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第1602回 現代から未来へ橋渡しされる火の鳥伝説

とくに公演の近づいている関西圏の方に、ここに添付したチラシからも伝わってくる猛烈な熱量でお知らせしたいものがあります。
 小池博史さん演出の舞台、『HINOTORI 火の鳥・山の神篇』です。
 京都公演:9月13日(土)。ロームシアター京都 サウスホールにて 〒606-8342 京都市左京区岡崎最勝寺町13
 東京公演:2025年10月11日(土)〜 14日(火)
 なかのZERO 大ホールにて 〒164-0001 東京都中野区中野2-9-7

 *チケット購入は、コメント欄にアドレスを記載しました。
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 「世界は、いま、火のなか。」
 「世界の混沌と戦争を超えて、未来を描き出す。」
 日本、ポーランド、マレーシア、ブラジル、インドネシアのアーティストたちとともに、「死」と「再生」の象徴である“火の鳥”伝説に想像力を重ね、現代社会に響く物語を立ち上げます。
 舞台上では、音楽・映像・光・影・身体表現が交錯し、言語を超えて観る者の感覚を揺さぶります。
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 小池さんの舞台というのは、現代の多くの表現活動が行っている「今日の現状」の表層を映しとったり、今日の現状の本質は何か?といった堂々巡りの思考の反映ではなく、常に、未来を鋭く志向しています。
 そして、未来の種が、根元に宿っていると確信しているところが、私が共感するところです。
 最近ではホメロス神話の「オデュッセイア」、その前は、インド古代叙事詩マハーバーラタ」、そしてガルシア・マルケスの「百年の孤独」、「銀河鉄道」など宮沢賢治シリーズ。
 これらは、「過去」のものを取り上げているのではなく、根元というトンネルの闇をくぐりぬけることで、未来の光に開かれている。
 私は、いつもそういう感覚で、小池さんの舞台を見ています。
 その根拠は、たくさんあります。
 一つは、古代に遡っても変わらない人間の性質。
 そして、人間の心と、人間の身体の関係。これはバーチャルリアリティの中に心を遊ばせることがあたりまえになっている現代人が見落としやすいポイントで、「身体」というのは無限でなく、限界がある。限界があるからこそ人間は、そこに葛藤し、苦悶も生じるわけだけれど、身の程を弁えるという謙虚さや、智り=覚り=悟りの境地も知ることができる。
 真の意味での感動や喜びもまた、その限界を知るからこそ。
 そして、人間存在の根元とは、理屈分別のフィルターを除いた原初的な人間と世界の関わりであり、空間、時間、そして限界がある筈の身体が一つに融けあった状態。永遠の今を生きるという言葉に置き換えてもよい。
 古代、限界のある身体を備えることで苦を背負うことになる人間は、その永遠の今という感覚に、救いを見出していた。
 現代、アメリカ社会などで深刻な問題となっているフェンタニルなどの簡易で最悪の麻薬中毒
 ドラッグに逃げ込まざるを得ないのは、現代文明が、ドラッグ以外に、永遠の今を生きる回路を失ってしまっているからとも言える。
 わかりやすくいえば、宗教や、芸術が、その力を失っている。
 「芸術」という言葉が重すぎて使えず、「アート」という、どこか飾り物や紛い物というニュアンスの横文字でごまかしているのも、それらの表現が、根元や、永遠の今から程遠いという実感があるからだろう。
 小池さんの舞台というのは、「アート舞台」という表層的な言葉で形容できるものではなく、やはり「芸術舞台」という名が相応しい数少ないものの一つ。
 しかもその芸術は、骨董品ではなく、旬の”今”のものです。
 小池さんは、その芸術舞台に、「静寂」も「喧騒」も「平穏」も「狂気」もすべて背中合わせにあるとみなし、それらを一度にどっと入れ込んで、世界を掻き回しつつ、境界線を破り、向こう側の世界を垣間見せることを、全身全霊で行っている。
 そして、ついに、その歩みは、「火の鳥」まで来た。
 2000年以上前に編み込まれた神話伝承のパッケージが、現在、「バイブル」として受け止められているが、もしかしたら、火の鳥は、2000年後に、バイブルとして受け止められる可能性が高い。

 小池さんの舞台で躍動する身体パフォーマーは、もちろん一人ひとりの鍛え抜かれ磨き抜かれた技が完璧だと思えるほど、素晴らしいのだが、その技の力は、1+1が2ではなく、3にも4にも無限に広がっていき、異なる大きさと多彩な形の石が組み合わさった石垣のように見事なブリコラージュを実現している。
 そのように驚くべき多種多彩な芸能や芸術が複雑に組み合わさって展開していくのだが、空間は、時に能舞台のように閑かに深遠であり、時に荒れ狂う嵐のように激しく時空を揺さぶる。
 美術も照明も衣装も化粧も小道具も、全てがその役割を見事に果たし、どのシーンを切り取っても神話性と歴史性を包含した叙事詩の中の心理ドラマを凝縮させた一枚の絵画のようであるが、それらがどこまでも連続して途切れることなく連続して展開していくところが素晴らしい。
 この舞台を観るものは、私たちが生きている現実が、閉ざされた場ではなく、ここではないどこかと通じている大きな時空の連続のなかにあることを、身体と心で感じるだろう。
 小池さんは、常に、自らの主体的な意思で行動し、様々な試練を乗り越え、その圧倒的なエネルギーの渦に観る者を巻き込み、人間存在の根元へと回帰させる作品を、途切れることなく、世の中に送り出し続けている。
 途切れることなくというところが肝心であり、それこそが、まさに、歴史と一体化したエネルギーの流れなのだから。
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※チケット購入の希望は、こちらから。https://kikh.com/works/hinotori/




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