以下の内容はhttps://kdc.hatenablog.com/entry/2026/02/02/190149より取得しました。


潜入! 第3回下鴨映画祭:イタリアのサイレント映画 弁士付き上映プロジェクト#02

どうも、有北です。前回、「サイレント映画、新プロジェクト始動のお知らせ(まだ夜明け)」と題して、勢いよく宣言してから、少し間が空いてしまいました。夜明けって言ったわりに、いつまでたっても薄暗いじゃないか、と。ええ、ごもっともです。

ただ、これは単に布団の中でぐずっていたわけではありません。僕たちはこの数十日、ちゃんと歩みを進めていました。しかも暗闇の中を、かなりな手探りで……。

 

その途中で、ひとつ大きな出来事がありました。2025年12月11日、京都府立文化芸術会館で開催された「第三回 下鴨映画祭」です。

この日、オールドファッション幹太(右)、ファンシーゆず、そして僕こと有北クルーラー(左)の3名は、下鴨映画祭に潜入してきました。そして結論から言うと、この体験は、僕たちのプロジェクトにとって完全に重要なものとなりました。

 

下鴨映画祭は、日本映画草創期のサイレント映画を、弁士の語りと生演奏付きで上映する映画祭です。開催時間は13時から17時半まで。なかなかの長丁場ですが、驚いたことに会場はほぼほぼ満員。しかも、最初から最後まで、ほとんど人が入れ替わらない。これはすごいことです。

弥次喜多善光寺詣り [DVD] 

上映されたのは、『忠臣蔵』(1934年)、『弥次喜多 善光寺詣り』(1921年)、『雷電』(1928年)、『自来也』(1925年)など、日本サイレント映画の名作たち。長編も短編も、ジャンルもテンポもばらばらですが、並べて観ることで、サイレント期の映画表現がいかに豊かだったかが、自然と立ち上がってくる構成でした。

 

そして何より圧倒されたのが、活弁のバリエーションです。いわゆる「カツベン」と聞いて多くの人が思い浮かべる、一人の弁士が物語を語り、登場人物のセリフを当て、ときに背景を補足する王道のスタイル。それはもちろん健在で、その完成度の高さにも何度も唸らされました。

しかし、下鴨映画祭はそこで終わりません。複数の弁士さんが掛け合いで進行する作品があり、役割分担があり、緊張と緩和が巧みに織り込まれていく。さらには、10人以上の弁士さんが一堂に会して語る、「群読」と呼びたくなるような表現まで飛び出しました。

 

出演されていた弁士さんの顔ぶれも豪華。澤登翠さん、坂本頼光さん、山崎バニラさん、大森くみこさん、片岡一郎さん……。そうした方々が、同じ空間で、それぞれまったく違うやり方で映画に命を吹き込んでいく。非常に贅沢な時間です。

 

印象的だったのは、会場全体に漂う「自由さ」です。弁士の人数も、語りのトーンも、演奏のあり方も、決まった正解はない。映画と人が出会い、その場限りの形で立ち上がる。映画が「ライブ」だという感覚が、はっきりとそこにありました。

 

そして僕たちにとって特に重要だったのが、1本だけ上映された海外作品、『ドタバタ撮影所』です。短い作品でしたが、「海外のサイレント映画 × 日本の弁士」という僕たちの構想が、机上の空論ではないことを、はっきり示してくれました。国も言語も違っていても、映像のリズムや身体表現は、弁士の語りと生演奏によって、ちゃんと現在に接続しうる。

前回の記事で、僕たちは「従来の型にはまらず、無声映画を現代によみがえらせる」と書きました。下鴨映画祭を観て実感したのは、その発想自体が、すでに現場で実践されている、ということでした。同時に、まだまだ思考の枠は外せる、とも確信しました。イタリアのサイレント映画に、日本の弁士文化と、現代の音楽と、僕たちなりの解釈をどう重ねていくのか。その余地は、思っていた以上に広いぞと。

 

とはいえ、現実は甘くない。最大の壁は、やはり作品選定です。100年以上前の海外のサイレント映画。権利はどこにあるのか。フィルムは現存しているのか。どこに収蔵されているのか。調べれば調べるほど霧は濃くなり、手を伸ばせば伸ばすほど空振りが増える。

 

しかしですね。そんな霧の中で、八方に伸ばしていた調査の手が、ひとつの細い糸を手繰り寄せました。「これは次に進めるぞ」という確かな感触が、初めて手の中に残りました。

夜は、まだ完全には明けていません。でも、どこに向かって歩いているのかは、前よりはずっとはっきりしてきました。100年以上前のイタリアのサイレント映画に、日本の弁士が語り、現代の音が寄り添う。その瞬間を、きちんと皆さんと共有できるところまで、もう少しだけ手探りを続けたいと思います。

 

そういえば、こんなバルゼッレッタ(短いジョーク)があります。

 

La moglie dice al marito:
«Ho una buona notizia e una cattiva notizia. Quale vuoi sentire prima?»
«La buona,» risponde lui dopo un attimo.
«Perfetto,» dice lei sorridendo.
«L’airbag della tua macchina funzionava benissimo.»

 

(和訳)

妻が夫に言った。
「今日はいいニュースと悪いニュースがあるの。どっちを先に聞きたい?」
夫は少し考えて答えた。
「じゃあ、いいニュースから聞こう」
妻は微笑んで言った。
「あなたの車のエアバッグは、ちゃんと作動したわ」

 

何を語るか。どの順番で語るか。何を描写して、何を描写しないのか。「どう語られるか」で、物語は悲劇にも喜劇にもなりえます。

 

この企画にあらためて計り知れない可能性を感じつつ、ようやくつかんだその「糸」についての詳しい話は、次回に譲りたいと思います。これについては、ちゃんと語らないと、まったく伝わらない話ですからね。どうかもうしばらく、夜明け前のひとときにお付き合いください。




以上の内容はhttps://kdc.hatenablog.com/entry/2026/02/02/190149より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14