FM COCOLO CIAO 765 毎週月曜、11時台半ばのCIAO CINEMA 5月12日放送分
映画『来し方行く末』短評のDJ'sカット版です。

北京郊外の集合住宅。日当たりのあまり良くない1階に暮らす青年ウェン・シャンは、大学院まで進んで脚本の執筆を学んだのですが、卒業後はエンタメ業界でうまく花開かず、今は誰かが亡くなってから故人を偲ぶ場で読まれる弔辞の代筆を生業にしてほそぼそと暮らしています。彼のもとには日々、さまざまな境遇の人物から依頼が舞い込みます。依頼人に会って話を聞き、葬儀場へ出向き、動物園に通っては動物たちを眺め、迷いがあれば不思議な同居人のシャオインと話す。そんなウェン・シャンの行く末は?
監督・脚本は、これが長編3本目となる女性のリウ・ジアイン。デビュー作では主演もしてベルリン国際映画祭で高く評価されたのですが、その後北京の映画大学で脚本の指導に当たる准教授という立場になったこともあり、これが14年ぶりの新作となります。主人公のウェン・シャンを演じるのは中国の大人気俳優フー・ゴー。エンドロールで流れる主題歌も歌っています。風変わりな同居人シャオインは、子役からキャリアをスタートし、主演のフー・ゴーとはこれが3度目の共演となるウー・レイが担当しました。
僕は先週木曜日の夜に心斎橋のキノシネマで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
予告を見たり、この番組でぴあ関西版映画担当の華崎さんが紹介してくれたりして、弔辞の代筆業なんて不思議な職業の話だなと思ったわけですが、実際に作品を鑑賞して、彼がその仕事を始める切っ掛けというのがすごく興味深い設定だなと思ったんです。要するに、主人公ウェン・シャンは脚本家を目指しているけれど行き詰まっているわけです。具体的には、彼の作る物語にはドラマ性が薄いという指摘を受けていたんですね。じゃ、自分の苦手とするドラマってものが日々生まれているだろう場所である葬儀場へ通って、そこに集まる人を観察すれば、何かヒントがあるんじゃないか。そうこうするうちに、友達になった葬儀会社の社員に弔辞を書くサービスをしてみないかと誘われたわけです。「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、フィクションを生み出すウェン・シャンがいつもフィクションに終わりを見つけられずに未完の物語ばかり書いてきて困っていて、人々の現実の生の終わりの場所というべき葬儀場へ向かった結果として、その終わりから立ち上げていく物語、終わりから始まる物語と言える弔辞に取り組むことになるという設定がとても面白いです。

ちなみに、主人公の名前であるウェン・シャンは、ウェブサイトなんかでも読みやすいようにカタカナで書かれていますが、漢字では「聞く」に、善きことや一日一善の「善」の2文字、つまり、善きことを聞くという意味になるんですよね。そして今作の監督が自分で付けた英語のタイトルはAll Ears。すべて耳ってことですよ。ウェン・シャンは、確かに丹念に取材を行います。話を聞くだけでなく、まさに全身を耳にして、取材相手から亡くなった人の声まで聞き出そうとするかのようです。その姿勢は監督のカメラワークにも表れていて、声にならない声にも耳を澄ますように、故人の遺品なんかを丹念に画面に映していきます。そうやって、次々に人に会い、それぞれの人生の機微に触れることが映画の前半の核であり、北京の市井の人々の生き様を僕たち観客は興味深く垣間見ていくんですね。

で、これまたこの映画のすごいのは、こんな弔辞作家が主人公の物語なのに、僕たち観客は一度たりともウェン・シャンが書いたという弔辞を耳にしたり読んだりしないこと。劇中に出てこないんです。考えてみたら、彼の手掛ける弔辞の評判しか僕たちは聞かないんです。評判は良いようです。だからこそ、依頼が次々に舞い込むわけですが、同時に、ちょこちょこクレームが入っていることも示されます。やれ「あの人はそんな人じゃなかった」とか、やれ「感動したけど、亡くなったあの人のことだとは思えなかった」とかいった調子です。そんな時、ウェン・シャンはわりと毅然とこう返します。「事実は人によって違うんで」。確かにそうですよね。人間は多面体である以上、誰しもが一致する人間像というのを浮かび上がらせるのは難しいし、仮にそうすることができたとして、それが良くできた弔辞になるかと言えばそうではないのかもしれない。だからこそ、ウェン・シャンはクレームに対してはわりと「けんもほろろ」な対応になるわけですが、ひとり、若い女性がかなりの圧でウェン・シャンに会いに来ます。「私がネットで交流していた彼、若くして亡くなってしまった彼の弔辞に決定的に欠けているものがあった。それは彼の声だ」って言うんですね。ウェン・シャンは彼女を追い返すことができず、自宅まで乗り込んできた彼女とじっくり話し合うことになります。すると、奇妙な同居人であるシャオインの正体もだんだん明らかになっていく。そこがこの映画の大きな転換点になってウェン・シャン自身の生き方も、静かに、ただし確実に舵を切っていくきっかけとなります。

これは、奇妙な仕事を描いた映画に表面的には見えますが、その実、ウェン・シャンという監督の分身のような人物の「物語を書くという行為」を通して、現代人の孤独、ひとりひとりの人間と社会との距離感、そして、生きていることの意味をも問いかける豊かな作品です。なんか初期村上春樹的な雰囲気が漂っているんですよね。動物園が出てくるからってのもあるんだろうけれど、それだけじゃない。都市生活者の孤独。ミドルエイジに差し掛かる主人公の、そろそろつけないといけない社会との折り合いといったテーマと、リウ・ジアイン監督の繊細な空間演出、切り取り方、ライティング、ひっきりなしに登場して時間のメタファーとなり火葬場の火や煙を連想させるタバコのような小道具の妙が合わさってできた極上の静かな話。英語のタイトルには触れましたが、最後に中国語の原題についても言及しておきます。意味は「この旅は無駄ではなかった」。これが14年ぶりの新作となったリウ・ジアイン監督の行く末に期待しながらこの評を終えます。
主演のフー・ゴーが歌う主題歌が販売されておらず、放送ではイメージ選曲として In My Life / The Beatlesをオンエアしたのですが、YouTubeではこうして彼の声を聞くことができます。
それにしても、中国の「偲ぶ会」的な葬儀とは別の催しについては知らなかったので、北京の人々の暮らしぶりも伝わる映像にも発見が多かったです。派手ではないけれど、観れば大切な一本になるタイプの作品ですよ。
さ〜て、次回、5月19日(月)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』です。最近は各国で著名な俳優が自ら製作を務める映画が増えている印象ですが、こちらはケイト・ウィンスレットが製作と主演を担うという気合の入りよう。トップ・モデルから報道写真家へ転身したというリー・ミラーについて僕はまったくわかっていないので、この作品を通して彼女について学んでみることにします。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!