FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月4日放送分
映画『ブルータリスト』短評のDJ'sカット版です。

ホロコーストのサバイバーで、アメリカへと渡ったハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トート。従兄弟を頼ってフィラデルフィアへと向かった彼は、そこで実業家で富豪のハリソンと出会い、大きな建築プロジェクトに参加することになります。そして、ハンガリーからは、愛する妻と姪を呼び寄せることにするのですが…
監督・共同脚本・製作を務めたのは、俳優から監督に転身し、デビュー作『シークレット・オブ・モンスター』がヴェネツィア国際映画祭で高く評価されたブラディ・コーベット。主人公ラースロー・トートをエイドリアン・ブロディが演じた他、妻のエルジェーベトにフェリシティ・ジョーンズ、富豪のハリソン・ヴァン・ビューレンにガイ・ピアースが扮しています。本作は第81回ヴェネツィア国際映画祭で監督賞にあたる銀獅子賞を受賞した他、日本時間で昨日発表されたアカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など10部門にノミネートし、主演男優賞と撮影賞を獲得しています。
僕は先週金曜日の午後、TOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
僕にとっては初のブラディ・コーベット作品で、なおかつほぼ作品の情報を頭に入れず観に行ったんです。上映特典とされるリーフレットをモギリの際に受け取って、予告が始まるまでにそこに目を通したくらい。ラースロー・トートが主人公。彼は20世紀に建築やインテリア・デザインの分野で活躍したハンガリーのユダヤ人で、代表作にはこういうものがある。ふむふむ、ですよ。そこからインターミッションを挟んで4時間ほど。今回の作品でメインとなってくるコミュニティセンターの設計と建築を軸に置いた大河ドラマのような重厚な物語に圧倒されました。そこにどんな彼の想いが刻印されて反映されているのか。そして、鑑賞後にパンフレットを買って、いろいろ確認したいところや考える材料がほしいなとページをめくってひっくり返りそうになりました。これ自体が物語上のネタバレというわけではないと思うので言ってしまえば、ラースロー・トートという人物は、実在しませんでした。何かの間違いじゃないかとすら思いましたよ。だって、トートが実在の人物であると思い込んでいたし、そういう風にしか見えなかったので、疑うことすらしていなかったんです。ところが、こういう人はいなかった。そこに騙されたなんていう気持ちはなくて、僕はむしろ物語を作る凄みを感じて震えましたね。

もちろん、モデルとなった建築家はいます。戦後の復興計画の中で50年代からイギリスでまず見られるようになった建築様式のブルータリズム。ミニマリスト的な外観で、装飾よりも構造そのものを見せていくようなスタイル。ル・コルビュジエなんかそうだし、ハンガリー系で言えば、バウハウス出身のマルセル・ブロイヤーなんかは、トートという架空の人物を生み出す材料に大きく貢献していると言えるでしょう。コーベットたち作り手は、ブロイヤーが妻との特異な関係を見つめつつ、彼がヨーロッパとアメリカの両方で厳しい批判にさらされたことと、それでも耐えて諦めずに執念という言葉を使いたくなるような忍耐力と熱心さで創作を行い、同時代的には評価を下げることはあっても、後に20世紀を代表する建築家と認識されるようになる人物像を練り上げていきます。

ここで大事なのが、異郷の地アメリカでトートの才能を認めて後押しするパトロンとなるヴァン・ビューレンという登場人物の存在です。彼は、パンフレットのプロダクションノートの表現を借りれば、「柔和な物腰の柔らかい危険人物」です。アーティストに理解を示して擁護しているようでいて、時に恩を着せながらアーティストを手懐ける複雑なキャラクター。トートはヴァン・ビューレンによって活躍の場を与えられるものの、それによって苦しめられることにもなります。これはアーティストとパトロンの関係性として普遍的な問題であることに加え、僕がユニークだと感じるのは、コーベット監督が戦後のアメリカンドリームの悪しき側面を描こうと、ヴァン・ビューレンを資本主義の醜さの象徴に仕立てたことです。この作品のキャラクターには、抱えている傷や心の闇が必ずあって、ヴァン・ビューレンはそれを包み込むようでいて、時に暴力的に傷に塩を塗るように追い込んでいきます。移民たちで構成された自由で開かれたアメリカのダークな側面が顕になることは、考えてみれば、冒頭でトートがニューヨークへ船でたどり着くシーンに布石がありました。多くの移民を扱った映画でも描かれてきたニューヨークの自由の女神像が、この作品では上下が転倒していたんですよね。もちろん、本当にそうなっているんではなく、逆さまだったり横だったりに映し出されていたのには意味がある。

4時間近い長尺の大作ですが、30年にわたる時の流れをそのまま見せることはできないわけで、どうしたってかいつまんでいかざるをえない中で、下手をするとダイジェストのようになりかねないところを、コーベット監督はあちこちのショットやシーンが響き合う構成にすることで、あの時代とアメリカの本質をあぶり出すことに成功しています。それは、ベルナルド・ベルトルッチ監督が『1900年』という大作で実現してみせたことに通じる偉業だと言って良いでしょう。それこそ、この映画の中でトートが取り組んだコミュニティセンターのように、精緻に設計したブルータリズム建築としてそびえる見事なインディペンデント作品です。装飾は簡素でありながらも、的確なライティングとカット割り、エイドリアン・ブロディを始めとした俳優の役へのアプローチを基礎に重厚な建付けで中にいる人=映画館に集った鑑賞者を包み込む。闇とそこに差し込む光を与える。「形態は機能に従う」というバウハウスのデザインのモットーよろしく、無駄は省きながらも、今どきありえない70mmフィルムのヴィスタビジョンという半世紀以上前に映画人が捨て去った撮影手法で作り上げた質実剛健な1本でした。
映画では、フィラデルフィアやニューヨークが主な舞台となりますが、実はイタリアが何度か出てくるんです。カッラーラという世界最高峰の大理石の産地とヴェネツィア。水の都ヴェネツィアではビエンナーレが開かれていて、終盤そこでこそ、トートがその創作活動を通して、とりわけコミュニティセンターに込めた想いが明らかになります。
エンドクレジットで流れる曲をオンエアしました。イタリアのディスコデュオLa biondaが放った1978年のヒットソングです。
さ〜て、次回2025年3月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『名もなき者/A Complete Unknown』です。アカデミー賞多数ノミネートながら、受賞は残念ながら逃してしまった本作。とはいえ、若かりしディランに扮したティモシー・シャラメの見事さは変わりません。先日、Whole Earth Radioでも特集しましたが、僕自身はあまり映画について語っていないので、改めてまとめてみたいと思います。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!
