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第1637回 AI時代に適応するための塾通いは、時代に逆行しているのでは?

数日前、テレビをつけたらニュースをやっていて、昨今、受験熱が盛んで、塾に通う子供達がとっても多いという、数十年前の話かと思うようなことが伝えられていて、ちょっと驚いた。
 このAI時代に、今さら受験とか塾かよと呆れたが、その理由説明のなかで、高校の無償化によって教育費の負担が抑えられそうなので、その分、幼少の段階での塾などへの出費ができるようになった人が増えたとか、従来の暗記式の勉強ではなく、小さい時から思考力を身につけさせるための塾通いが行われているようだ。
 画面に登場した専門家やらも、こうした傾向を、目的意識を持って取り組んで、目的意識を持った者たちと切磋琢磨できるのなら意味がある云々とくだらない話をしている。
 時代錯誤も甚だしいが、だいたい株式市場のバブル崩壊も、なぜか崩壊直前に最高値をつけたりする。ネズミの大群が岸壁に向かって盲目的に突っ込んでいくとか、太平洋戦争において敗北が明らかになってから、特攻隊攻撃を思いつくとか、エリートたちが頭をつかって考えているのだろうけれど、「思考」とは程遠い内容で、ますます自滅の道にまっしぐらという状況作り。
 高い塾の授業料を払って、子供に思考力を身につけさせようとしていることに何の疑問を持たないことで、自滅の道の一歩を踏み込んでいる。
 塾の授業で生徒に思考力を身につけさせられると考えている塾の先生がいるのならば、その人の思考力は、おそらく、かなり浅い。
 思考というのは、ハウツーでも、テクニックでもないし、メソッドにそって身につけるものではない。こうしたアプローチは「型」にそっているものであって、「型」を設けている時点で、それは思考とは言えない。
 思考というのは、どうにもならない、どうしようない、前例がない、何の術もないといった、「型」などから程遠いところで足掻いているうちに、自分の内側から、泉の源泉のように少しずつ湧いてくるものなのではないだろうか? それが、自分の頭で考えるということ=思考を鍛えることだと私は思う。
 「こうすれば、ああなる」式の頭の組み立ては、思考ではなく、論理の整頓にすぎず、それを身につければ、明晰な頭の持ち主ともてはやしてくれる人もいるかもしれないけれど、そういうのは、昔ならば「減らず口を叩くな」と叱られる類で、口より、実践で結果を残しなさいということになる。
 思考は、物事の言語化ではあるけれど、言語のなかだけで終わるようでは思考とは言わない。
どうにもならない苦境において、それでもなんとか突破口を見出そうと足掻き、その実践のための導きこそが思考。
 AI時代に、AIに指示を出す側の立場であるためには、この真の意味での思考が大事になるだろう。
 「減らず口」の類の頭の使い方は、AIの方がよっぽど得意であり、同じ土俵でやりとりしあっていれば、自分では気づかないままAIに操られ、その下僕となっていくだろう。
 塾の運営者たちや塾の先生たちは、まだAIの試練に巻き込まれていないのに関わらず、その人たちに高いお金を支払って、将来の生き方に関わる部分で「教えてもらう」という構造は、なんだかとても残念だ。
 時代の転換期で、まだ答えのない時代だからこそ、宙ぶらりんで足掻き続ける耐性を身につける方が、よほど大事なのに、目先の、それらしき答えに飛びついてしまう。
 昔から、「かわいい子供には旅をさせよ」という言葉があるが、どのパッケージツアーがお得かと、あれこれ考えるのは「思考」ではなく、「分別」にすぎない。
 先入観のない状態で、自分の身に降りかかってくることを自分の中に記憶化し、その体験から自分なりの世界の真相を導き出し、それを、さらなる体験を通して自分なりに上書きを重ね続けること。その上書きの厚みこそが、自分で考える力の蓄積。
 旅というのは、そのように自分の体験を、他の誰かの基準とは関係なく、あくまでも自分の中で精錬させていくプロセスのことで、本当は、わざわざ海外に出なくてもできること。
 海外に出ることの良さは、日本国内だけだと、どこに行っても、あまりにも標準化が行き届きすぎて、目から鱗の体験が非常に限られてしまうから。
 しかし、海外を体験した後だと、それまでわかっていたつもりになっていた日本のことが、とたんに謎めいてみえてくることもある。(海外を体験しなくても、日本のどこに足を運ぶかによって違ってきて、実はとてつもなく広く多様な日本で、十分に、簡単に答えの見つからない迷路に彷徨いこめる場所はいくらでもある)。
 時間をかけて謎と付き合い続けなければ、思考の土壌を耕すことはできないのだけれど、塾のメソッドで、それは可能なのだろうか?
 高額な授業料ゆえに、何をやっているのかよくわからないという見え方がしてしまうと、気が早い両親の支持を得られないだろうことは推測できる。
 まあ、結局なんにもならずに、「高い授業料を払ってしまったなあ」という言葉が出る状態が、真の意味で、思考のスタート時点かもしれないけれど、先頭を走っていたつもりで、実は周回遅れのランナーだったと落胆した時に、自分はどうせダメだと自己卑下する自分になっておらず、挽回するエネルギーがいくらでも残っていればいいのだけれど、時代錯誤の受験戦争や塾通いが、そうした生命の本能とも言える耐性を奪ってしまうことがないよう祈るしかない。

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新刊の「みちのく古代巡礼」は、ホームページで発売しています。
 1月30日(金)、1月31日(土)、京都でワークショップを行います。*京都の北東、鬼門地域の小野郷や岩倉地域をフィールドワークします。
 2月28日(土)、3月1日(日)に、東京でワークショップを行います。
 お申し込み、詳細は、下記ホームページアドレスからご確認ください。
 https://www.kazetabi.jp/




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