にしてください。読んでくれた人が、少しでも嫉妬の時間を有益な時間に注げるようになるといいなと思います。
人と勝手に比べて落ち込むのは
自己肯定感の低い人には「劣等感を強く感じている」という共通点があります。「人と比べて落ち込む」癖をやめられないのは、比べることによって「ほら、やっぱり自分はだめなんだ」の理由付けしているためです。
え?なんでわざわざそんな馬鹿なことしてんの?と思うかもしれません。が、自己肯定感が低い人達は、そうやって「不幸な自分」沼にハマり続けることで、無意識のうちに「許してください」と唱え続けているのです。(多くは母親に向けたもの)自分が幸せになることを、自分が許していないのです。
わたしも、散々自分のことをコテンパンにいじめてきたときに、一番やったのがこの「すごい人と比較して自信をなくす」でした。毎日毎日キラキラした人を見つけては、「羨ましいけど自分にはできない」を強化していました。泳げば泳ぐほど沈んでいく、底なしの沼の中にいる感覚でした。
まずは、嫉妬してもいいと許可をする
そもそも、間違いだなと思ったことは、自分に嫉妬を許可していなかったことです。かつて、アドラー心理学の勉強をしている際に、こんな一文を見つけました。
「全人類に共通することが唯一あるとしたら、死ぬことと嫉妬することだ。」
この一文を見て、「ああ、わたしも嫉妬していいんだ」と思えました。人間の生理現象として、当たり前に備わっていることだと。そして、嫉妬は克服するものではないことを知りました。克服ではなく、共存するものだったのです。
嫉妬の感情を抑え込んだり否定したりしていると、エネルギーが体の外に出られず、昇華することができないからモヤモヤしてずっと体に溜まってしまいます。外に出られないから、自分へ攻撃という形で使ってしまう。否定すればするほど、嫉妬した自分をまた責めてしまい、外部から入ってくる情報への恐怖が増大していきます。
嫉妬したら、「わたしは感受性、人間性が豊かってことなんだな」と、それが当たり前に捉えることができたら、だいぶ楽になってきます。
人生の主役の座を取り戻そう
人生が一本の映画だとしたら‥今あなたは自分の映画の主役をやれていますか?自分の映画なのに、人の映画の脇役を必死にやっていませんか?わたしはずっと自分のことを「誰かの脇役」だと思いこんで生きてしまっていました。
生まれて死ぬまで、あなたの人生はあなたが主役なのです。(主体性についてもっと理解したい方はこちらの記事も合わせてどうぞ↓)
今例え落ちている状態でも、最後はハッピーエンドで終わることを信じてあげてください。そう思うと、落ちていれば落ちているほど、感動が深い映画になると思いませんか?落ちている時は焦りを感じがちですが、物事には成長曲線があることを忘れないでほしいのです。

理想と現実には少々タイムラグがある。だから、その転機がいつ来てもいいように、いつもこれを頭にイメージするだけでも、「今つらいこと」がまた違った見え方になるかもしれません。
嫉妬しちゃう人が現れる意味を考える
嫉妬に狂ってしまって、相手の本質に気づいていない人も多いのかもしれませんが、そもそもは「すごいな〜あの人」と思う部分があるから、気になるわけですよね。「ぶりっ子の女が大嫌いだ」という人が時々いますが、本当は嫌いなのではなく、それができて「羨ましい」の気持ちがそこに隠れているものです。自分にそれを許可していないから、許可できている人に無性に腹が立つ。こういった場合は、自分に許しを与えてあげることで、嫉妬がおさまっていきます。
「すごいあの人」は、自分が本当に進みたい方向へ導いてくれるキーパーソンです。みんな、それぞれに「すごい」と思う人が違います。人が「すごい」と思う人を、自分も同じように「すごい」と思うわけじゃない。「すごいあの人」をリストアップしたら、自分の価値観が浮き彫りになってくるから、面白いです。(ノートにその人の何がすごいのかを綴ってみてください。これから自分が歩く指標になります)
実は、嫉妬させてくれるその人は、「自分の伸びしろに気づかせてくれる感謝すべき存在」なのです。「あの時はどうもありがとう」と思えるようになったら、嫉妬と共存できるようになった証拠です。
また、努力をわざわざ人前で見せない人が多いために勘違いしてしまいがちですが、みんなそれぞれに苦労があって、泥臭い道を通ってきているものです。そこの想像までできてくると全然見方も違ってくると思います。「この人、こんだけ華やかに見えるけど、家ではカップラーメンかもしれない」とか‥ なんでもいいですw 親近感が湧くような、仲間に思える内容を自分なりに探してみてください。そうすると、自分の中でその人と距離が近くなります。
すべてを糧にする
わたしが嫉妬と共存できたな〜!!と思えたエピソードを紹介します。
ある日SNSで突然、一見素人の見た目をした、全く知らない人が、イベントでドレスを着てランウェイを歩いている写真が目に飛び込んできました。ファッションショーのような感じだったと思います。
それを見たわたしは、とっても胸がざわざわしました。すると、唐突に「あれ?この人がランウェイ歩いていいなら、わたしも歩いていいんじゃね?」という言葉が出てきたのです。(なんか失礼w)
「わたしだってドレスを着てランウェイを歩いていい。」その許可をした翌日、心理学に関連する集まりで出逢った女の人が、いきなり「イベントでランウェイを歩く」という話をしてきました。そんなにランウェイの話って日常会話に出てきますっけ?こちらからは何も話してないのに、です。
そして、初めて会ったばかりのわたしに「ランウェイで歩くモデルさんが1人キャンセルになっちゃったから、参加してみない?」と言ってきたのです!!鼻血が出そうになりました。
ということで、あれよあれよと言う間に、許可をした1ヶ月後に「ドレスを着てランウェイを歩く」がすんなり叶ってしまったのです。自分に許可を出す実験をしていた最中だったので、本当に感動して震えてしまいました。
「嫉妬する」ということは、「自分にもそれができる」という魂の叫び。そう思うと、嫉妬という感情も愛おしく思えてきませんか?「ああ、わたしも一度でいいからランウェイを歩いてみたいな」という気持ちは、嫉妬がなかったら一生向き合えていなかったかもしれません。
相手と競うという考えよりも「次はわたしにそれが巡ってくるってことなんだ!」と、バトンのように繋がっていくイメージをしてみてください。そうすると、自分にベクトルを向けることができる上に、周りの人にも幸せを循環できるイメージが湧いてくると思います。

