昨夜の皆既月食、家の周辺のどこで見るのが最適なのかと、始まる前から少しソワソワしていた。
そして、月の状況を確認しようと思ってベランダに出たら、ちょうど真正面の林の上に月がかかっていて、ここがベストじゃないかと気付き、ベランダのアウトドアチェアで、お酒をチビチビやりながら、始まりから最後まで見届けることができた。
これまでの人生で、月食の全過程をじっくり見たのは、初めて。
欠けていく月を見ながら、太陽と地球と月が一直線に並んで重なっているんだという実感が、なんとも言えない気持ちにさせた。
重なりというのが、いろいろなことを理解するうえで、とっても重要だという気がしていて、表の現象の下に何が重なっているのかを考える癖がある。
人が発する何気ない一言だって、意識のなかに何かしらの重なりがある。
話は飛躍するけれど、昨夜、日の丸半導体復活のために立ち上がったラピダスの特集があった。
AI向けの最先端の半導体は、微細化が極限まで進んで、もはや平面分割は難しいので、水平シート状の「シート構造」を積層することで、トランジスタの密度を高め、電力効率と性能を向上させる立体的な構造となっている。
つまり、ミクロの世界での重ね合わせの構造。その構造によって、情報処理をするわけだが、人間の脳の思考だって、知識を断片的に覚えるのではなく、それらを重ね合わせることで、深まっていく。
断片的知識を横に広げて吸収しても、ウンチクにしかならず、それぞれが連関することによって生まれてくる智慧にはならない。
また、一つの場所にある聖域の謎を解こうと思えば、その場所の歴史だけを掘り下げるだけでは不十分で、周辺の地理的条件や歴史背景などを、詳しく探って、それらを重ね合わせて思考していく必要がある。
先日のワークショップの参加者で、私のピンホール撮影や、古層の探求に対して、微分的ではなく積分的だと評してくれた人がいたが、微分と積分を比べると、微分は「目に見える大きな世界を薄く細かく分解する処理」なのに対し、積分は「目に見えないほど小さなものを、かき集めてくる」処理ということになる。
微分の方は、全体の実態が見えなくなって部分に意識が偏りがちなので、思考が抽象化する傾向がある。
積分は、全体の実態が目に見える状態となるため、具体的に、直観的に理解しやすい。
近代的思考の祖はデカルトで、デカルトが「考える方法」として「方法序説」を世に送り出し、その後の学者たちは、その後を継いだので、物事の理解のために「微分的思考」が先行する形になっている。そのため、個々の全体との関係が見えにくくなり、物事の理解が難しくなっている。
私の日本の古層に対するアプローチは、これとは逆で、積分的思考から入っている。
まずは全体の具体性を直感的でかまわないから把握すること。
その後に、その具体性の根拠を探求していけばいいのだけれど、その根拠探しにおいて、最初の具体性の直感が立体的なものでないと、横広がりに意識を広げるばかりとなる。
世界は平ではなく立体的であるという全体把握の直感が、一つの事情に幾層もの重ね合わせがあるはずだという確信となって、探求もまた、その重ね合わせの構造に対して意識が働く。
ややこしいことを言うようだが、世界の現象は、幾層もの重ね合わせによって生じており、その重ねの揺らぎが、世界の変化の本質。
変化というのは、どこか他の場所から、まったく別のものを持ってきて入れ替えることではない。
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京都と東京でワークショップを行います。
京都:2025年9月27日(土)、9月28日(日)
⚪︎石清水八幡宮から京田辺あたりのフィールドワークを行います。
東京:2025年10月25日(土)、10月26日(日)
*いずれの日も、1日で終了。
詳細、お申し込みは、ホームページでご確認ください。
https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/
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新刊の「かんながらの道」も、ホームページで発売しております。