FM COCOLO CIAO 765 毎週月曜、11時台半ばのCIAO CINEMA 10月6日放送分
映画『俺ではない炎上』短評のDJ'sカット版です。

地方都市の公園で撮影された女子大生の刺殺死体写真。これがSNSで投稿されたのは、大手ハウスメーカーの部長である山縣泰介のものと思われるアカウントでした。犯人は山縣に違いない。ネットでは瞬く間に炎上し、当の本人はまったく身に覚えもなく戸惑う中、個人情報は晒され、行く先々で一般市民から追い回され、警察も動き出します。
原作は浅倉秋成の同名小説で、監督は山田篤宏、脚本は『永遠のゼロ』などの林民夫が担当しました。主人公の山縣泰介に扮したのは阿部寛。地元の大学生で遺体画像を引用リポストしたインフルエンサー住吉を藤原大祐、彼と一緒に独自に山縣を追う女子大生を芦田愛菜、山縣の妻を夏川結衣がそれぞれ演じている他、三宅弘城、板倉俊之、浜野謙太、美保純などが出演しています。
僕は先週金曜日の朝、MOVIX京都で鑑賞してきましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
まず、この作品の関係者諸氏に謝るところから、この評を始めます。ヒット小説にあやかって、面白いストーリーなんでサクッと映画化しますか、ぐらいのノリで作られたんだろうなと、観る前は結構ナメておりました。当方、ナメていたんです。女子大生の殺人事件をきっかけにインターネットで犯人探しが始まり、きっとこいつだという憶測に基づいて犯人に仕立て上げられる人物が現れたことでまた野次馬がどっと群がり、自分の正義感を振りかざして私的な制裁を加えようとする連中まで出てきてしまう。そんなネット特有の現象を通じて現代社会を風刺するというのは、原作も映画も同じです。ただ、映画版はジャンルを軽やかにまたぎつつ映画ならではの語り口と展開を用意して、それが独自の余韻を生んでいることを考えれば、これはむしろ意欲的な映画化だし、それがうまくいっていると結論づけておきます。ナメてしまって、すみませんでした。僕が悪かったです。

SNSの恐怖を描いた映画は増えてきたように思いますが、物語の骨格をなすのは、人違いものなんですよね。阿部寛演じる山縣泰介は、そもそもSNSなんてしていないし、ネットが好きではない。つまり、彼が犯人ではないことを、僕たち観客はもう序盤から確信して映画を観ることになるんです。犯人に間違われ、あるいはでっち上げられ、逃亡を続けながらも真犯人を探す。ハリソン・フォードが主演した1993年の『逃亡者』なんかその典型でした。最近だと横浜流星が主演した『正体』もそうでしょう。逆にもっと古典に遡れば、殺人犯とされて事件に巻き込まれたケーリー・グラントが逃げ回るヒッチコックの『北北西に進路を取れ』を思い出す人もいるでしょう。SNSもあるけれど、差出人不明の手紙を泰介が受け取り、座標と思われる数字に導かれることや、暗号めいたワードに翻弄されることは、インターネットに関係なく、もっとクラシカルな謎解きの要素なわけで、この物語が時流と話題性に乗っかっただけでないことがこのことからもわかります。フーダニットあるいはハウダニットなミステリーとして楽しめるように、この映画には小説で言えば叙述トリックと呼ばれる仕掛けを巧みな編集で構築し、観客をミスリードし、あっと言わせます。映画ならではということで言えば、SNSをモチーフにしているものなので、Xの画面のようなつぶやきの中に脚本誰それみたいなクレジットを冒頭で見せるのは楽しいし、今回の炎上の大きなきっかけをそれと知らず作ってしまった大学生が運転する車が排気ガスを撒き散らすようにして大量のXのリポストや引用リポストを画面に表示させるのは気がきいていました。つまり、王道の物語の枠に映画だからこそできるトリックをしのばせ、遊びの要素も抜かりなく観客を楽しませるという意欲が随所にあってすばらしいんです。ちなみに、ミスリードのことで付け加えておくと、予告編で印象的だった芦田愛菜のセリフ「あんたが諸悪の根源だからだろうが!」という叫びも、劇中では思ってたんと違う流れで出てきて、楽しいところでした。

なおかつ、コメディーでもあります。阿部寛が絶妙なセリフの間合いと表情で降り掛かった災難、理不尽な状況をかいくぐろうとするんだもの。大手ハウスメーカーの部長という立場の泰介には悪いけれど、あの美形かつ鍛え上げられた肉体の阿部寛が弱った顔でビルとビルの隙間にこそこそ立っていたり、ネギを高級車のハンドルに叩きつけたりするのは笑えます。

もうひとつジャンルを付け加えると、れっきとしたホームドラマでもあるんです。これ、アミューズも製作幹事に名を連ねていますが、制作プロダクションは松竹撮影所だし配給も松竹という、思った以上に隅から隅まで松竹な座組の映画なんですよ。僕はMOVIXという松竹系のシネコンで、ドドンとそびえる富士山のロゴをバックにした松竹のロゴを映画冒頭で目にしたわけです。僕はなんだかミスマッチな気がしてニヤリとしていたんです。その昔、松竹はホームドラマをトレードマークにしていたわけですから、それが今やSNS炎上を描いているわけだもんなというギャップですよ。僕、ここでもまたナメていました。これもナメ要因でした。すみません。この映画版は、ばっちりホームドラマでもありました。もろもろの謎が解けてからのエピローグにあたる部分なんて、実にかつての松竹らしいと言えるんじゃないかしら。ちょっとグッと来ますよ。意外にも、ね。

この映画では、殺人事件をめぐる顛末が描かれるわけですから、モチーフとしてはヘビーなんだけれど、それを鋭い観察眼で考察した社会風刺のユーモアで軽やかにくるんでいることで見やすくし、SNSで無責任に大量生産、複製され続ける流言飛語に警鐘を鳴らしながら、気がつけばホームドラマにまで落とし込む。山田篤宏監督、これはなかなかの手腕ですよ。しかも、僕が一番感心したのは、現代人の「僕は悪くない」という安全圏からの物言いをラストに落とし込んで、観客に内省を促すところです。私は悪くない。自分以外の誰かが悪いという当事者意識の欠如という現代社会の宿痾を浮き彫りにしたことは、この映画の評価すべきところだと思います。
さ〜て、次回、10月13日(月)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『宝島』です。戦後80年ということもあるのでしょう。沖縄を舞台にした作品が多い印象です。僕は沖縄が大好きなんですが、それはあちこちの文化と歴史が交差してきた場所であることも大きな理由です。興味が尽きないわけですが、言い方を変えれば、歴史のうねりに翻弄され続けているということにもなるでしょう。今一度、この作品を通して沖縄に向き合います。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!
