
15年前の3月11日を境に、人生が大きく変わった人は数多くいる。そうした人たちの心の変化や生き方の変化が、少しずつ積み重なって、今後の日本に少なからず影響を与えることになると思う。
あの震災の後、被災地で多くの人の話を直接お聞きしたが、いつまでも切ない思いが胸の中に残り続けたのは、名取市の閖上で亡くなった一人の方のことだった。
訪問介護の仕事をされていたその方は、大地震が起き、津波警報が出た時、海岸から遠い場所で仕事をしていた。しかし自宅は海岸の近くにあり、子供たちのことが心配でならなくなった。車を走らせ、自宅へ向かう途中で、津波に巻き込まれた。子供たちは安全な場所に避難していて無事だったが、自分たちを思って亡くなった母親のいない人生を、生きることになってしまった。
訪問介護をしていた場所にとどまっていれば、命を落とすことはなかった——当事者でない人間は、いくらでもそう言うことができる。しかし、子供たちが心配でならないという、胸を締め付けるような気持ちは、その場にじっととどまることを許さない。人間の心は、そのようにできている。
それはわかっていても、なんともやりきれない切なさが、自分の中に残り続けた。でも、残り続けるということは、その方の魂が生き続けているということだと思う自分もいる。
人は、いずれ誰でも死ぬ。生まれたばかりで目も見えず、身体も自分では動かせない赤ん坊が、ぐっすりと眠りながらちゃんと呼吸をしているのを見ると、不思議な気持ちになることがある。生命は驚くべき精密さで機能しているが、ちょっとしたことで、そのまま目覚めないことがあっても、不思議ではないとも思う。
現代社会は、緻密な論理を駆使したテクノロジーに大いに依存している。けれど日本人は、心のどこかで「とはいえ、いつ何が起こるかわからない」という気持ちを抱えている。だからアメリカ人のように、借金をしてでも消費にお金を使うことはできず、コツコツと貯める人が多い。そのためアメリカ経済は常に活性化し、日本経済は消費が伸びない、などと経済の専門家は解説する。
東北大震災の後、私は、雑誌『風の旅人』の編集テーマを「震災後の世界」に絞って7冊編み、7冊目の第50号の巻末に次号の告知として「もののあはれ」を掲げた。しかし、できなかった。
形あるものはすべて消えゆく。その過程をしみじみと味わい、執着を手放すこと——この物質文明に毒された世界では、大切な理念のように思えなくもない。しかし、それだけでは何かが欠けていると感じた。
日本文化の軸になってきた「もののあはれ」は、その程度のものではないはずだ。先人たちは、もっと深いところで考えていたのではないか。
中途半端な気持ちのまま作るのではなく、「もののあはれ」を徹底的に掘り下げる必要がある。それが動機になって、現在まで日本の古層に向き合い続けている。
この取り組みで私が解き明かしたいのは、歴史の謎ではない。大自然の猛威の前に無力でしかない人間が、それでも尊厳を取り戻すために、先人たちはどのような知恵を持っていたのか——そのことだ。ただ無力感に打ちひしがれるだけでは、ニヒリズムに陥り、無気力になるか頽廃するか、どちらかしかない。そんなところに、美意識は育たない。
子供たちを思うあまり、あえて海岸線へと向かい、津波に巻き込まれた母親。理性的な人からすれば、賢明な行動をとれなかった人ということになるだろう。しかし、賢明な振る舞いが、後々まで人々の心に残るとは思えない。
神話や伝承で人々の心を惹きつけるものの大半は悲劇であり、それは賢明さとは真逆の、愚直さや誠実さによるところが多い。神話や伝承の中で、賢明さはしばしば狡さと結びついている。
「もののあはれ」は、分別で論じるものではなく、生き様で示されるものだ。
「いつ何が起こるかわからない」世界において、だからといって保身に回るのではなく、何が起きてもじたばたせず、潔く振る舞えるように心を澄ませておくこと。
千利休が、わがままな権力者だった秀吉から切腹を命じられても怯まなかったのは、そうした心の準備ができていたからだろう。
いつ死んでもいいような心の準備。「もののあはれ」の文化の真髄は、きっとそこにある。
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