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三馬鹿大将!?:イタリアのサイレント映画 弁士付き上映プロジェクト#03

どうも、有北です。

前回、「ようやく糸をつかんだ」と、いかにも物語が大きく動き出したかのような一文を残して終わりました。

さて、その糸の先は絡まっていたのか、天国につながっていたのか、それともただの毛糸玉だったのか。今回はきちんとご報告したいと思います。

 

結果から言いますと、その糸の先にあったのは、イタリア・トリノ。具体的には、トリノ国立映画博物館です。しかも、デジタルアーカイブ担当の方と直接つながることができました。
めちゃくちゃ有能な、とある協力者さまのお導きによって、道が一気に開けたのです。

届いたメールを開くと、博物館所蔵のサイレント映画作品リストがずらり。まさに宝の山。しかも、視聴可能なリンク付きという大盤振る舞い。

 

これよ。
僕たちはこれを待っていたんです。

 

とはいえ、浮かれてばかりもいられません。上映権は? 料金は? ロマンの裏には、必ず現実という魔物が待ち受けています。重要事項を確認するために、国立映画博物館のご担当者であるカルタさんに、野村雅夫がうやうやしくメールをしたためました。
「carta」はイタリア語で「紙」。でも僕たちにとっては完全に「神」です。

 

自己紹介から始まり、プロジェクトのあらましを伝え、所蔵作品の上映条件について教えてほしい、と丁寧にお願いしました。

メール送信から、わずか50分後。

返信が届きました。しかも、かなりの長文で。

「知り合うことができて光栄です」
「プロジェクト、とても面白いと思います」

と、非常に前向きな返答をいただいたんです。条件は今後交渉の必要がありますが、正式な手続きを経れば、上映用の高解像度データも提供できる、と。

ここ数か月たちこめていた深い霧が、ウソのように晴れた瞬間でした。

 

アーカイブを覗き込むと、動画数は300本超。無声映画以外も含まれていますが、いずれにせよ宝の山。スクロールする指が止まりません。

さらに、それとは別に、コメディ作品のリストまで送ってくれていました。
僕たちが協力者さまに「まずはコメディが入口として分かりやすいのでは」と伝えていたからでしょう。独自にピックアップした作品を、丁寧な解説付きでまとめてくれていたのです。

そこで名前が挙がっていたのが、当時のイタリア無声映画界を代表する喜劇スター、クレティネッティ、ロビネット、トントリーニのお三方。

 

実は、イタリア映画祭の初代プロデューサー・古賀太さんの近著『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』(集英社新書)でも、この三人はきちんと取り上げられています。つまり、イタリア映画史の中でも、彼らはちゃんと重要な存在なのです。

永遠の映画大国 イタリア名画120年史 (集英社新書)

さらに言えば、この三人、実は百年以上前の日本人も観ていました。
日本で無声映画が盛んに封切られていた時代、イタリアから輸入されたサイレント映画は大衆を楽しませていたコンテンツのひとつでした。

しかも、その人気ぶりを物語るように、彼らにはそれぞれ「日本名」がついていたのです。

明治・大正期には、外国人名を日本人風に置き換えるのはごく一般的な翻訳手法でした。
たとえば『ああ無情』のジャン・バルジャンが「長兵衛」、シャーロック・ホームズが「鯱男(しゃちお)」などと呼ばれていた時代です(翻訳者によるので、画一的な訳語があるわけではないですが)。

そんな頃、お三方もまた日本名を授かっていました。以下、順に紹介したいと思います。

① クレティネッティ

フランスのパテ社からイタラフィルムへ移り、「クレティネッティ」として売り出された喜劇スター。その日本名は、“新馬鹿大将”。

「クレティネッティ」は「cretino(バカ)」からの名称ですから、訳としてはなかなか秀逸です。ただ、原語では「おバカさん」くらいのニュアンスなのに、日本では堂々の“大将”。この格上げ感がたまりません。

ちなみに「新」があるなら「旧」があるのか。
あります。

元祖「馬鹿大将」は、あの
“ドン・キホーテ”。

風車を巨人と思いこみ突撃をかました馬鹿界の重鎮は、かつて、このように名誉ある日本名を冠されていました。1906年、パテ社製作の『ドン・キホーテ』が、『馬鹿大将』の邦題で好評を博していたのです。
その称号を受け継ぎ、ある意味で更新したのがクレティネッティ。馬鹿界にも、ちゃんと世代交代があったわけです。

② ロビネット

続いて、ライバル会社アンブロジオ社が売り出したロビネット。

その日本名は“薄馬鹿大将”。

さっきまでどこかヒーロー感すら醸し出していたのに、こちら、急に小物感が漂ってきました。

しかしその庶民的な響きが功を奏したのか、別名までありました。

“ダムくん”。

なかなかな方向転換です。こちらはアメリカでの呼び名「Tweedledum」(『鏡の国のアリス』の登場人物名から借用)が由来とのことで、その響き、親近感はハンパじゃありません。「怪物くん」「忍者ハットリくん」を思わせる“くん”文化の萌芽すら感じさせます。

③ トントリーニ/ポリドール

チネス社で「トントリーニ」として登場し、その後パスクワリフィルムに移った後は「ポリドール」という名前で売り出された俳優です。

まず、トントリーニ時代の日本名は、

“トンくん”。

トントリーニのトンを取って「トンくん」。実に素直なネーミングです。

ところがポリドールに改名した後の日本名は、

“ポリドロ”。

そこは「ポリくん」ちゃうんかい。
急にカタカナ直輸入になっちゃうんですよね。しかも「大将」の系譜がここで完全に途絶えるというドラマチックな展開も見逃せません。

 

いずれにせよ、「新馬鹿大将」「薄馬鹿大将」「ダムくん」「トンくん」「ポリドロ」と、三名しかいない俳優に対して呼び名が五つもある。しかも、そのニュアンスはそれぞれにバラバラ。このちょっとカオスな状況こそ、当時の西洋文化と日本文化がエネルギッシュに混じり合っていた証のようで、なんとも興味深いです。

 

改めて各種資料を丁寧に読み込み、日本を席巻した三馬鹿トリオの受容史を、もう一段深く掘り下げてみたいです。もし当時の上映ポスターやチラシが発掘できたら、めちゃくちゃテンション上がります。

たとえば、「新馬鹿大将 堂々登場!」なんてポスターが出てきたら震えますよね。上映前にそのポスターを見るだけでも、場の空気は一気に百年前へとつながるはずです。

チャップリンやバスター・キートンほど広く記憶されてはいないかもしれません。けれど、彼らは確かに日本のスクリーンに立っていた。

そんな百年前の「大将」たちが、ふたたび鬨(とき)の声をあげるときが来たのです。

「なんちゃって弁士」を目指すふたりの2019年の姿(ポンデ雅夫と有北クルーラー)。
トリノのシンボルである建築、イタリア国立映画博物館の上にて。

そして実は、大将たち以外にも、アーカイブの中からすでにいくつか強く心をつかまれる作品に目星をつけています。これらについても今後ちらりと紹介していきたいと思いますので、どうぞ、引き続きお付き合いください。




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