前回の二つの記事では、相模川沿いの南北断層に連なる古代聖域について述べました。
歴史を紐解くと、663年の白村江の戦い以降、滅亡した高句麗から多くの人々が相模川西岸の大磯へと移住しました。その後、律令体制が整備される716年には、現在の埼玉県日高市に「高麗郡」が設置され、関東各地の高句麗人が集められました。その中心地に鎮座するのが、現在は出世の神として知られる高麗神社です。
この高句麗人の受け入れを主導したのは、現地の有力豪族であった武蔵国造(丈部氏)だと伝えられています。関東最大の埼玉古墳群にある稲荷山古墳からは、銘文入りの鉄剣が出土していますが、そこに記された「杖刀人(じょうとうじん)」という軍事的な部民こそが、丈部氏のルーツにあたります。
この丈部氏が奉賽(ほうさい)したのが、埼玉を中心に分布する氷川神社です。さいたま市の氷川神社(大宮公園内)で代々宮司を務める家系は武蔵国造の末裔であり、『続日本紀』には767年、丈部直不破麻呂(はせつかべのあたえふわまろ)が武蔵宿禰(むさしのすくね)を賜り、武蔵国造に任じられた記録が残ります。これは氷川神社の神職家・角井(つのい)家の系譜とも一致します。
地理的配置に目を向けると、驚くべき幾何学的構造が浮かび上がります。
さいたま市の氷川神社から真西27kmに高麗神社が位置し、さらにその高麗神社から真南へ約50kmの地点には、相模国の小野神社(厚木市)が鎮座しています。この厚木の小野神社とさいたま市の氷川神社を結ぶラインは約60kmにおよび、その正確な中心点に位置するのが武蔵国の中心である「府中の国府」です。
境界を守る「門客神」アラハバキのライン
さらに興味深い共通点は、小野神社と氷川神社の双方に「アラハバキ神」が祀られていることです。アラハバキ神は別名「門客神(もんきゃくじん)」、すなわち門を守る客神です。客神とは、新勢力が進出した際、かつての支配勢力が祀っていた「古い神」を指します。時代の転換期において、新勢力は旧勢力の神を排除せず、むしろ門の守護を託すことで霊的な調和を図ったのです。
こうした転換は古代日本に広く見られます。たとえば、南九州の海人族である隼人(はやと)は、朝廷の門を守護し「吠声(はいせい)」という犬の鳴き真似で邪気を祓う儀礼を担いました。また平安時代に疫病を鎮めるために始まった御霊会(ごりょうえ)も、祟り神を守護神として祀り直す思想に基づいています。
すなわち、国府を中心とした一直線上の両端——府中から等距離(30km)にある厚木の小野神社とさいたま市の氷川神社——がアラハバキの聖域であるのは、その場所が、国府を中心とする世界が外海や他国と接する「門」そのものであったからだと言えるでしょう。
厚木の小野神社が位置する相模川下流域は、黒潮に乗って西から来航する勢力との境界でした。一方、さいたま市の氷川神社は、かつて東京湾へと通じていた広大な「見沼」に面し、利根川・荒川を通じて北関東や東北地方へと繋がる、内陸物流と防衛の最前線だったのです。
さらに、府中の国府から真北に50km進んだ地点には東日本最大の「埼玉(さきたま)古墳群」が存在します。ここにある稲荷山古墳から出土した鉄剣には、武蔵国造として国府を治めた丈部氏の祖にあたる「杖刀人(じょうとうじん)のヲワケ」が、シキの宮でワカタケル王に仕えていたことが刻まれていました。
また、府中の国府を起点に、真北の埼玉古墳群と正反対の「真南40km」に位置するのが江の島です。江の島は境川の河口に位置する海上交通の要衝です。町田市の草戸山を源流とする境川流域には、縄文時代から古墳・平安時代に至る数多くの遺跡が分布しており、その中流域には「小野郷(町田市小野路周辺)」が位置しています。
府中の国府から多摩川を渡ってすぐの対岸には、武蔵国一宮の小野神社(聖蹟桜ヶ丘)が鎮座していますが、江ノ島から境川を遡った中流域の町田市にも小野神社が鎮座しており、この周辺には、伝承で、目を患った小野小町が目を洗った泉が存在します。
また、前述した厚木市の小野神社は、鎌倉幕府に仕えた弓の名手・愛甲季隆ら愛甲氏が深く崇敬した場所です。愛甲氏の本家は、聖蹟桜ヶ丘の小野神社周辺を拠点とした武蔵七党の一つ「横山党」であり、その祖は源頼義の東北の安倍氏征伐で活躍した小野経兼とされます。こうした系譜を辿れば、府中から町田、厚木に至る相模川・境川流域の一帯は、小野氏と極めて深い関わりがあったことがわかります。
それに対して、府中からさいたま市にかけての北東方面には、丈部氏が奉賽した氷川神社が数多く集中しており、この一帯は丈部氏が祭祀と統治を担った領域であったことが鮮明になります。
このように、律令体制が確立されていく時期、多摩川を境界として、北東を「丈部氏」、南西を「小野氏」がそれぞれ分担して受け持つことで、武蔵国から相模国にかけての広域な秩序が維持されていたと考えられます。
鶴見川水系に秘められた「杉山神社」の謎

もう一箇所、見逃せない聖域があります。厚木の小野神社から真東に27km、さいたま市の氷川神社から真南に50km。この一点に「杉山神社」が集中しています。
全国に約70社ある杉山神社のほぼすべてが、町田市の小野郷を源流とする「鶴見川水系」に分布しているのです。その一つ、戸部杉山神社(652年創建)の境内にはかつて古墳が存在しており、古くからこの地を拠点とする有力豪族の影が見え隠れします。
都筑氏という多文化連合による鶴見川の流域開拓
この杉山神社の集中地帯と、府中の国府を結ぶライン(30km)上のちょうど真ん中に長者原遺跡があり、ここは律令時代の郡衙でした。
ここを治めた豪族が、横浜市都筑区・港北区周辺の鶴見川流域に定着し、氏神として祀ったのが杉山神社ですが、その豪族は、「綴(都筑)氏」だと考えられます。
律令時代の郡衙だった長者原遺跡のすぐ近くには、茅ヶ崎杉山神社が鎮座し、境内から背後の丘陵上にかけて、縄文時代前期の貝塚と、弥生・古墳時代集落の複合遺跡である境田貝塚が分布していますので、はるか縄文時代から栄えていた場所だったことがわかります。
さらに、長者原遺跡のすぐ近く、鶴見川流域に、稲荷前古墳群が築かれています。前方後円墳2基・前方後方墳1基・円墳4基・方墳3基の計10基の古墳と3群9基以上の横穴墓が発見され、これらは、4世紀後半から7世紀にかけて、この地域の首長とそれに連なる人々の墓所と考えられています。


この稲荷前古墳群の最大の特徴は、「墳形の多様性」にあります。同じ場所にこれほど異なる様式の古墳が隣接して築かれていることは、「複数の異なる出自を持つ有力氏族が、対立ではなく、連合・共生してこの地を統治していたことを示しています。
鶴見川は、古代から暴れ川として知られ、この川を制御し、広大な湿地を開墾するために、単一の氏族の力ではなく、異なる技術を持つ勢力が連合することが必要だったのかもしれません。
鶴見川流域に多く鎮座している杉山神社の多くは、五十猛神とともにヤマトタケルが祀られています。
五十猛神は、和歌山県の紀ノ川流域の海人勢力である紀氏と関わりが深く、ヤマトタケルの母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)は和邇氏(小野氏の祖)です。
『新撰姓氏録』には、丈部首氏は「武内宿禰男紀角宿禰之後也」という記述もあり、武蔵国造として氷川神社を奉賽していた丈部氏には紀氏の系統でもあります。それゆえ、律令時代の武蔵國の郡衙であった鶴見川流域の長者原遺跡を拠点にし、鶴見川流域を横浜あたりまで治めていたと考えられる都筑氏は、小野氏と丈部氏(紀氏)が婚姻によって結ばれた勢力だったのかもしれません。
そうした統合の結果、府中の国府の地に鎮座する大國魂神社には、東殿に小野神社と氷川神社、西殿に杉山神社が祀られています。
高麗の技術が支えた「1日の行程」のグリッド
ここで、武蔵国の全容を改めて俯瞰してみます。
-
北西: 高麗郡(高句麗人の拠点)
-
北東: 氷川神社(丈部氏の拠点)
-
南西: 小野神社(小野氏の拠点)
-
南東: 杉山神社(都筑氏の拠点)
この四点を結ぶ長方形の中心に「府中の国府」が鎮座します。
この精密な配置の尺度となったのが、高麗郡を拠点とした高句麗人の「高麗尺(こまじゃく)」でした。
高句麗人は、北極星を観測して東西南北を貫く高度な測量術も備えており、この知識と技術は、その当時、土地の測量や寺院建築にも用いられたのです。
律令時代が始まり、全国的な統治基盤として、各地に行政機関が整備されました。それに伴い交通と物流のインフラも整備されたのですが、その際、物の移送や人の移動に要する時間と距離の関係が厳密に考えられており、1日の行程の目安として、養老令には、徒歩で50里(27km)、馬70里(37.8km)、車30里(16.2km)という記録があります。
日高の高麗郡とさいたま市の氷川神社、あるいは厚木の小野神社と横浜の杉山神社の間隔が正確に「27km」であることは、これらが徒歩1日で連絡可能なネットワークであったことを意味します。
また、国府と杉山神社の中間(約15km)に郡衙(長者原遺跡)を置いたのは、車での物資輸送における1日の行程を計算し尽くした配置といえるでしょう。
宗教的調和と、物流インフラが整えた武蔵国
武蔵国の聖域や行政拠点の配置を詳細に辿ると、古代の政治が決して力による制圧のみではなかったことが見えてきます。
そこには、高麗人の知識と技術による正確な測量、陸運と水運を組み合わせた物流ネットワークの整備、そして旧来の勢力の信仰を「アラハバキ(客神)」として包摂する宗教的調整がありました。
古代武蔵国の統治は、多様な出自を持つ氏族たちが、それぞれの専門技術を活かし、交通・物流という「経済」と、祈りという「精神」の両面で手を取り合った、高度な平和構築によって成し遂げられたのではないでしょうか。
ーーーーーーーーーーー
新刊の「みちのく古代巡礼」は、ホームページで発売しています。
2月28日(土)、3月1日(日)に東京で、3月28日(土)、3月29日(日)に、京都でワークショップを行います。
お申し込み、詳細は、ホームページアドレスからご確認ください。https://www.kazetabi.jp/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー