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小説『ぼくがエイリアンだったころ』レビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。二宮大輔くんが、また意欲的な翻訳『ぼくがエイリアンだったころ』(ことばのたび社)を手がけました。初夏に有北雅彦くんが訳した『』に続いて、京都ドーナッツクラブのメンバーが関わったものが世に出るのは今年2冊目。僕たちは小さな寄り合いですから、これは慶賀すべきことだと、同じくメンバーで彼女もバリバリ翻訳のできるセサミあゆみにレビューを依頼しました。まずはこちらをお読みいただきつつ、興味が湧いたらば、ぜひご参加いただきたいイベントがあります。なんと、著者のトンマーゾ・ピンチョ本人が来阪します。えらいことです。イタリアの現役の作家であり翻訳家がやって来てオープンに誰でも話を聞ける機会なんて、そうありません。しかも、無料。ぜひ、10月12日(土)の午後、お出かけください。小説は未読でも、とりあえず行く価値アリです。二宮くんも登壇しますし、ピンチョさんのサイン会もあります。僕はこの頃、京都音楽博覧会のステージの上。なので、どうぞ僕の分まで楽しんできていただきたい。お申し込みは、こちらから!

 

20世紀末のアメリカ、薄暗いアバディーンの町に暮らすホーマー・B・エイリアンソンは、橋の下でカート・コバーンに出会う。カートにもらう白い粉は不眠のホーマーにとって最高の薬のように思われたが、それははじめだけだった。

 

著者のトンマーゾ・ピンチョは1963年ローマ生まれ。20代をアメリカで過ごし、アメリカのポストモダン文学や1990年前後のアメリカの文化・芸術に強い影響を受けたという。そんなわけで、アメリカを舞台とするこの作品に、イタリアの空気感は全くない。かつてピンチョに深い衝撃を与えた、ニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンの生涯に着想を得て書かれ、彼に捧げられた物語だ。

 

原題は“Un amore dell’altro mondo”(直訳:別世界の愛)だが、邦題は『ぼくがエイリアンだったころ』となっている。主人公ホーマーと同じように「社会にうまく適応できなくて自分をエイリアンのように感じている読者もきっと少なくないはず」という思いから、訳者が採用したそうだ。ちなみに、元々は第一章のタイトルがこの邦題にあたるものだったが、ニルヴァーナの曲の歌詞から取られていたため、著作権の問題で改題となったらしい。

 

さて、ホーマーは疎外感と不眠から逃れるため、カートに分けてもらったヘロインを常習するようになる。ジャンキーの見る世界の描写で「トレインスポッティング」のぐにゃりと歪む映像を思い出して、それはホーマーの幻覚だったか、現実だったかわからなくなるが、もはやどっちだって構わない。ただ、冒頭から通奏低音として流れる「それで、恋人は?」の問いかけは、だんだんと大きく響いてくる。

 

ところで、ホーマーはエイリアンだろうか。眠っている間に体を乗っ取られるという強迫観念に囚われ、9歳の時から18年間も眠ることを拒否していたのだから、人間ではなさそうだ。「エイリアンソン(エイリアンの息子)」という姓からして、エイリアンの血が流れていそうでもある(ちなみに、ホーマー<ホームラン>の名も、作中の小道具に反映される)。後半の舞台となるレイチェル近郊の砂漠の様子も、何か火星のように思えてくる。

 

ホーマーがエイリアンかどうか、「それで、恋人は?」の問いの答え、別世界の愛の意味するところについては、それぞれが作品を読んで確認してほしい。

 

ちなみに、本書と同じく、ことばのたび社から出たアンソロジー『翻訳文学機構』に掲載されている『紙とヘビ』も、トンマーゾ・ピンチョ著・二宮大輔訳の同じタッグによる独創的な作品なので、本作が気に入った方は読んでみられてはどうだろうか。 (セサミあゆみ)

 

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