FM COCOLO CIAO 765 毎週月曜、11時台半ばのCIAO CINEMA 6月9日放送分
映画『秋が来るとき』短評のDJ'sカット版です。

80歳のミシェル。彼女は自然豊かなブルゴーニュ地方で一人暮らしをしています。家庭菜園をしたり、近所に住む親友と森の中を散策したり。あとは、休暇を利用してパリからやって来る孫に出会うのが楽しみ。今年も秋に娘が孫を連れて来たのですが、そこでミシェルが振る舞ったキノコ料理を引き金に、どうにも不穏な気配が漂い始めます。
監督・脚本は、『スイミング・プール』や『8人の女たち』のフランソワ・オゾン。主人公ミシェルを演じたのは、演劇を中心に映画界でも60年代から活躍しているエレーヌ・ヴァンサン。娘のヴァレリーには、かつてのオゾン組の常連で20年ぶりに参加することになったリュディヴィーヌ・サニエが扮しています。
僕は先週水曜日の夜にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
このコーナーでは、オゾン監督の前作『私がやりました』も扱いました。ほぼ毎年新作を発表していることに改めて感心しますし、どれも面白いんですよね。フランソワ・オゾンという名前があれば、とりあえず観るべしという領域に入ってきています。彼の作家性を、去年の段階で僕はこんな風にまとめました。犯罪をモチーフにしながら、人間の心理に切り込んで、虚構と現実、嘘と真を対比したりすり替えるのが巧み。今回はそこに「女性を描く」という重要な要素を付け加えておきます。パンフレットに載っていた映画ジャーナリスト立田敦子さんの文章が指摘するように、老いや喪失、性愛といったテーマを女性の声で語り続けている人なんですね。今回なんて80歳の一人暮らしの女性が主人公で、楽しみと言えば友達との散歩に孫が遊びに来ることって、普通なら企画の時点でお金が集まらないというか地味過ぎて映画になるのかっていう感じじゃないですか。それがオゾンの手にかかればこんな極上のミステリーになるんです。

まず冒頭が大事です。ここではっきりと今作の主題が出てきます。教会でミサが行われていて、ミシェルは説教に耳を澄ませています。神父が語っているのは、マグダラのマリアについて。聖書において、彼女はキリストの死と復活に立ち会う人物で、罪深いとされる側面と聖なる側面が同居しています。「罪と許し」というテーマがここで打ち出されているんですね。そこからしばらくは、ミシェルの静かな暮らしが美しく画面に展開します。ブルゴーニュの豊かな里山の美しさ。そこに溶け込むふたりの女性の佇まい。それが一変させるのが、きのこです。きのこ狩りをしていると、親友のマリークロードが「それは絶対にダメ」と毒きのこの存在を指摘します。ミシェルは注意しながらバスケットいっぱいに収穫して家に帰ると、翌日にやって来る娘と孫に振る舞うために、念には念を入れて図鑑まで持ち出して、集めてきたきのこに毒がないかを確認します。ところが、事件が起きるんですね。きのこを食べたミシェルの娘が、食中毒で病院に運び込まれるんです。なぜ娘だけが毒にやられたのか。実はキノコ料理を食べたのが、彼女だけだったから。孫は嫌いなにんにくが入っていて食べなかった。では、なぜミシェルは食べなかったのか。食欲がなかったから? それとも、そこに毒が入っていることを知っていたから? 娘は一命を取り留めるものの、謎は謎のまま漂います。そして、娘はミシェルにこう言うんです。「私は母さんに殺されかけた」と。そして、孫を連れてパリへ帰ってしまいます。このきのこ事件でも、一応警察による事情聴取が行われるんですが、娘は助かっているし、彼女も母を告訴するようなことはなかったので、それ以上追求されることはなく、真相は藪の中。

ただし、この後も事件は起きます。オゾン監督の語りが絶妙なのは、事件そのものは映さないこと。何か決定的な出来事そのものはいつもカメラで捉えないんです。監督が見せるのは、起きたことに対するキャラクターの反応。どんな目をしているのか。何を言うのか。どんな行動に出るのか。ミシェル、娘、孫、別居していた娘婿、親友のマリークロード、刑務所から出所したてのマリークロードの息子。そして、事件について調べる女性刑事。たったこれだけの必要最小限の登場人物を動かし、一度も中だるみすることのない削ぎ落としたシーン構成とそれを見事にはめ合わせる編集で、オゾン監督は「罪と許し」という命題を実に味わいたっぷりに深めていきます。人は誰もが何らかの罪の意識や後悔、後ろめたさ、嘘、秘密を抱えながら生きていく。そんな自分とどう向き合うのか。そんな誰かをどう受け止めるのか。自分、そして誰かをいつどう許すのか。オゾン監督は、僕たち観客にそんなことを投げかけます。

これは事件の事実関係を究明するミステリーではなく、事実を人間がどう飲み込んで人生を編み上げていくのかという真実を巡る人間ドラマです。事実を巡る謎は謎のままで、たとえば刑務所から出てきた親友の息子がどんな罪を犯したのかなど、はっきり語られないことも多いのに、鑑賞後になんだかすっきりと感じられるのはそのためです。ミシェルの生き様から、潔さとか清々しさすら観客が覚えるからでしょう。そして、帰り道、今度はオゾン監督の投げかけを自分の胸で受け止めることになります。さすがは名匠フランソワ・オゾン。ポスターから想像されるような、愛らしいおばあちゃんたちのほんわかしたスローライフなんてないですよ。それこそ、ハードな毒を忍ばせた強烈な映画です。考えてみたら、今回の女性たちはみな、シングルマザーなんですよ。ミシェルも、その娘も、親友のマリークロードも、そしてあの刑事も。女性たちを描き続けるオゾン監督は、様々な理由から社会的に追い込まれた彼女たちに、それこそマグダラのマリアを重ね合わせているのかもしれません。映画を観ている時のゾクゾクする楽しさと鑑賞後の深く長い余韻。『秋が来るとき』は、はっきり傑作です。
劇中ではポップソングは1曲だけ、ダンスシーンで使われます。これがまた効果的です。単純に楽しそうに踊るBGMにするだけでなく、主人公ミシェルのしなやかな生き方をこの歌に込めていたんだと思います。フランソワーズ・ヴァレリー、「生きているうちに愛し合おう」という89年のナンバーをオンエアしました。
さ〜て、次回、6月16日(月)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング』です。全6枠あるおみくじの割り当てを少しずつ増やし、先週は1/2の確率まで高めるという小細工をしていたにも関わらず当たらなかったってのに、今回は1枠に戻したらあっさり当たりました。映画の神に見透かされていたようです。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!
