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『旅の終わりのたからもの』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週月曜、11時台半ばのCIAO CINEMA 2月2日放送分
映画『旅の終わりのたからもの』短評のDJ'sカット版です。

ニューヨークで生まれ育ったルーシーは、ジャーナリストとしてそれなりに成功しているものの、どこか満たされない気持ちを抱える30代半ばの独身女性。1991年、彼女は父エデクの故郷ポーランドへの親子二人旅に出ます。ホロコーストを生き延びてアメリカに渡ったエデクにとっては、50年ぶりの祖国。自身のルーツを探りたいルーシーは綿密な計画を立てていたのですが、それを次々と潰していく父に爆発寸前。ふたりのチグハグな旅を描くロード・ムービーです。
 
原作は残念ながら日本語に訳されていないのですが、オーストラリアの作家リリー・ブレットが実体験をもとにした小説『Too Many Men』。監督は、ヴェネツィア映画祭審査員を務めたこともあるドイツの女性ユリア・フォン・ハインツで、彼女の祖父もホロコーストのサバイバーだそうです。主人公ルーシーを演じたのは、ドラマシリーズ「GIRLS/ガールズ」で脚本と主演を務めて高い評価を得たレナ・ダナム。父エデクには、『オスカー・ワイルド』や『ホビット』シリーズのスティーヴン・フライが扮しました。
 
僕は先週水曜夜にアップリンク京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

© 2024 SEVEN ELEPHANTS, KINGS&QUEENS FILMPRODUKTION, HAÏKU FILMS
いわゆる珍道中を描いたコメディってたくさんありますけど、やっぱりツカミは大切ですよね。そこへ行くと、この作品も冒頭から奮っていますよ。1991年のポーランドワルシャワ空港の到着ゲートです。娘のルーシーが父のエデクを出迎えるんですね。「あれ?」と思いました。だって、彼女はニューヨーカーで、生まれて初めて両親の故郷に足を踏み入れたはずなのに、なんで一緒じゃないの? しかも、お父さんはなかなか出てきません。イライラするルーシーは、ポーランド語ができないので、英語で他のお客さんに話しかけて通じずに困っています。と、そこへようやくエデク登場。どうやら、ニューヨークで飛行機に乗り遅れたらしいんですよね。しかも、荷物がなかなか出てこなかったということで、遅くなったと報告。一緒に出発したはずなのに、こりゃ、大変って話ですが、お父さんは泰然としています。気を取り直して、ルーシーが手配した鉄道で旅行を再スタートしようとすると、今度は電車に乗る直前でエデクは車の方が良いと駄々をこねて、乗り物をタクシーに変更。もう大変です。毒を吐く娘と、それを平然と受け流す父。先が思いやられるチグハグぶりが、旅の始めから炸裂しているんです。僕たち観客は、ふたりのそんな様子を苦笑しながら見守ることになるわけですが、こうした笑いのひとつひとつ、何かときっちりしたがる娘とゴーイングマイウェイな父の言動には背景となる理由のあることが、だんだんとわかり、そこに得も言われぬ悲しみや切なさが滲む。そうした笑いと悲しみのハーモニーがこの作品のトーンを形作ります。

© 2024 SEVEN ELEPHANTS, KINGS&QUEENS FILMPRODUKTION, HAÏKU FILMS
ロード・ムービーというジャンルは、旅を通して、その景色の移り変わりに合わせて、登場人物の内面や人間関係、そして大げさに言えば世界観の変化を描くものです。この作品の場合は、父エデクと娘ルーシーですね。父はかつて自分が家族と暮らした家や父親の経営していた工場を50年ぶりに訪問し、1年前に亡くなったという妻との思い出も噛み締める。ただ、それはシンプルなノスタルジーではありませんね。人類史上類を見ないジェノサイドの生き残り当事者ですから、甘酸っぱい記憶を即座に覆ってしまう重くてどす黒くて苦いどころか心の毒になるような出来事も紐づいてきます。だからこそ、エデクは土地を離れ、新天地で一から人生を立て直したわけです。それから半世紀。冷戦は崩壊したばかり。故郷は共産主義から資本主義へと舵を切ったものの、社会はまだ混乱の中にあり、景色は画一的で荒涼としています。一方、ニューヨーカーである娘にしてみれば、母を亡くしたばかりで、ジャーナリストで生活に不自由はないものの、都会に生きる独り者としての孤独とどこか根無し草のような感覚が彼女の心を蝕んでいる様子が見て取れます。気丈に明るく振る舞う父とは逆で、ポーランド負の遺産について取材をし、過食症だっただろう太った身体に夜はひとりで針を指して強制連行された自分の祖先よろしく番号を刻み込む行動は哀れみを誘います。

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未来に希望が持てず、過去を知ることで活路を見出そうとする娘の切実な想いが、父の過去の重い蓋を半ば強引にこじ開けていく。それはニューヨークにいてはかなわないことです。父にしてみれば50年ぶりに話すポーランド語。社会体制と時代の変化で見違えた故郷の景色。そうしたものも、記憶を掘り起こす道具になるわけですが、やがてふたりは、現地で知り合った人の手も借りながら、文字通り掘り起こすという作業を通して、時代を越えたあるアイテム、言わばこの作品のオリジナルタイトルそのものであるトレジャー、お宝を手にします。そこで取る行動と決断というのが、ふたりの未来を示唆していて、この旅そのものが宝なんだと僕たち観客は感じることになるんですね。

© 2024 SEVEN ELEPHANTS, KINGS&QUEENS FILMPRODUKTION, HAÏKU FILMS
アメリカからポーランドの戦争遺産へ向かい、ルーツを訪ねる映画といえば、一昨年の『リアル・ペイン〜心の旅〜』がありました。あの作品は、現代が舞台で、一緒に旅をする男性二人はアウシュヴィッツのサバイバーの共に3世だったのに対して、今作はひとりがサバイバー当事者でもうひとりはその娘。しかも、舞台は1991年という違いがあります。「リアル・ペイン」での強制収容所は、沈黙が支配する演出でした。淡々とした静止画。収容所の今と孫世代の若者の顔。音楽も会話もなし。今作における強制収容所も、当時の再現映像などを安直に入れないのは共通していますが、当時聞こえたような音を薄く鳴らし、そこで過ごしたエデクが今は廃墟となったその場所で忌々しそうに当時の状況を語る演出になっていました。去年は第二次世界大戦終戦から80年でしたね。戦時中の体験を直接当事者から耳にする機会は乏しくなっていますね。この作品は、1991年を舞台にすることで、そして父エデクをスティーヴン・フライというホロコースト・サバイバーの息子に演じてもらうことで、当事者の語りを歴史の継承と伝承の重要性を説得力をもって見るものに問いかけます。劇中に出てくる銀の皿があるんです。娘は先祖の形見で大切だと言うのに対して、父はたかが皿だとする。彼にとっては忌まわしい記憶もその皿に乗っかっているからですね。彼が全体的にユーモアを絶やさないのは、ただそういう性格だからではなく、ユーモアなしにはやっていられなかったからでしょう。その銀の皿の意味は、変化します。受け継がれるその皿には、悲しみと家族の温もりが盛り付けられ、宝物になると僕は受け取りました。
 
サントラには、ポーランドが舞台ですからショパンのメロディーも当然流れてくるんですが、僕が耳を引かれたのは、親子が貸し切ったタクシーで父の生まれ育った街へと向かう中流れてきたポーランドで79年から活動するパンク・ロック・バンドの曲です。冷戦からの流れをさりげなく音で示す演出だったかなと思います。

さ〜て、次回は、2月9日に評する作品を決めるべく、おみくじを引いて僕が引き当てたのは、『役者になったスパイ』です。ちょうど『旅の終わりのたからもの』の前に予告を観ていて、「これは相当面白そうだ」と思っていたところなので、気分上々! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!



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