FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月23日放送分
映画『大いなる不在』短評のDJ'sカット版です。

俳優の卓(たかし)のもとに、一本の電話が入ります。幼い頃に卓と母を捨てた父が警察に捕まったというのです。卓は妻の夕希とともに北九州の父陽二に久しぶりに会いに行くと、彼は認知症を患っていて、まるで別人のようでした。そして、30年前に再婚して以来一緒に暮らしていた義理の母直美の行方がわからなくなっています。卓と夕希夫妻は、陽二と直美の家を整理しながら、ふたりの暮らし、人生、そして今を調べていきます。
監督・脚本・編集・プロデュースは、これが長編2本目となる近浦啓。父陽二を藤竜也が演じた他、卓を森山未來、夕希を真木よう子、直美を原日出子が担当しました。去年9月のトロント国際映画祭で日本人監督作としては黒沢清以来16年ぶりの選出となるコンペ部門でワールドプレミアとなった本作。そのトロントでは、藤竜也が日本人初の最優秀俳優賞を獲得しています。
僕は先週金曜日の昼にアップリンク京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
認知症を積極的に物語の中心に据えた映画がここ15年ぐらい増えているように思います。優れたものをいくつか先行例として挙げておくとするなら、2011年のスペインのアニメーションで日本ではジブリが配給を手掛けた『しわ』や、アンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマンが共演してアカデミー賞で最優秀男優賞と脚色賞を受賞した『ファーザー』、さらには2013年のコメディ『ペコロスの母に会いに行く』あたりを加えても良いでしょう。いろんなアプローチが考えられますが、大きく特徴が出るのは認知症当事者の主観ショットを交えるタイプのもの。『ファーザー』なんて、まさにこのオンパレードでした。ただ、観客はそれが主観映像だとしばらくしてから事後的に気づくことになるので、相当に混乱させられるわけです。客観的な描写だと思いこんでいたものが、実はそうではなかったというのは、もしかすると認知症当事者の感覚に近いのかも知れない。あれは必ずしも認知症を正面から扱ったものではありませんでしたが、2020年の『おらおらでひとりいぐも』もそんな主観と客観のズレを効果的に使い、老女の脳内を映像化した作品でした。こんな風に、認知症を描くのに映画というメディアはうってつけなんだろうと僕は睨んでいたところへ、今作の話を聞くに及び、僕としては「それ見たことか!」と思って観に行ったら、アプローチはずいぶん違いました。むしろ、認知症を患ったお父さん陽二の主観映像って基本的にないんです。むしろ、つじつまの合わない客観的な事実に翻弄される息子卓とその妻の目線でサスペンスを構築していく流れになっていまして、なるほどその手があったかと僕はとても興味深く食い入るように鑑賞しました。
認知にズレが生じるというのは、もちろん本人にとってまず大変なことですね。Aだと思っていたものが、実はBだと後で気づいたら、誰だってたじろぎます。じゃ、今度はBだと思ったら、それも違ってCだということもある。陽二はそこからメモ魔になっていくんですね。脳内に去来した言葉や現象、目に見えたことを記憶がおぼつかないから記録していくようになる。卓はそもそも父親と30年も疎遠だったわけで、父がどういう人か確たるイメージもない中で、父がいなくなった家に入るだけでも混乱するというのに、家中にジグソーパズルのピースのように散りばめられたメモを確認していくのは大変なことです。ただ、現実に父が同居していた義理の母直美がいなくなっているわけですから、素人探偵のようにして、陽二の暮らしぶりから人生の出来事まで、自分の記憶とも照合しながら推理と調査を進めていくしかない。直美さんはどこへ行ったのか。陽二の家で考え込んでいると、急にニュッと見知らぬ男性が姿を現したり、誰が頼んだかわからない食事が届いたり、結構ギョッとさせられる場面が多くて、これはサスペンスドラマとしてよくできていますよ。そして、それは認知症をめぐる物語として、特に「盛った展開」ではないんだと思います。日常が多かれ少なかれサスペンスになるということでしょう。でも、そんな調査の旅がいつしか、大いなる愛の記録につながるとは夢にも思わなかったし、映画が終わる頃には、少なくとも卓夫婦にとって、大いなる不在であった陽二の存在を自分たちの人生に位置づけることになって、静かな感動を呼びます。

それにしても、この陽二という人は相当なインテリで大学教授だったんですが、日常においては付き合いづらいところがあるんですよね。理屈っぽいし、すぐに言いくるめてこようとするしで、大変ですよ。そして、卓は演劇をメインに活動する役者で大河ドラマに脇役として出るような人。学者と役者ですからね、住む世界がだいぶ違う。住む場所も現実に東京と北九州で違う。価値観に相当なズレがありますから、簡単にはわかりあえないですよ。それでも、この親子はそれぞれにわかろうとしていきます。親子であったって、わかりきることなんてできないのだけれど、それでも関わろうとします。そこにこの作品の魅力があります。卓が父陽二の認知症によって関わることになった人々それぞれが陽二をどう思っているのかもそれぞれに違う。それを知って、人間というのは決して一面からだけ捉えてもその人はわからないということを知り、捨てられた息子という自分の立場も狭い一面に過ぎないのだと気づく。それは、卓が今ワークショップで取り組んでいる演劇にも通じるところがある。

映画としてサスペンスとして普通に無茶苦茶面白いですし、人生とはなんだろうか、人が人と関わるってどういうことだろうという深い作品だし(陽二がアマチュア無線を趣味にしていることや、映画冒頭で住宅地にそびえる携帯電話の電波塔が映し出されるのも象徴的)、35mmフィルムで撮影されたショットのひとつひとつにインパクトがあって、美術は尋常じゃない作り込みで、俳優陣の演技も冴えわたっている。傑作としか言いようがありません。僕は他界した父と自分のこれまた面倒だった関係を思い出しながら、まったくもって忘れられない映画体験となりました。
主題歌は、佐野元春&THE COYOTE BANDです。最新アルバム『今、何処』のタイトルトラック、1分程の曲がエンディングの余韻に響くんですが、放送では、そのアルバムの1曲前に収録されているこの曲を鳴らしました。
さ〜て、次回2024年7月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『化け猫あんずちゃん』です。今週の課題作候補はどれも面白かったんですが、中でも異色のものが当たりましたね。山下敦弘と久野遥子がタッグを組み、実写の撮影をアニメーションに落とし込む独特の技法で生み出したお話。しかも、化け猫を演技で表現したのは、これまた森山未來! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!